スパイとしての生き方に揺れるクルーガー、切ない


全てはエルディア人のために。

そう思いながら同胞を楽園送りにしてきた。
昨日も、今日もだ。
俺と同じく自由を求めて命をかけて闘ってきた同胞たちを捕らえた。何人も何百人も。男であろうが女であろうが子どもであろうが泣き叫んでも助けず、一切の同情もなく、注射をし、地獄へ蹴落とした。

だが、ここで折れるわけにはいかない。
罪悪感からエルディア人を助ければ俺も楽園送りにされる。そうすればここまでの計画が水の泡だ。半端なことをすれば黙って蹴落とされてきた同胞たちの死は無駄になる。
エルディア人の自由は何百人ものエルディア人の犠牲の上で勝ち取れる。

そう自分に言い聞かせ、奮い起こし、一切の隙を見せずにスパイとして生きる日々だが限界が来た。

いや、限界というよりも逃げだろう。
そう、俺は●に出会って逃げたくなった。葛藤や罪悪感を手放して何もかもを忘れてしまいたい想いが度々出きてはそれを拭い去った。

だが、今夜は…多くの同胞を見捨てた。俺も人間だ。奮い立てない時もある。だから、雨の中、●に逢いに行った。


ーーーー

営業時間を終えたバーのドアを開けるとドアに向かってきた●と鉢合わせする。

「クルーガーさん?」
「悪いが、一杯頼めるか。」
「…はい。どうぞ。」

●は察しがいい。まぁ、雨の中傘もささずに歩いてきた俺を見てただ事ではないと思うのは普通のことか。
俺はカウンター席に座って●を待った。●は店のドアに掛かっているopenと書かれたプレートをひっくり返してcloseにしてカーテンを閉めるとカウンターに戻ってきた。

「ウイスキーをロックで頼む。」
「タオルも?」
「…ああ。頼む。」

ウイスキーより先にタオルを手渡される。俺は髪を拭いてタオルを肩にかけ、●が差し出したウイスキーを口に流す。

「何か食べますか?」
「ああ、なんでもいいから頼む。」

頼んでばかりだ。それは客としてではなく●に甘えているからだ。こんな俺を拒否しない●に自分の願いや想いを押し付けている。

顎の前で両手を組みながら料理を用意する●を見つめて想像した。
もし、俺がマーレ人に対する恨みや怒りを忘れて心もマーレ人になりきり、平凡に生き、惚れた女と世帯を持ったらこんな光景を我が家で見ることが出来たのか?
●との子どもができた時、マーレ人を崇めて優先する思想を子どもに教えられたか?
いや、そうしなければ。ほんの少しでも迷いができたら自分も●も子どもも殺される。家庭を守るために両親にされた残酷な現実を許し、何十年も心に遺った復讐心を押さえ込んで家族にも自分にも嘘をつきながら生きるしかない。

そんなことを…出来るのか。今更。ただ、そうした方が俺は幸せになれるのか。やっと?
だが、それでは今までしてきた同胞殺しの意味が変わってしまう。俺の存在はエルディア人への裏切りに変わり、悪になる。
そんな自分を恥じず、知らぬ顔で敵に寝返って同胞を殺し続けることに良心は傷まないのか?絶対に?家族のためにそこまでやり通せるか?…わからない。

「はい、どうぞ。」

温かなスープとパンが出されて思考が止まる。
そうだ。●への愛を優先して生きれば、こうして食事を出されただけでも一時的に忘れる。目の前の現実が最も大事で過去を忘れるかもしれない。

「隣で私も食べていいですか?」
「ああ。お前の時間を奪ってすまない。」
「いいえ。一緒に食べましょう。」

隣に●がすわり、同じものを食う。●と夫婦になればこれが当たり前になる。●との人生を考えることに慣れたら俺は苦しまずにすむ…のか。

会話は少ないが、今はそれくらいが良かった。
食事をした後にウイスキーを飲み干す。

●が皿を片付けている。その背中を見つめてから椅子から立ち上がり、カウンターに入って●を背後から抱きしめた。

「なっ!?びっくりしたっ。」

●が欲しい。酒のせいもあるのか欲に忠実になった。●との人生に生きてみたい。同胞の未来よりも俺の人生を満たしたい。…そんな脆さや弱みが出て止まらない。

ー お前が欲しい。俺の人生に

だが、この本音がとても重くてとてもいえない。
愛しているといえば俺は●を命をかけて守らねばない。その覚悟はあるが、実際本当にそんなことが可能なのか?いつか俺がスパイだとバレたら俺のせいで●が拷問を受けて巨人にされる。
そんなこと…するわけにはいかない。


だから、だから、何も言わずに●を抱きたい。とても身勝手だ。●から嫌われても幻滅されても仕方がない。ただ、●がいいのなら今夜だけでも●を無言で愛したい。これが最初で最後だとして…。



end



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