香りの先


ドアを開けた瞬間、驚いた。業務や訓練に対する緊張感や戦意の熱が、その冷めた色を見つめたら一気に消えた。

「これは?」

私の部屋の前に置かれた青い薔薇。しゃがんでその幻想的な花束を手に取ると、確かに薔薇。ちくりと紙越しに感じる棘の痛みを確認した。

でも、一体誰が?キョロキョロと辺りを見渡したところで、当然ながら、誰もいない。

薔薇の配置も、私の足に踏まれない適度な場所に置かれていた。おそらく、これは私へのプレゼント。

「いい香り…。」

鼻先を薔薇に近づければ、濃厚で気高い香りが鼻腔に注がれる。

うっとりと、現実を忘れて、ある人を思い浮かべた。この花のように青い瞳をしたあの人。幾多の兵士を束ね、戦地へ引き入る彼。兵士を地獄へ誘う死神と囁かれることもあるが、私にはそうは思えない。彼は、私たちを希望へ導く人だった。

ー カーン、カーン!

淡い恋心に浸った時、集合の鐘が鳴り、私の顔も青ざめた。立ち上がって、この薔薇をどうしようかオロオロして、部屋に戻ったり、水に浸したりしているうちに、私は朝から早々に大遅刻をしてしまった。

◆◆◆◆◆◆

「やほー!今日は朝から忙しなかったね!なんで遅刻したの?」
「いや、それが…。」

上司のハンジは決して怖い人ではない。巨人が絡まなければ、比較的温和で言葉も柔らかい。すみません、と頭を下げても続けざまの叱責はなく、むしろ興味深気に耳を傾けてくれる。

「…ッ?」

でも、私が朝の出来事を話す前に私は自分で言葉を止めた。…香ったからだ。朝の匂いが。ヒクヒクと鼻を動かして、ふりかえる。後ろには誰もいない。
不意にふわりと部屋に舞い込んだ柔らかな風。開いた窓から顔を出すと、その香りが強くなる。

「どうしたの?」
「薔薇の匂いしませんか?」
「んー?言われてみれば、するね。でも、おかしいな。こんなところに薔薇なんて咲くわけないし。」

ハンジさんも香りを辿ろうとするけれど、やはりわからず。でも、私は知りたいからか嗅覚が強まっているようだ。直感もあるけれど、この近くに送り主がいると思った。私は咄嗟にヒラリと窓を跨いで外にでた。

どこいくの!?というハンジさんの声も無視して、足早になる。風が誤魔化していなければ、その先にいるはず。高鳴る胸のまま駆け足で曲がり角を曲がれば、一人の背中が見えた。

その人に息を飲んだ。
サラサラと絹糸のように細く滑らかな金髪が風に揺れている。広い背中に、長い足。私が彼の背中を息も忘れて見つめていると、その歩みがとまる。

「今日は風が強いな。」

低い声とともに、私の体を包み込んだのはあの香り。胸が高鳴って、なんといったらいいのかわからない。非常時に強いはずの私が、頭は真っ白で、でも頬がバカみたいに真っ赤に緩んでいた。

そんな私を察していたのか、肩越しに振り向いた凛とした顔は笑っていた。


「喜んでもらえたかな?」


end
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