劇薬の縁で踊る2

※引き続きR-15



 スーツのジャケットを脱いで、出来るだけそれっぽい雰囲気にならないように普段よりも乱暴にテーブルの上に放り投げた。所作にも厳しい降谷さんの前では怒られてしまうかなと一瞬思ったけれど、さすがにお咎めなしのようである。
 同じようにジャケットを脱いでいる降谷さんを横目に、無駄に大きいベッドに乗りあげた。自分からジャケットを脱いでベッドへと向かうなんて普段ならまず行わない行為に、それだけで顔に熱が集まるのを感じる。私の経験値の浅さを舐めないでほしい。
 嫌味なほどふかふかのベッドにぺたりと座り込むと、降谷さんは残っている方の瓶を手に取ってじっと眺めていた。

「降谷さん?」
「……俺はどうしようかな」
「……あ」

 私に話しかけているのかそうじゃないのか、微妙なトーンで降谷さんがつぶやく。きっと私が返事をしてもしなくても、薬を飲んでも飲まなくても、本当にどっちでもいいのだろう。降谷さんはしてほしいことがあればしてほしいと言うし、やりたいことがあれば多少押し通してでもやり遂げる人だ。私にも聞こえるように呟いたのは、どちらかの意志があれば聞き入れてくれるつもりだからかもしれない。

「私はどっちでも大丈夫です」

 というよりも、どちらとも言えないのが本当のところだ。自分は制止を聞かずに飲み干したくせに飲まないでとは言えないし、かといって飲んでほしいとお願いするのもおかしな話じゃない?
 どっちにしたってもう薬を飲んでしまっている私がガバッといく予定なのだから、降谷さんまで薬を飲んでつらい思いをしなくたっていい。しかし薬の力なしに降谷さんをその気にさせられる気もしなくて。結局口からこぼれた答えは、要するに「降谷さんにおまかせします」であった。

「ふうん」

 じゃ、一旦いいか。やけにあっさり瓶をテーブルに戻した降谷さんもベッドに膝をつく。弾みで私の身体も跳ねた。本当に、腹が立つくらいにいいベッドだなあ。

「……本当にしちゃいますからね」
「それは俺の台詞じゃないか?」
「降谷さんは目閉じてもらえたらそれで」
「はあ……」

 こんな時にまで勇ましい必要はないと思うぞ。柔らかい声で呟かれた優しい言葉に、やっぱりだ!と、薬を口にした時の私の考えが間違いでなかった事に心の中で声を上げる。

「あの、スーツの下脱ぐ間だけ本当に目瞑ってもらってもいいですか……」

 甘い言葉に縋ってしまう前に早く事を進めなきゃ。私が先導しなきゃ、なんのために薬を飲んだのか分からない。その思いから思わず口走ってしまった言葉は、情緒も何もない、あまりに間抜けな一言であった。こんな時に発する言葉をひとつも持ち合わせていない事実に、思わず両手をついてすべてを諦めてしまいたくなる。いっそより勇ましく、ジャケットと一緒にスラックスも脱いでしまうべきだったかもしれない。雰囲気を作るのも変だけど、これじゃああまりに雰囲気ぶち壊しだ。この最悪のミッションを完遂するには、ちょっとでも降谷さんにその気になってもらわなきゃいけないのに。
 やっぱり薬、飲んでもらったほうがいいかもしれない。ベルトの金具をかちゃかちゃと鳴らしながら思案していた時だった。

「それ」
「はい」
「俺が脱がせてもいい?」
「は、」

 思いもよらない降谷さんからの提案に、引き抜いたばかりの細いベルトがぽすん、とベッドに落ちていく。

「いえ!降谷さんのお手を煩わせるほどではっ」
「書類仕事の時と一緒なこと言うんだな」

 くすくすと笑みをこぼしながらも、降谷さんは膝立ちになっている私へと腕を伸ばした。これからもっと踏み込んだ行為が待っているのに何を、と思われるかもしれないけれど、ものすごくいたたまれなくて思わず逃げ腰になる。

「逃げないで」
「ひゃ!……〜〜っ!」

 私が逃げるのを阻止するようにぐい、と腕が私の腰に回され、そのはずみで口から零れた声に思わず口を塞ぐ。へんな声でた……!

