従順な愛


「誰でもいいのか?」

私に向けられた声は呆れているような苛立っているような試しているような複雑な声だった。

夜遊びなんて初めてした。
ダメなことをしてるってわかってるのにそういうことに慣れてしまった男女の世界は平凡な私にとってあまりに刺激的で官能的で惹かれた。

無責任な相手選び。
後先考えない行為。
愚かしいのに全く後悔はなかった。

なのに、この人に見つかった途端、後ろめたくなった。

彼は薄着で疲れた顔の私を見て何があったのか察した。今の私は気だるい口調だし、酒の香りと吸うことのないタバコの匂いを漂わせている。私を知らない人が今の私を見たら遊び慣れた女だと勘違いするだろう。

彼の目線は地面に落ちると重そうに閉ざされ、はぁー…と幻滅と落胆のため息を吐いた。それが妙に応える。まるで優等生に見せていた自分は実はそうではなく、そのことを親や教師に見つかって幻滅されたような気分。
でも、私は挫けず、それが何だと言うように開き直って背を向けた。
ここまできたんだ。彼に何と思われても良かった。彼は恋人でも何でもないもの。
怖いものなしの私についてくる足音。私をまともな道に引き戻すかのように長い手が伸びた。

「誰でもいいなら俺にしろよ。」

我が耳を疑う。彼は女で遊ぶ男じゃない。
彼はこの世界を冷淡に見ている。ここに生きてるのに生きてない。だから、こんな私を見て性的に緩むなんて思わなかった。


「俺はお前にする。」


◆ ◆

一夜で2人の男と寝ると体力以外にとても疲れた。
布団を胸に手繰り寄せて、ベッドに腰を掛けて私に背を向ける彼を見つめる。軍人だから当然だけど筋肉質で硬くて無駄な肉がない体は美しい。月の光を頼りに彼の背中と腰を見つめていたら彼はタバコに火をつけながら酷いをことを言う。

「お前が下手で良かった。」
「なっ…何急にっ。」

事実であれ失礼な感想に顔が熱くなる。

「く、クルーガーさんだって!」
「お前で覚える。それでいいだろ。」

そう。私たちは下手だった。思った通りで彼は女で遊ばなかった。そんな時間は無意味とでもいうように生きていたのか性欲が沸かないのか。
だから、今夜遊んだ男の方が気持ち良かった。でも、行為に安心出来たのはクルーガーさんの方。

彼は私を労わりながら触ってくれた。自分も辛いのに耐えて行為をやめたり待ってくれたり、「無理をするな」と低温の優しさを注ぐ。

「俺以外の男を誘うな。」
「クルーガーさん、そんなに暇じゃないじゃん。」
「何だ。そんなに欲求不満なのか?」

肩越しに振り向いて瞬きもしない目はなかなか驚いた目だった。言ってみただけ、とはぐらかすけど彼は騙されない。火をつけたばかりのタバコを無言で消すと私に跨り、慌てた私を無視して肌を重ねた。

なんで、どうしてすぐに応えてくれるの。こんな馬鹿な欲求に。今夜の彼は私のためにいるみたい。蓋ができないほど溢れたつまらなさや孤独や興奮ありのままに慰めてくれる。

「だめだよ、私にとって都合のいい人になっちゃうよ。」
「今更どうした。ここまでして後戻りなんて出来ないだろう。」


◆ ◆

「目の下にクマが出来てるぞ。お前、そんなに仕事していたのか?」

グロスに言われても動じず、俺は空を見たままタバコを蒸す。長年共にいるグロスであっても俺が女と夜更かしをしているとは思わないらしい。

「愛想のないやつだな。そんなんじゃいつまで経っても女が寄ってこないぞ。」

つまらない会話をする気はなく、俺は●を想っていた。
この時間なら昼休憩か。好きな本を片手に紅茶でも飲んでいるんだろう。俺がこんなふうに想っているとは知らないだろう。

●にとって俺は性欲を満たすための男だ。
日が昇れば服を着て出ていく●の背中を見送る日々。この時●が振り返れば何かが大きく変わると期待するが結局振り返らない●を黙って見送るのが常だった。1人になった俺は慰めのタバコを吸い、まだ暖かなシーツに手をつくのが朝の流れ。今朝もそうだった。きっと明日も。

俺は不確かな関係に疑問を持ちながらも、仕事を終えると●の家に寄るのが習慣になっていた。訪ねた時に●が起きていれば抱き合う。●が寝ているもしくは寝たふりをしてドアが開けなければそのまま帰る。全て向こうの気持ち次第。

ー 今夜はどっちだろうな。


◆ ◆

「上手くなったな。」

頭に手を乗せて褒めるとしゃがんでいた●は立ち上がって隣に座る。俺が押し倒そうとすると俺を片手で制した。

「クルーガーさんといるのは飽きない…クルーガーさんはどう?」
「何だいきなり。」

急な質問に聞き返すと●は失敗したと思ったのか目を逸らして「何でもない」と打ち消した。そのまま話を流そうとしたから俺はもう一度聞く。

「飽きないなって。」
「体の相性がいいんだろう。」
「…うん。体の方は。」
「何が言いたいんだ。さっきから。……何か不満がありそうな口ぶりだ。」
「……。その、」

よほど言いにくいのか顔を逸らして口籠る。言ってみろ、と促すと、

「体だけの関係って、やっぱりだめだよねって思って。」
「急にまともに戻ったか。」
「……クルーガーさんが相手をしてれたから落ち着いた気がする。」
「盛りが落ち着いた…つまり、もう俺は不要か。」

別に責める気はない。●の身勝手な時間に手を出したのは俺だ。

「今夜で最後とは急だな。…いや、最近のお前は全てが急だった。」
「ごめんなさい。」
「謝罪を望んでいるわけじゃない。そんなお前に振り回されることを望んだのは俺だからな。他の男に取られるくらいなら…とお前の腕を掴んだのはこの俺だ。」
「どうしてそんなことをしたの?…もしかして私が好きなの?」
「ああ」
「え。…そんなのうそ…」

そうは言うが●の目は好奇心で光っている。

「本当だ。あの時のお前に純愛など要らなかった。雑に扱えるいい加減なものが欲しかったんだろ?だから合わせた。そして、お前が落ち着いた時は心から向き合えればいいと思っていた」

これはずっと言いたかった本音だ。今ならこの言葉が響くと願おう。重いと思われず、嬉しいと喜ばれたい。

「クルーガーさん…」
「……。」
「また急だって言われると思うけど、今すごく心が欲しい。…もちろん、全部身勝手なのはわかってる!でも、あの時の私は本当に何もかも嫌で悪い方に走りたかった。散々やらかして、やっとこのままじゃダメだってわかった」
「人間は完璧じゃない。お前にだってそんな時があっても仕方ないさ。」

俺に受け止められた●は肩の力を抜いて、「ありがとう」と言った。疲れと緊張が滲み出た声だった。そんな声で感謝をされれば労わりたくなるし今までのことを全てを許せた。

娼夫のように都合のいい男であった甲斐があった。
本当に惚れてしまうと相手の勝手も拒めなくなり、どれだけ酷く扱われても否定も怒りも湧かなくなる。

最後にまともなお前に戻ればいい。
そして、俺を選べばいい。

愛や恋は時に恐ろしい。残念なことに基準がない。最後にこれで良かったと思えれば過程なんてさほど重要ではないのかもしれない。そんな考えが甘いとか情けない男だと思われようとも●を手に入れた今、今までのやり方で間違いはなかったと確信した。


「もう"誰でもいい"なんて言わせない。わかったな?」
「うん」


end


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