青を纏う

「……あ」
「月島のカノジョか」
「その呼び方全然やめないね影山…」

 私たち三年の教室からは随分と離れた、第二体育館のそばにある自動販売機スペース。ここにしか置いていない飲み物が多いものだから、休み時間のたびに生徒で賑わう場所である。わたしはもっぱら放課後のお供を購入するのに立ち寄るほうが多いし、今日もそうだ。
 夕陽に照らされたこの場所は日中とは打って変わって静まり返っているので、ほとんど誰ともでくわしたことがない。けれど、今日は違っていた。

 影山飛雄とは、クラスが被ったことのない割には会話する機会が多いほうであると思う。理由としては影山の台詞が全てだ。だからといってお互い進んで話しかける間柄でもないけれど、今みたいに同じ場所に居合わせて話さないのも不自然に感じる程度の仲を、かれこれ二年とちょっと続けている。
 向こうも同じ認識であるらしく、彼は小銭を入れるのとボタンを押すのに急いていた手を一旦止めてこちらをみた。今の今まで目一杯動き回っていたのだろう、彼の前髪はうっすらと湿っていた。それにしても月島のカノジョというおかしな呼び方は本当にやめてほしい。最近まで付き合ってることも知らなかったくせに。

「休憩?」
「ッス」
「おつかれ〜……それジャンケン負けたの?」
「アンタのカレシに嵌められた」

 部活で使うのだろうカゴに入れられていく飲み物たちはきっといまから部員全員分にまで増えていくんだろう。
 月島に嵌められたのだと口を尖らせる影山にああ……と気のない返事を返す。いつものやつだ。月島が「王様とバレー以外のことでまともに会話が成立すると思わないほうがいいよ」と不機嫌そうに漏らしていたのはもう二年近く前のことである。あれから随分経ったけれど、ふたりの関係は相変わらずだった。

「……居残りか?」
「いいえ?お宅の月島くん待ち」
「?オタクの?」
「なんでもない」

 にやりと得意げに問いかけてきた影山とは、数学の補習仲間でもある。といっても影山含めた部活に生きる人間達は、大体昼休みを犠牲にして補習の課題を終わらせていることがほとんどだ。放課後は提出だけの状態にしているようだから、放課後の教室で並んで座ったことなどないのだけれど。
 この言い方だと、影山は今日も何かしらの補習を回避して来たのだろう。なんだ、とつまらなさそうな顔をした影山をよそに、私は二年前の月島の言葉を今になって噛み締めていた。

 小銭を入れてボタンを押す作業を再開した影山の後ろでぼうっと飲み物のラインナップを眺めた。どれも美味しいと知っているだけに迷うけれど、影山の持つカゴの中にどんどん放り込まれるぐんぐんヨーグルをぼうっと見ていると不思議と私も飲みたくなってくる。

「私もそれにしよ〜」

 ボタンを押しきるのを見送って、横から百円玉をひとつ滑り込ませた。

「こっちくるのか」
「こっちって体育館?」

 カゴいっぱいになったジュースの数を数えながら影山はこくりと肯定を意を示す。ところでそのぐんぐんヨーグル率、絶対みんなのリクエスト無視してるよね。

「え、教室戻るよ」
「他の女は見にきてるぞ、お前のカレシのこと」
「影山のことも見にきてると思うよ」
「それはどうでもいい。お前は月島のカノジョだろ」

 自販機から落ちてきた青色のパッケージを取り出して手の中で転がす。大事な放課後時間のお供にするので、これを飲むのは教室に帰ってからだ。

 一年の時からたくさんの実績を積み上げてきたバレー部は、今年にはいるころには所詮ファンというものが存在するような存在になっていた。スポーツの特色柄背が高くて目を惹きやすい人が集まることも関係しているだろう。
 そういう訳だから、試合のみならず日頃の練習を体育館の二階から眺める後輩たちも増えてきたのだ。床にボールが叩きつけられる度にわあ、すごい、と感嘆の声が上がるし、その中で月島の名前を囁き頬を染める子も少なからずいる。ほとんどは月島に彼女がいるとは知らずにそうしているのだから、勿論告白に踏み切る子がいるのも知っていた。大体は山口と仁花ちゃんから聞いたことである。

「心配してくれてる?」
「ちげえ、煩いのが減ったらいいと思っただけだ」
「ありがとうね〜」
「だから、ちげえ!」
「月島私のこと好きだから大丈夫だよ」
「……」
「それにバレーしてる時の月島、かっこよすぎて心臓もたないんだよね」
「………」
「あはは」
「……そういうところあいつに似てるな」

