エフェメラル論・着地
「せんと、」
「……出雲」
「ごめん……っ、ごめんね、私、何も出来なくて」
ふるり、と、常は気怠げに細められている瞳を包むまつ毛が閉じられて、震える。
――本来なら。私が彼を、戦兎を支えなければいけない役割で。決して、彼に助けられる側に回ってはいけなかった。桐生戦兎という男は、筋金入りのお人好しで、ヒーローだったから。一度でも助けを求めてしまえば、手を伸ばしてしまえば、私は彼の背中を迎えることが出来なくなってしまう。
こぼれ落ちるみにくい涙を人差し指で静かに拭い、私は瞳を開いた。不安でも、悲しくても、笑うことにはなれている。そこに愛想なんて存在しないけれど、ただ、それは私を奮い立たせるための。
「なんでも、ないよ」
「そんな訳ないだろ。……大丈夫、俺に話してみな?」
「なんでもないの。本当に、大丈夫」
心配そうに視線の高さを合わせる戦兎に、ゆるく微笑んで。助けて欲しかった。手を伸ばしたくなかった。涙を拭って欲しかった。涙を見せたくなかった。手を握って欲しかった。私なんて気にしないで欲しかった。
「私は大丈夫だよ、戦兎」
「――……」
「ね、」
戦兎の瞳の奥が、揺れている。緩やかな動きで、右手を彼の頬に伸ばした。戦兎は私の手が頬に辿り着く前に、その手を握り締める。
「出雲、出雲、……っ出雲、なんで」
「だって、私は葦原出雲。天っ才!心理学者ですから」
彼は自分のことを天才物理学者と称する。そしてそれは、真実であることに他ならず。そのセリフの、所謂オマージュ。パロディ。おどけつつも私の右手を捕まえている彼の手に残った左手を添えれば、揺れていた戦兎の視線は定まった。額を合わせる。
「……大丈夫だよ、戦兎。大丈夫。私が居る」
程近い距離にいる私だけにしか聞こえない涙の音が、コンマ1秒の間、その場所に残っていた気がした。見返りを求めない、正義のヒーロー。最早人間が保てる精神ではないけれども、それそのものを心に抱く戦兎が泣きかけるなんて珍しい。彼の背中に手を回せば、涙の音は大きくなるばかりだ。
戦兎が泣いている理由が私にある、なんて、私は終ぞ知らないままだったのだけれど。