「……」
「す、すみません」
「いや、」

 私の声に一瞬降谷さんがこちらを見るものだから思わず謝ったけど、降谷さんはふいとすぐに視線を逸らして私のスラックスの金具に指を掛けた。逃げ場を塞がれた私はなす術もなく、ストンと膝元にスラックスが落とされる。結局目を閉じてもらう以前の話になってしまったせいで、たいして肉付きの良くない太ももも、色気のない下着も降谷さんに晒されることになった。どうしよう、このまま消えてなくなりたい。やっぱり薬を飲んだときの勢いのまま、もっとガッといくべきだったんだ。もうこの先に進める気がしない。身体が火照っていくのと一緒に、思考も焼き切れてしまえばいいのに。

「高階、最近ちゃんと食べてる?」
「えっ、待って、」
「なんか細くないか?」

 当初の計画であった薬のせいにして積極的に出ることすらできないでいると、スラックスを下ろしたきりだった褐色の指先が、剥き出しになった太ももに触れた。十分に薬の効いた身体はたったそれだけで小さく跳ねる。
 確かに降谷さんは最近ほとんど潜入先にかかりきりで、今日会ったのもひと月ぶりくらいだった。そのくらい間が空くといつも体調や食生活を気にかけてくれる、とても良い上司なのだ。しかし、今回に限っては確かめ方がおかしくはないだろうか。思わず太ももを這う手のひらを掴む。

「あ、いっぱい食べてます、〜〜っ手!」
「ならいいけど」
「やっ、今本当……っだめですから!」

 咎めることができたのもほんの一瞬。手のひらや指と指の間を爪で軽くくすぐられて、反射的に自ら手を放すことになってしまった。そんな私にはお構いなしで、降谷さんの指先はさっきまでよりも際どい場所に触れていく。しまいには腰を掴んでいた方の腕までシャツの中に入り込んで、指の腹だけで腰をなぞられた。    

「っ!」

 太ももといい腰といい、仕事の時にお互い触れたことくらいはあるはずであるのに、熱のまわった身体はびく、といつもとは違う反応を見せた。思わず目の前にある降谷さんの肩をぎゅっと掴んでしまって、慌てて手を離す。

「掴んでいていいのに」
「いや、それより手を……!」

 どうやら聞く耳持たずを貫く様子の降谷さんは、シャツの中に忍ばせた手のひらをするすると上昇させていく。指の腹が背中を辿るのがたまらなくて、けれどそれをたまらないと感じる自分が許せなくて、心と身体がばらばらってこういうことなのかなあ、とぼんやり感じる。
 でも、この事態を迅速に収束させるためにはたまらない方がいいんだろうな。私が痴女になるのが一番の近道だろうに、情けないことに経験値の浅さと理性の働きっぷりのせいでいまのところなにも先手をとれていない。

「あ」

 それ以上はまずい。そう思う頃には既に下着と背中の間に降谷さんの指が入り込んでいた。しばらく下着のふちをなぞっていたかと思うと、いよいよ金具に指がかかる。

「や!ねえっ、降谷さんはそんなことしなくていいっ……」

 それが外れてしまったら、もう「部屋から出るためだけの行為」だとは言えなくなってしまうような気がした。だって、部屋から出る条件を満たすのにわたしの貧相な胸は必要ないのだから。
 慌てて身を捩ったけれど、結果的に抱きしめられているみたいな体勢になっているせいでたいして効果は得られない。

 ぱちん。私の気持ちとは裏腹にあまりに軽い音だった。決して心地いいとは言えない解放感に、可能な限り降谷さんと距離を取る。

「そんなこと、ね」
「もっ……も〜〜!」
「俺は目閉じてたらいいんだったか」
「目閉じてる間に終わらせちゃいますから!もう!」

 リラックスさせるためにいつもの雰囲気のまま会話を続けてくれているのだろうけれど、やってる事がやってる事なので段々嫌味に聞こえてきた。……もしかして本当に嫌味なのかな?兎にも角にももう腹を括るしかない。どうにかして主導権を握って極力事務的に終わらせよう。このまま降谷さんに先導してもらっていたら心臓がもたない。

「高階が俺の上で腰を振るのも、まあ見てみたい気はするけど」
「っわざと変な言い方するのやめてください!……っわ」

 ほら!ほらね!目の前で意地悪な顔を向けてくる上司以外の誰に届くわけでもない叫びは、すんでのところでどうにか口に出さずに済んだ。私を気遣ってそんな言い方をしているのは分かる。分かるけど、耐えられるかどうかはまた別の話なのだ。

 飲み込んだ言葉の代わりにささやかな主張をぶつけた時だった。すぐ目の前に腰を下ろしている降谷さんが体重をこちらにかけてきて、ほとんど身体の自由が効かない体勢の私はなす術もなく背中からベッドへと沈んでいく。すぐに顔の両脇のスプリングが軋むのを感じて、気づけばアイスグレーの瞳に見下ろされていた。どきん、と心臓が高鳴るのと同時に、少しだけ痛む。

「俺はこっちの眺めの方が好きかな」
「知らなくてよかった情報ナンバーワンです……」

 自分の顔を両手で覆って、その中でもごもごと曇った声で不満をこぼした。こんなにスマートに押し倒す事ができる事だって知りたくなかったし、これから起こることの全て、知らないままでいたかったことばかりなのだろう。それらを知ったところで、私が相手になることなんて今後二度とないのだから。
 このぐしゃぐしゃな気持ちも薬のせいってことにできないかなあ。せり上がる涙を押し戻すのに必死で、しばらく手は離せそうになかった。