 矢継ぎ早にのろけて見せるとそのたびに表情を険しくしていく影山が面白くて、ついには声を出して笑ってしまう。恋愛沙汰なんて影山の苦手分野であるだろうに、口を出してくれたのは彼の優しさだと受け取ることにした。
 彼のいう「月島に似てる」は嫌味だと分かっているけれど、私にとっては褒め言葉でしかない。


 頬が勝手ににやつくのを抑えられないでいる私にはもう付き合うつもりがないらしい。影山は下ろしていたカゴを持ち上げた。たくさんのジュースが入ったそれはどう考えても重いばずなのにひょいと軽々しく持ち上げるものだから、おわー…と意味のない声を出しながらまじまじと眺めてしまう。さすが運動部。

「あ」
「あ?……あ」

 影山が足を踏み出す前に、廊下の方で足音が鳴る。気づいていなかっただけのようで、もう随分と近くから聞こえてきていた。キュッと床を鳴らす足音にあ、と思わず声が出たのはそのリズムが耳慣れたものであったからだ。影山が声を上げたのも同じ理由だろう。
 思った通りにこの場所で鳴り止んだ足音は、思った通りの人物を連れてきた。ぱちりと目が合った時に表情を綻ばせたように見えたけれど、そうかなと思った次の瞬間には影山に向かって眉を顰めていたので気のせいだったかもしれない。

「………なにしてんの?」
「お前のカノジョと話してた」
「見たら分かる。王様が遅いから僕までくる羽目になったでしょ」
「そもそもお前が嵌めるから悪いんだろ」
「あんなの嵌めたうちに入らないから」
「反則は反則だろうが!」
「その場で気づかなかったくせに吠えないでよ」

 現れて即座に影山と口喧嘩という名の戯れを始めたのは、今しがたの会話の主人公と言っても過言ではない月島その本人だった。私が影山と話し込んでしまったものだから、心配した山口あたりに派遣されてきたのだろう。ごめんね山口。

「あーーウゼエ!じゃあな月島のカノジョ」
「また話付き合ってね」
「ああいうのは本人に言え」

 そう吐き捨てた影山は、迎えにきた月島も置き去りしてさっさと体育館の方へと戻っていってしまった。
 そうしてようやく月島と向き合う。色素の薄い髪がきらきらと夕陽に反射するのが綺麗で、いつまでも見ていたくなる。

「影山行っちゃったよ月島くん」
「僕が来る前にそうして欲しかったんだけど」
「ごめん、面白くて引き止めちゃった」

 既に小さくなりはじめている影山の背中を指差せば、月島はひとつ大きなため息をつく。きっと影山は体育館に戻ったというよりは月島から、ひいてはこの空間から離れたかっただけだと思う。わたしも月島が来なかったらまだ影山を引き止めてしまっていたかもしれないし、来てくれてよかった。

「ああいうのって?」
「……内緒〜〜!」
「へえ」

 好きな人の話を第三者にしたとしても、同じ話を好きな人本人にできる人はそう多くはいないんじゃないかな。私はちょっとできそうにない。その意を伝えるべく顔を逸らしたものの、月島は高い位置からわざわざ屈み込んで顔を覗き込んできて、にやりと意地悪く笑う。

「じゃあ僕も戻るから」
「うん、あとでね」
「……今から心臓鍛えに来る?」
「っ聞いてたんじゃん!」
「声すっごい響いてた」
「……今日は無理!今度!」

 なんだ、残念。そう言って愉快そうに目尻を下げた月島の表情は、おそらく影山はおろか、いまも第二体育館にいるだろう女子の誰も見たことがないものだろう。影山にはああ言ったものの、こんなことを思って心の隙間が埋まる様に感じる私は、やっぱり素直に応援の声を挙げられる後輩達を羨ましく、妬ましく思っているのかもしれない。

「蛍、がんばってね」
「春も、それ飲んであとちょっと待ってて」

 おおきな手のひらが私の頭を撫でたすぐ後、オイ月島!と遠くから声を張り上げているだろう影山の声が届く。見えもしないその姿を睨み付けるようにして、それから私に背を向けてすたすたと早足で体育館へ戻っていく。部活が終わればまた会えるのに、なんだか名残り惜しくてその後ろ姿を見えなくなるまで眺めていた。

 私が教室へ戻るころ、手の中のぐんぐんヨーグルはすっかり冷たさを失ってしまっていることだろう。