最終話.リスタート


記憶をたどって彼の研究室に行く。自室のデスクに置かれていたカードキーで、すんなりと研究室の前にたどり着いた。音もなく鉄のドアが開き、広い部屋への道が続く。
カプセル、チューブ、モニター、パソコン、人の気配が何もない部屋の奥に、アーデンの後ろ姿があった。その目の前にはアーデンの等身大のカプセルがあった。その容器の中はエメラルドグリーンの液体で満たされており、神秘的な光であふれていた。カプセルには多くのチューブがつながっており、他の機械に接続されている。

「これ、なんだと思う?」

アーデンは私が声をかける前に口を開き、振り向いた。私はアーデンの隣に進んでから、首をゆっくり傾ける。答えを促すようにアーデンを見ると、アーデンはカプセルへと目を移す。
その瞳は緊張と希望を映していた。

「…完成させるまでに20年も掛かったよ。ほんとうはもっと早くに完成させたかったんだけどもね。」

長かったよ、と今までの苦労を思い返すように付け加える。私はアーデンの目線を追って、エメラルドグリーンを見つめる。
柔らかな色、少し波打つ動き、コポコポと気泡が湧き上がる音を聞いて、安心した。
これは何かに似ている…海?
いや、ちがう…、ああ、羊水だ。

「○。」

アーデンは私の名前を呼んだ。私はその柔らかなアーデンの声に振り向くと、真剣な顔をしたアーデンがいた。なに?と戸惑って背筋を伸ばすと、アーデンが静かに片膝をつく。
大きな手が私の片手を握ると、彼の口元に運ばれた。

「え、なに?どうしたの?」

フラッシュバックする。このシチュエーションは昔一度体験した。それは、アーデンからプロポーズを受けた時だ。重なり合う記憶と今の二人。ドキドキと脈が速くなる。

「俺の子どもを産んでくれませんか?」

……
一瞬、思考が停止した。定められていた人生を覆すその一言に、頭が真っ白になる。

…コドモ?私たちは、子どもが作れない。シガイである私たちは、死、そのものだ。そこに命なんて、対照的なものは程遠い存在であって、かつて諦め、手放したものだった。

「…え?」

やっと出た言葉はこれ、これが精一杯で、…目頭が熱かった。

「これはね、俺たちの子どもを作るのに必要な容器なんだ。以前、バーサタイルの遺伝子操作をしている時に、こっそり遺伝子研究をしていてさ。やっと分かったんだよ…シガイであっても子どもを作る方法をね。」
「…でも、そうしたら、その子も。」
「俺を誰だと思ってるの?俺は、かつて、人々を病から救った男だよ?自分の子どもから病を吸収すれば、その子どもはただの人間になれる。…でも、そうしたら寿命が他の人間と同じ進みになってしまうから、俺たちと同じ時間は過ごせない。必要であれば、害のない範疇で病をとどめておく必要も出てくるかもしれない。…まあ、そこはどうしようかずっと悩んでいたことなんだけれどね。…その子が決めることでもあるし、…無責任かもしれないけれど、それでも俺は君との子どもが欲しい。そして、その子が幸せになるために出来る限りの事をする覚悟はある。」
「…アーデン。」

アーデンには覚悟があった。でも、躊躇いもある。苦しいほどの葛藤も、声ににじみ出ていた。

「ねぇ…○」

アーデンは、どこかすがるように私を見つめた。

「シガイの俺でも、愛する女性との子どもが授かりたいと願うことは、無責任かな?」

いつも飄々として、涼しそうにやってのけるアーデンが真剣に問う。
何千年生きているアーデンでさえも答えが出せなかった問いだった。…でも、心のどこかで認めてほしいという彼の叫びをひしひしと感じる。

「…っ。」

私は躊躇った。私にもその答えがなかったから。シガイの私たち。その子どもを、幸せにするための覚悟と知恵。その先には苦難があることは目に見えている。でも…その先を知っておきながらなおも、愛の結晶を得たい切望する。
そのアーデンの願いは私の願いでもあって、それに応えたいし、うなづいてあげたい。手を伸ばせば、諦めていた夢に届くところまで、彼は実現させてくれたのだから…。

「アーデン、私にはその答えが今でない。」

私の素直な答えに、アーデンは無表情で私を見つめた。私は彼の手を握って、続けた。

「でも、絶対に答えは出したい。私だってあなたとの子どもが欲しいし、応えたいの。…20年間、アーデンが道をつくってくれたんだから、今から私も一緒に考えたい。だから考えさせて。…その、…三人で、…どうすれば幸せになれるのか、について…を。」

アーデンの手を握りながら、私は精一杯に答えた。そんな私を瞳に映したアーデンの顔に光が差す。無表情のアーデンの口元に、やっと笑みが浮かんだ。

「…そう言ってくれると思っていたよ。だって、俺が選んだ女性だもの。」

どこか安心したように、アーデンは私を抱き寄せた。私もアーデンを抱きしめると、いつもより背の低い彼の肩口に顔をのせる。
私はアーデンへの愛が胸いっぱいに広がって切なくなった。

「ありがとう。アーデン…、この20年間、私は勝手で…なにも分かってあげていなくて…本当にごめんなさい…。」
「いいんだよ。」

アーデンは子どもをあやすように私の頭を撫でる。私はたった今、この空白の時間、いや、それ以前から、彼が私よりも優先していたものに気づいた。今までの私はそれを知ろうともせずに、彼から遠ざかり姿を消していた。そんな私を一度も怒りもせずに、彼は探しに来てくれた。私は自分の未熟さと、無知さと、勝手さに涙が出た。そうすれば、決まってアーデンは言葉をかけてくれる。

「もぉ、泣かないの。子どもに言われちゃうよ?泣き虫ママって。」
「…ご、ごめっ。」
「まぁ、ちょうどいいや。」
「え?」
「子どもが幸せに生きられる道を探している間に、君の泣き虫癖も治るかもしれない。」

ふふっ、と優しく笑うアーデンに、胸がキュンとなる。私はアーデンの顔を見つめてから、自分からキスをした。アーデンも、優しく応えてくれる。深く深く、互いの絆を確かめ合うように。まるで一つになったように、心の奥底から溶け合っていく思いだった。心地よくて、いとおしい。

「…愛してるよ、○。俺たち夫婦の仕事はまだまだたくさんから、頑張ろうね?」
「うん。」
「大丈夫、俺たちなら、」
「乗り越えられると思う。」

大丈夫、ともう一度、長く深いキスを交わす。


end

今度は二人で幸せを手繰り寄せていく




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