12


あの日、●の心から怒りや争いが消えた。かつてアーデンを殺そうと包丁を握った手は力なく垂れさがり、目は光をなくして宙を見つめている。

彼女の”家”には随分と家具が増えた。新しいテレビ、水槽、植物、絵画、太陽光を発する照明、本、雑誌、映画、クッション、ぬいぐるみ、少しでも外を感じられるようにと外の景色が部屋一面に映し出されるプロジェクターがある。
これらはすべてアーデンが用意したものだった。少しでも●が快適に部屋に過ごせるようという計らいだが、肝心の彼女の目は何も映していない。アーデンという男に抱かれ、愛を囁かれる夜に心がマヒしていた。

「ただいま。帰ったよ。」
「……。」

ソファーに寝ころぶ彼女に挨拶をするアーデンは帽子をテーブルに置くと、彼女の足元に腰を掛ける。彼を無視して静かに目を閉じる彼女を気にとめず彼は壁にかけたカレンダーを目にやった。

「ここに来てもう20日だ。最初に比べたら随分と扱いやすくなったねぇ。」

飼い猫を撫でるような手つきで彼女の足を撫でる。
夜2人で過ごすことがアーデンにとって何よりも幸せなことだった。幸せといえば飾りすぎだが、純粋な愛など今更求めていない。包丁と銃を向き合わなくなっただけでも十分だった。

「そろそろご褒美、あげちゃおうかな。」

伏せ目の●は何の期待もない顔で彼の口が開くのを待っているが、彼女に覆いかぶさり彼女の耳元で囁かれた褒美に目に光が走った。

「外、出てみる?」

顔を向ければアーデンは試すような笑顔を向けていた。彼女の死んだ目に光が宿り、はっきりとう頷いた。誰がその誘いを断るかと言わんばかりに生気が戻る目。しかし、相手に光を与えて手を伸ばせばその前に取り去るのがアーデンのやり方。

「ああ、それよりも…今朝のニュース見た?君の話で持ちきりだ。」
「ニュース?」
「そ。一躍有名人だ。…まぁ、俺がそうし向けたんだけど。」

アーデンは胸ポケットから折りたたんであった新聞記事を彼女に差し出す。彼女の目は大きなゴシック体に注がれると、瞳の光がフッと消えた。
大きな太字で世間に叫んでいる内容は、彼女が無期懲役になったということ。●の顔と名前が張り付いた新聞記事を見た瞳には怒りの炎が燃え上がった。しかし、その炎を見て笑みを深くしたアーデンの顔に気づくと、諦めるように鎮火した。

「わからない人」

アーデンはこうやって自分を精神的に追い詰めて余裕を奪って壊していく。何が狙いなのかわからない。私を好きだと言いながら、結局は傷つける。それは、私が思う通りに動かないから?堕ちないから?もともとそんな性悪なのか…。分からないけれど、泣いて怒鳴って暴れると彼はそれを押さえつけて教え込む。
だから、記事から目を背けると小さく呟いた。

「仕方ない。…私の力じゃどうにもできない…一度こんなニュースが世に出たらもう覆らない。」
「へぇ、妙に潔いねぇ。俺はてっきり怒るのかと思ったよ。」

演技など効かないという鋭いアーデンの声と目を疎ましく思いながら彼女は顔を上げた。

「怒ったけれど、…でも、もう疲れた。」
「へぇ?」
「ここで生きていけるのなら、それでいいかと思うようになってる…。」
「ふぅん?」

読み取りがたいアーデンの笑みの方が不気味だった。でも、臆病になって震えてはいけない。目をそらして相手にしないでいると、アーデンは●の髪をなでながら目を細める。

「なら、いいんだけどさ。俺はてっきり俺に対して不満と反抗心が湧くんじゃないかって思ってたよ。こんな俺は考えすぎ?」

自分が試されているんだと知った●は小さく笑った。
しかし、アーデンは宰相なだけある。彼女の心の裏を読み取って試してくる。その探るような表情に付き合うほど、●は気力があるわけではない。シャットアウトするように目を閉じるとアーデンが演技がかった声で謝る。

「あ〜、ごめんって!ちょっとやりすぎたみたい。俺が悪かったよ。ほら、宰相なんてしてると汚い探り合いが染みついちゃってね。…ねぇ、外に出たいでしょ?少しの間なら出してあげてもいいよ?」
「本当に…?」

さっきよりも疑う目で聞くと、彼はニッと笑う。何かを企んだ笑いはなんともうさん臭い。

「その前に俺の望みを一つ叶えてよ。」

期待通りだった。アーデンが何も条件をつけずに自由などくれないことは知っている。
ただ、今の●には自由ほど欲しいものはない。

仕方なく、真っ直ぐな目で彼を見つめた。


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