あるものねだり
 物心がつく時には既に、私の傍にはアルセーヌ・ルパンという男が居た。アルテミシア、とその声で呼ばれるのが心地好くて、暖かな春の陽だまりに包まれている気分になる。その男は訳知り顔で私を見詰め、頭を撫で、私が泣きそうになればあやしてくれた。ただ、彼はあまりに忙しくて、私と話せる時間はそう多くはない。だからその代わりに、コグレ、という執事と、ノエル、という男が私のことを見ていてくれていたのだ。アルセーヌ・ルパンは私の叔父だった。では私の両親はと聞けば、三人は揃って困ったような、悲しい顔をする。そんな顔が見たかった訳では決して無かったから、いつしか私は自分の両親がどうなったのかを聞くことは無くなった。アルセーヌさまを叔父様と呼ぶようになって久しい。私はこんな穏やかな春が続くと信じて疑わなかった。
 
 叔父様が私を次期当主に推して下さった。いつも忙しそうにしている叔父様が申し訳なさそうに私にそう言うから、叔父様がどうか安心しますようにと、是を返す。申し訳なさを滲ませた表情は薄くなったが、今度はごめんと謝られ、私は叔父様に抱き締められた。

「よろしくてよ、叔父様。私、立派なルパン家の当主になってみせるわ」

 これからは私も叔父様の忙しさを減らすために頑張ろうと思い、勉学に励んだ。変装はコグレにだって見破られないくらい得意になったし、ノエルを手伝えるくらい頭も良くなったし、プログラミングも出来るようになった。けれども、二人はずっと、叔父様が優しかっただとか、凄かっただとか、ずっと叔父様の話をする。二人の目の前に居るのは、私なのに。次期当主になるのも私で。褒めて欲しいのも、私だ。家を空けることの多い叔父様のことを賞賛する言葉を長い年月耳にした。何を言われるのかももう覚えてしまったし、空で何も聞かずに言えるようにもなった。それが虚しいことだとは知っていても、この苦しさを紛らわせるためにより一層力を入れて帝王学だって学んだけれど、それは叔父様に否定されてしまった。ルパン家に必要なのは帝王学ではないと。あなたのようなカリスマがあれば別だけど、私には出来ないなどと斜めに思ってしまうようになったのはこの頃からだ。
 
 ――叔父様が死んだ。ルパンコレクションを守れなかった。衝撃が私の頭を襲い、硝子のように散っていったものが何か分からないまま、私は叔父様の元に膝をついた。心がもう嫌だと叫んでいる。厭わっていた叔父様のことを尊敬していた、憧憬の目で見ていた。叔父様に面倒を見てもらったし、それに、それに。言いたいことが纏まらなくて頭が揺れる。吐き気がした。なのに、叔父様、どうして。

「当主はお前だ、アルテミシア」
「――……叔父様」

 どうして、そんなことを今、言ってしまうの。
 
 私は一人のメイドに頼み込んだ。どうか私の代わりとなってくれ。幸い彼女とは背格好も同じようなものだし顔立ちも似ていたから、何とかなるだろうと思って。コグレが最近日本で何かをしているというのも聞いていたから。変装をして日本へ発ち、私は氷漬けにされる人々を見た。その人たちが大切だったのであろう人間が崩れ落ちているのを、見た。
 助けなければ、とも、守らなければ、とも、思った。けれど足は動かない。どうして動いてくれないのか。叔父様ならこんな時、きっと何の躊躇もなく助けるのに。
 ――そうだ。叔父様はもう、私の目の前で、息を止めてしまったのだ。

「私に期待している訳ではないものね、コグレは。……ここで新たなルパンでも探すのかしら」

 ……奇しくも、その予想は当たっていた。ルパンレンジャーと名乗る者達。コグレがスカウトした青少年たち。あの場で私が動かなかったことで、こうして動くことになってしまった、未来ある子供たち。
 罪滅ぼし、とは、嘘でも言えないけれど。

「あの、こんにちは」
「……アンタ、誰」
「えっと、月村或音と言います。ここ、カフェ……ですよね? ここで働かせてください、宜しくお願いします!」

 見守ることくらいはしなければ。私が日本に来た意味すら、無くなってしまう。