11


衰弱し切った体は死を待っていた。何度も暗い夢が通り過ぎて、空腹で起きて、悪夢で起きて、…それを何度か繰り返すとだんだん起きなくなった。
寝るというよりは気絶に近く、時間が経てば気絶というよりは衰弱に近いものになっていく。それが彼女にとっての一つの救いだったが、一つの液体が彼女を起こす。

「ん…」

●の乾いた口に流れ込んだものはハイポーション。アーデンの唇から移されたそれは静かに彼女の体に栄養を運んでいく。

「起きたみたいだねぇ。」

久しい人の声に重いまぶたをあげて焦点を合わせた。乾いた唇がかすかに震えて、まだ生きていること、何も変わらない現実に戻ってくる。

「あ…。ぁ…。」

目の前のアーデンからは甘い香りが漂い、遊んでいたことが鼻先から伝わる。それに文句を言う気力もなく、半目で目の前のアーデンを見つめる。

「2日と10時間。それだけでこんなに弱るなんて予想外だったなぁ。最初声をかけても動かない君をみて本当に死んじゃったかと思って焦ったよ。」

焦ったとは言え、ふふっと鼻で笑うアーデンはどこまでも余裕がある。朦朧とした●の傷んだ髪を撫でながら、彼は諭すように彼女に質問をした。

「俺がいなくて怖かった?」
「…、…。」
「まだ死んだ方がマシなら、会いに来るのは本当にこれで最後にしちゃうよ?」

最終警告のそれにゆっくりと首を横に振ると、彼の口元は機嫌よさそうに歪む。

「じゃあ、俺に毎日来て欲しい?」
「……。」
「俺に浮気して欲しくない?」
「…、…。」
「…はは、相当弱ってるね。」

アーデンの腕が伸び、彼女の肩を抱くと引き寄せた。●の鼻につく香水の匂いはキツく、鈍く顔を逸らしたがアーデンはそれ以上の甘さをもって耳元で囁いた。

「…仲直りしよっか。この匂いも洗い流すために、一緒に風呂に入ろう。俺がぜ 〜んぶ洗ってあげるよ。」

◆◆◆◆◆

厚い胸板に顔を乗せて目を閉じていた。
体を洗われた後に熱い湯に浸れば、体の芯から癒されていく。

「気持ちいい?」

アーデンが私の髪を撫でると、その手の動きに合わせて水滴が水面に落ちて波紋を作った。湯気たつ浴室は大浴場のように広く、足元をいくつかの光で照らしているだけでありエキゾチックな空間が広がっていた。

「明るいと、俺と入るのが恥ずかしいかなと思って薄暗くしたんだ。これならあまり見えないでしょ?まぁ、俺としては残念だけど。」

アーデンは低く笑うと垂れ下がっていた前髪をかきあげる。●は彼のあぐらの上に座って湯に浸かっていた。
ハイポーションと湯のおかげで体力と気力がゆっくりと戻ってくる。

ー 私はこの男に依存しなければ…生きていけない。

死を目の前にして、最高の絶望を思い知った。潔く死など受け入れられない。何度も生きたいと思い、ドアが開く音を期待した。アーデンが戻ってくることを夢にまで見た。それほど、死ぬ勇気などなかった。
生きるためには、細い首に首輪をはめることを許せばいい。少なくとも、彼が私に愛想を尽かすまでは、生きていける。その間にどんな屈辱が待っていようとも。

「大人しいねぇ。なんだか別人みたい。体も素直に洗われたし、大事なところもたくさん綺麗にさせてくれたし、…やっということ聞いてくれる気になった?」
「……。」
「ンフフ…、その方がいいよ?俺、君のこと好きだし、君がいい子にしてくれたなら君のこと尊重してあげるよ。実は俺の方が君に飼い慣らされたりして。」

ピクリと顔をあげればアーデンがじっとこちらを見つめていた。そっと目を逸らすと頬に手を添えられて顔を戻される。

「俺のことをちゃんと受け入れたら、外にも出してあげちゃうよ。勿論、俺と手を繋いでだけどね?」
「…外に?…それ、本当?」
「ほんと。でも、俺を裏切ったらきっと死ぬより辛い目に合わせちゃうからね。」

