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「ただいま。帰ったよ。」

昼の12時丁度。
アーデンは虹彩認証を済ませると地下室の扉を開いた。地下の部屋に入った途端、転がっていた木椅子の破片を見て何が起きたのかを察すると愉快そうに口角を上げる。

「おや?…はは。やんちゃだねぇ。」

笑うアーデンは暗い部屋に似合わない明るく高い声を出した。

「おーっい。」

背後に二体の魔導兵を引き連れて廊下を悠々と歩く。一番最後に入ってきた魔導兵は彼女の昼食を丁寧に運んでいた。

「●ー?どこ行っちゃったの?早く会いたいなぁ。」

彼女の名前を呼びながら、リビングに入ると液晶テレビが画面にヒビを入れながら床に倒れていた。リモコンも床に飛び、中身の電池が外へ飛んでいる。

「あらら。早速新しいテレビ、買わないと…ねぇ?●。」

テレビから目をそらして横目を向ける。出入り口付近に包丁を構えて立っていた●に微笑んだ。今にも包丁を振り下ろしかねない彼女には既に魔導兵の銃口が向けられていた。

「その包丁で俺に料理を作ってくれるのなら嬉しいけどさ、俺に向けるのは怖いなぁ。」
「っ!」
「さぁ、大人しくソレをおろして。」

向けられた魔導兵の銃口を見た●はワナワナと震えてから、漸く諦めたように包丁を床に落とす。
涙の跡がくっきりと浮かぶ彼女にアーデンは手を伸ばしたが、彼女はそれをはねのけた。

「私、あんなことしてない!」
「ん?ああ、ニュース見たの?大丈夫俺は信じてるよ。君がやってないって。…なんてっ、俺が仕組んだんだけどねぇ。」
「やっぱり!人殺し!」
「まぁ落ち着いてよ〜。これで君を探す者はいないし、君が社会から消えてもみんなが納得する。でしょ?」
「酷い!私の人生は?もうめちゃくちゃ!私はいつもの日常に戻りたいの!あんなことしないで、嘘だと世間にいってよ!そして、返して!…私の家族を、トトを!!」

●は必死でアーデンに訴えるが、アーデンは肩を竦めて、それは出来ないなぁ、と残念そうに答える。

「君は俺と生きるしか道はないんだ。…まぁいいじゃない。ここにいたら何不自由なく生活ができる。俺だって容姿は悪くないでしょ?君がいうことを聞いてくれるのなら、たまにはこっそり外に出してあげるし、夜もうんと気持ちよくしてあげる。必要ならお金もあげようか。買いたいものはなんでも買うよ。」
「そんなの要らないッ、私は外に出たい!家に帰りたいの!」
「だから、もう君に帰る場所なんてないんだって〜!君はもう裁判にかけられて無期懲役の判決を受けるってシナリオがあるんだ。だから、仮にここから逃げられても再逮捕だ。」

彼の足はゆっくりと彼女の足元に落ちていた包丁を蹴る。●は涙を流しながら壁にもたれ、床にずれ落ちた。

「さっきは銃をむけてごめんね。怖い思いをさせちゃったね。君に銃を向けるのはこれで二度目だなぁ。」

労る声を出してアーデンもしゃがむ。眉を下げて寄り添うように慰めると●は反射的にアーデンを突き飛ばした。しかし、非力な女の腕でアーデンがよろけることはない。帽子が床に落ちたくらいだ。

「…はぁ、まったく。…ねぇ、自分の状況、分かってるよねぇ?いくら君が抵抗したってここから出ることはできないし、仮に外に出られても社会にはもう君の居場所なんてないんだよ。」
「…ひっく…、っく、…ひっぐ…。」
「俺のこと、も〜すこし大事にしたらどう?仮に俺が●のことを嫌いになったら、この部屋は永遠に閉ざされ、光も入らず、飲み物や食べ物も与えられない牢獄になる。…そんなのやだろ?」

●は唇を噛む。
ここが墓場なんて嫌だ。でも、性奴隷のようにこの男に抱かれる日々も耐えられない。それにいつか都合よく見捨てられるかもしれない。
それなら、いっそ…。

「ここで死んだ方がマシ。」

顔を上げてアーデンの目を見てはっきりと告げる。自分から処刑台へ上がった●は強い目をしている。強い反発と戦う意志。

「へぇ?随分とハッキリ言うんだねぇ。」

見据えたアーデンはゆったりと目を細めて口元を緩める。彼女の必死の抵抗さえ、彼にとっては軽いもの。相手が命をかけたところで、命の重みを忘れた男だ。

「本当にいいの?ここ閉めちゃうよ?1人孤独にここで死ぬの?」
「私は、…死んでも構わない。」
「そんな悲しいこと言わないで?俺は君とずっと愛し合いたいと思ってるんだから。」

アーデンは目を閉じて困ったように微笑むと彼女を抱き寄せて半ば無理やり抱きしめる。彼女の抵抗は彼にとって大したことはなく、怒った顔を眺めながら細い腰を撫でた。

「昨夜の君は最高だったよ。」
「や…やだ、さわんないでっ。」
「今夜はどんな顔を見せてくれるの?」
「離してっ!私はこんなところから逃げたいっ、もう…やめてってば!!」

近づいてきたアーデンの顔を両手で払うと彼の足を踏みつけて腕から逃れる。
流石のアーデンも眉を寄せてため息をついた。咎めるように彼女を見つめると、少しだけ低い声で半泣きの彼女に詰め寄る。

「あのさぁ、俺の権力は見たでしょ?君には選択肢なんてないんだよ。俺の愛に応えて大人しく生きる、それができなきゃここで惨めに死ぬんだ。…ちゃんとわかってる?」
「あんたがこの国の宰相だなんて…!何の罪もない人を殺して、私から全て奪って最低なことをして!…愛に応えろだなんて馬鹿なこと言わないで!」
「ああ、元気だなぁ。強気な子は嫌いじゃないけど、そんなふうに言われるとさすがに傷ついたよ。…本当に俺のものになる気はないの?」
「あるわけない!人を殺して、私を汚して…っ、あんたといるくらいならここで死んだほうがマシ!」
「あっそう…、じゃさよなら!」

アーデンは打ち切るように言い放つと、落ちていた帽子を取る。頭に帽子を乗せると、彼女の目を見つめながら口を開く。

「実は今日、夜会があるんだよね。そこには政治家の令嬢や貴族の娘が集まる。君がいるから参加しないことにしていたけどやっぱり行こうかな。俺、そこで浮気してくるよ。そこで出会う子が君よりも優しくて物分かりのいい子なら君のことを忘れちゃうかもしれないなぁ。…そうなれば、ここが君の墓場だ。1人孤独に濡れ衣を着たまま死を待つといい。」
「……っ。」
「それでは、ご機嫌よう。」

恭しくお辞儀をして、顔を合わせずに部屋を出ていくアーデンに魔導兵も続く。靴音が遠ざかり、やがて静寂が訪れた。

「…うぅ。」

誰もいない、なんの音も聞こえない地下に閉じ込められた●はその場にしゃがみ込むとわっと声をあげて泣いた。




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