知らぬ間に滑り込む


「読み終わった。興味深い本だったよ。」

廊下ですれ違った時、団長は私を捕まえるように言った。団長の隣には兵長がいて、私と団長の会話を聞いていたけれど、多分なんの話かわかっていない。私たちだけが知っている二人きりの会話。

「面白かったですかっ?」
「ああ。君が勧めてくれる本はどれも当たりだ。私たちは同じ価値観を持ち合わせているようだ。本を返したいのだが、あいにく今は所持していない。今夜、私の部屋に取りにきてくれないか?」
「はい!わかりました。」

忙しい団長が私が貸した小説を読破してくれた。それも2日で。文量も少ないから読めなくもないけれど、こんなに早いとは思わなくて感動した。
そして、私の口はムズムズしてくる。私が好きな本を共有してくれた団長と、あの本について語り合いたいから。…でもさすがにそれは時間を取りすぎるしできない。口をチャックしていると、彼はどこか微笑みながら、嬉しいことを言ってくれた。

「あの作家の本は、他にないかい?」
「あります!」
「もし良ければ、また貸して欲しい。」
「ぜひ!」
「では、今夜頼む。」
「はいっ。」

私は完璧に懐いてしまった。
読書好きなら分かると思うけど、好きな本がかぶった人にすごく好意を抱いてしまう。二人でその本について語りたくなるし、もっと共有したくなる。それがまた何よりも楽しいこと。そんなことをあの団長とできると思うとすごく嬉しかった。


◆◆◆◆◆
夜。私は弾む足取りで団長の部屋に向かっていた。お気に入りの本を小さな紙袋に入れて、本の中には栞も挟んでおいた。

団長室の前に来ると、やっぱり緊張する。ドキドキしつつ、拳を丸めてドアをノックしようとしたら先にドアが開いた。驚いたけれど、それよりも驚いたのは、出てきたエルヴィン団長らしき人の姿。
ブラウンのパンツに白いシャツ、その上に深緑のカーディガンを羽織っている。前髪は降りていつもと全く印象が違う。完全にオフの格好であって、私はビックリした。

「あっ、わ、え、エルヴィン、団長っ?」
「ああ。驚かせてすまない。足音がしたから、君かと思ってね。」

さわやかな表情。自然だけれど、笑いすぎない笑顔が眩しくて頬が赤らむ思いになる。私はあわあわしながら、胸に抱きしめていた紙袋を差し出した。

「こ、これ、どうぞ!」
「ああ。ありがとう。読ませてもらうよ。…さぁ、中に入ってくれ。」
「へ?…あ、はいっ。」

本を受け取った彼はドアが開けたまま、部屋の中へ入る。私は部屋に入ってドアを閉める。テーブルには紅茶と私が貸した本がのっていた。

「この本はとても考えさせられるものだった。結末も、いく通りの考察ができて想像力を掻き立てられる。この本について、君の感想も聞きたいんだ。少し、いいかな?」

まさかの展開に私は喜んでうなづいて、用意された椅子に腰を下ろす。その間に、団長はもう一人分のティーカップを用意して私に紅茶を淹れてくれた。

それからは、二人で本をめくりながら、おもいおもいの感想と考察を述べて、本の世界に没入する。私はその時間が本当に楽しくてたまらなかった。大好きな作家の大好きな話だから、団長以上に語ってしまった。そんな私を彼は手を顎の前で組みながら、笑っている。

「とても生き生きして語るね、君は。」
「あっ、…すみません!語りすぎましたっ。」
「いや、良いんだ。そうやって遠慮なく話してくれる方が私も気を使わずに済む。」
「…ありがとうございますっ。」
「君から本を借りることができてよかった。君とこうして二人きりの時間を手に入れることができるしな。」
「はい…、…ん?…えっと?」
「そのままの意味だが?」

少し首を傾けて答えを御簾に隠す。見えそうで見えない言葉の意味に、少し困ってとりあえず笑っていると彼は目を閉じて静かに息をついた。

「最近の私の楽しみは間違いなく君なんだ。君との趣味の共有が、日々の忙しさの緊張や焦りをほぐしてくれる。とても感謝しているよ。」
「私も団長と話せて楽しいですよ。」
「はは。それは嬉しいが、今は団長と呼ぶことはやめてくれないか?今の私はただの男だ。」
「あ、はいっ、…えーと、エルヴィンさん?」

少しだけ恥ずかしくなる。それと同時に変に緊張してきた。さっきまで語り続けることに何のためらいもないほど、楽しみしか感じていなかったのに、今私の心を覆うものは緊張と戸惑い。

「顔が赤いが、大丈夫か?リンゴのようだ。」
「 っ、ひどい、からかってる!?」
「悪気はない。」

この時の彼の声がどこか楽しそうで、からかわれていることに気づく。いつもお堅い彼がどこにもいなくて、女性を優しく弄ぶ紳士のようだった。
困った。恥ずかしいし、どう反応したら良いのかわからない。

「どんどん赤くなって、可愛いと思うが。」
「!」

綺麗な青い瞳が笑った時、部屋のドアがノックされた。びくん!と体が跳ねる。彼はドアに目を向けて立ち上がる。だれかな?とこわごわドアを見ると、開いたドアからハンジさんが現れた。手にはワインボトルが包まれている。

「やほー!のもー!エルヴィン!…って、あれ?」

眼鏡の奥の瞳が私の瞳とかち合う。そして、珍しいものでも見るかのように、首を伸ばして私を見た。

「あ!ごっめーん!お邪魔だったね?」
「すまない。今夜は先約がいるんだ。」

上層部の会話と私に注がれる視線。私は、勝手に慌て始める。
何か勘違いされてる!状況的にはそうなってもおかしくはないけどっ、なんか居た堪れないよ!と、頭の中で早口な独り言を放ってから、立ち上がった。

「どうした?」
「私、帰ります!分隊長とどうぞ!」
「良いんだって〜っ。私に構わず!」
「どわっ。」

ハンジさんの横を通り過ぎようとすると、肩をぐわしっと掴まれて凄い力で押し返された。そして、押し返された元はエルヴィン団長の胸の中。
厚くて硬い胸板が背中に広がっていて、恥ずかしくなる。

「あ、これ!よかったら2人で飲んでよ。ほいっ。」

ハンジさんのワインボトルは彼の手の中へ渡されて、彼女はドアを閉めて去って行った。残された私と彼。私はぎこちなく彼から離れると、彼はボトルを見つめて静かに笑っている。

「ハンジの配慮に感謝しよう。」

私の肩に腕が回る。赤いワインが緑のボトルの中で揺れて、それに見惚れていたら2人分の席へと戻されていた。

時間も遅いのに、これから飲むなんて…。私だって大人だ。万が一の展開が頭をよぎって、不安と期待が絡み合って溶けていく。
そっと顔を上げて彼を見ると、私と対照的な大人の余裕を浮かべながら、ワインをグラスに注いでいた。


end

「やぁやぁ、エルヴィン!昨夜はどうだった?…あの子とデキたの?」

廊下であってもハンジは気にせず気になったことを口にする。幸いエルヴィンとハンジしかいない廊下だ。彼はフッと唇を歪めながら、答える。

「残念ながら、酔いつぶれる前に逃げられてしまったよ。」
「あちゃー。それは残念だったね。」
「まぁ、焦りすぎて警戒されても仕方ない。また仕掛けるとする。」

自信に満ちた口調はエルヴィンらしい。狙ったものは逃さない。絶対に。
…あの子、かわいそうだなぁ。と心の中で呟きながらも、彼女は戦友を応援せずにはいられなかった。

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