キュッと細められた金色の瞳に映るものは殺意の色。妖艶に笑いながらも器用に残忍さを滲ませる男にぞわりとした。…この台詞は決して脅しではない。

「はは、ビックリしちゃった?ごめんね。さて、仲直りはここからだ。」

瞳を和らげたアーデン。腰のくびれを両手で包まれ、向き合わされる。鎖骨に唇が落ち、その間から長い舌が浮き出た鎖骨を舐めた。赤毛の癖っ毛がふわふわと肌を滑り、くすぐったくて身を引くがアーデンは離れない。

「ねぇ…すんごく会いたかったよ、俺。やっぱり俺には●しか要らないなぁ。」
「うそつき…。他の女を抱いて、私を監禁するろくでなし。」
「娼婦は抱いたけど、君に嫉妬させたかったんだ。それだけだよ。」
「そんな言い訳…」
「もう黙って。」

聞く耳を持たない彼のペースで口付けを交わす。酸素がゆっくり途絶えていき、頭にモヤがかかるような熱さと怠さに包まれた。
中に指とお湯が滑り込むと、嫌がるように腰が浮く。しかし、隙間なく指が押し進み、柔らかな肉壁を押し込んで何度も往復すると●の体は快感を感じ始める。焦ったような声が漏れ、だんだん体が落ちていけばアーデンの興奮も加速した。

「いい声だ。ずっと聞いていたいなぁ。」

指が抜かれるとすぐに膨らんだものがズルリと滑り込む。女らしい悲鳴が浴室に響き渡り、水面が大きく揺れた。泡立ち、波打ち、風呂から湯が溢れ、排水溝に流れ込んでいく。

「2度目だと感じやすくなっちゃった?」

アーデンも色気を増し、蕩けた目で胡座の上で震える彼女を見つめる。きゅうきゅうとしめつける彼女の中に腰を前後させ、アーデンも気持ち良さから天井を見上げる。細いのに筋肉質な彼の体を見下ろしながら、●の心臓も大きく跳ね上がっていた。

憎むべき男であっても、彼の妖艶さは他の男と比べ物にならない。浮き出た喉仏から抑揚のついた透った声が出て、眉を寄せた切ない目を向けてくる。

「愛してるよ。全部壊して、全部俺のものにしたいほど。…でも、俺に愛されるくらいなら、1人の方がマシってまだ思ってる?」

暗闇の中で1人だった時、自分の言葉に後悔していた。怖くて仕方なく、死が肩にのしかかって離れない不気味さは耐え難かった。

― あんな果てのない恐怖はもう嫌…。

●はアーデンの肩に手を置きながら唇を噛みながら、屈辱と孤独を天秤に掛ける。
こんな薄暗い地下でも誰か1人でも私のそばにいてくれるのなら…死の恐怖に狂わなくて済む。

「俺のものになってくれるのなら、もっと優しくするし、手を繋いで外にも出してあげるんだけど?」

ずる賢いこの男に従えば、また外の光が見られる。それならば、と腰を震わせながら観念する。

「わかった。」
「やっとわかってくれたみたいだねぇ?…そう。君は俺に従って生きるしかないんだよ。」
「…ぅうっ!」
「さて、少しずつ練習しようか。俺に甘えて、俺に尽くすんだ。生き残りたいんでしょ?」

水面が波打ち続ける。
トントンと軽く出入りするそこに思考がとろけ、ゴリゴリと理性が削り取られる。
気持ちよさに負けて、アーデンの煽りに気持ちが昂り、もっと欲しいと思った。

「ほら、口開けて」

彼の声はまるで魔術師のように行動を操ってくる。●は半目で揺れながら顔を近づけ、薄い唇に自分からキスをした。

濡れた手で互いの髪を触り、顔を撫で、熱い湯の中にとろけていく。熱気に朦朧としながら、風呂の縁を掴み、●はのけぞるとアーデンは彼女の胸に顔を埋めながら果てた。その時の顔はいつものずる賢い笑みではなく、心が満たされた穏やかな笑みをしていたが、それは一瞬のことだった。



ALICE+