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「お疲れ様。さ、乗って」

赤いオープンカーで迎えに来た彼は今までと違ってワイルドに映った。ハンドルを片手に、もう片手は窓の外に放り投げられている。まだかすかに心に沈む不安を胸に仕舞い込んだまま、笑顔を向けて助手席に乗った。
どこにいくんだろうと思えば車は海に向かう。桟橋に停泊している大きな船を彼が目で私に投げかけたのを見て口が大きく開く。

「ふ、船でどこか行くんですか?」
「どこかに行くっていうか、ブラブラと海を巡りながら船上で夕食を取ろう。船酔いしないと良いんだけど。」

大きな舟がイルミネーションを身につけて私たちを待っている。船を見て近づこうとした人たちが警備の人たちに下がるように手で制されていたけど、私と彼だけは許された。

彼が準備した夕食は凡人の私には予想できないシチュエーションだった。

◆◆◆◆◆◆

「どう気に入った?」

船の屋上にはテーブルが一つ、椅子が二人分で完全に貸切状態だった。
町のネオンに負けず劣らない明るい照明が足元を照らしていて気が引けて仕方ない。運ばれてきた料理もどれも一流の物。ガーディナのレストランで出されるような海鮮がメインで全て食べてしまった。

「立派すぎます…。びっくりしました。アーデンさんは何者なんでしょうか?一般人なんて嘘ですよね?」
「はは、隠してごめんね?最初に言ったら引かれるかなぁって思ってテキトーなことを言っちゃった。」

彼は私のグラスに金色のシャンパンを音を立てずに注ぐ。シャンパンは3杯目で度数も強い。何とか敬語で話しているけど、本当は酔いで頭がクラクラしていた。

「とろ〜んとしちゃって、大丈夫?船の中に部屋があるから、そこで休む?」
「だ、大丈夫です。…あぁ、もう10時なんですね。私、そろそろ帰らないと。」
「まだ10時だ。そうだ、運が良ければイルカが見れるんだって。どう?少し海面を覗いてみない?」

アーデンさんはしっかりした足取りで立ち上がると、私に手をさし伸ばす。彼もたくさん飲んだのに全く酔っていないみたい。
私は船のせいか酔いのせいかわからないほどふらついていた。手を伸ばして彼の手を握ると、優しく握り返され、ゆったりとした足取りで手すりへ近づく。

「今にも倒れそうだ。気を付けてね。」
「はい。」

彼に腰を抱かれて距離が縮まる。背中に彼の胸板が重なり、彼の体が服越しに伝わる。着こんでいる割に彼は細い体つきをしているようだった。細いというか…引き締まってると言ったほうが正しいかもしれない。

彼と一緒に水面に顔をのぞかせる。
暗くて深い海。水音が下から沸き起こるように聞こえてくる。時折、月や星の光を反射して水面がキラキラ輝いていた。…でも、イルカはいない。

「残念。いないみたいだ。」

腰を抱き寄せられて、耳元でささやかれる。穏やかな低音は眠りに誘ってくる。目を細めて、少しだけ彼の胸に背中を預けた。

「今夜はなんで私を夕食に誘ったんですか?」
「君が好きだから。すごく欲しいんだ。君は一目惚れを信じる?俺は君のこと初めてみた時から特別な気持ちを抱いた。」
「…そう、なんですか…っ。」

真っ直ぐな彼の瞳は金色に輝いている。
彼の顔はすごく綺麗で凛々しい。真剣に思いを伝えられていることはちゃんと伝わった。そして、ふわっとした心が彼の言葉に吸い寄せられていることにも気づく。
でも、やっぱり…そのためにも、彼が何者なのか知らなくてはいけない。
こんな私は慎重すぎる?私が臆病でなければ、きっと彼の甘い空気に躊躇いもなく目を閉じただろう。

「その…うれしいです。でも、そのためにもアーデンさんのことをちゃんと知らないといけないんです。」
「俺のことをちゃんと教えたらつきあってくれる?」
「…えっと、…。」
「はは、ほーんと慎重なんだから。」

彼は笑って耳元に唇を寄せる。そして、私にだけ伝わるような小さな声を聴いた途端、素っ頓狂な声が出た。わが耳を疑うとは、このこと。まさか、そんなばかな、と。とても信じられない。

「さ、宰相…!?」

酔いが吹きとび彼からぱっと身を離す。
私を抱いていた彼の腕は宙を掻いて、彼の眉は残念そうに下がった。

「なぁに?俺の正体を知った途端、離れるなんて…寂しいねぇ。さっきまで良い雰囲気だったのに。そんなに嫌?」
「す、すみません…!すごく驚いてしまって。」
「こんな俺じゃ駄目?俺とは付き合えない?…でも俺、すごく好きなんだ。いや、愛してるんだよね。君のこと。」

彼は長い腕を伸ばし、ふたたび私の腰を抱きしめた。
でも私の中で揺らいでいた気持ちは完全に消え、立場違いの相手から離れることしか考えられなかった。

「付き合うだなんて…、私は市民ですし、そんなことはできる立場じゃないですっ…!アーデンさん、ごめんなさいっ。」

全力で押し返して彼から離れる。彼の腕は案外あっけなく私から離れると、小さなため息を漏らした。

「そっか…やっぱり駄目か。」

帽子を深くかぶり直す彼。優しい目が黒い帽子に隠れると、低い声がこぼれた。その話し方は開き直りと怒りを感じさせるものであり、身がすくむ。
本音を口にしてやっと自分のしたことに後悔した。
目の前の男はこの国の宰相であり、敵に回しては何をされるかわからない。そんなことを考えずに彼を思い切り拒絶してしまった。
後悔した顔を向けても、さっきまでの甘い空気はもうどこにもない。あるのはピリピリとした空気と歪んだ彼の微笑み。

「あ、あの…!」

私を追い込むように詰め寄るアーデンは目元を帽子に隠したまま無言で近づいてくる。こわい。何されるのかわからない。

「また、その、よければ、…また、今度お会いしたいです!今夜ははじめての船上の夕食で感動しましたっ!…でも、今夜は明日の仕事のために帰らないといけなくて…っ」
「家に送りたいんだけど、まだこの船は海の上を漂っていてね。すぐには帰せないんだよねぇ。…まぁ、帰す気なんて最初からないんだけど。」
「え。」

クスッと小さく笑った彼はやっと帽子をあげて目を見せる。意地悪そうな目は細められ、眉はキュッと中央によって眉尾を悪人のように釣り上げている。さっきまでの甘いマスクは仮面。むしろこれが本当の顔だと知って心臓がバクバク動きだす。

「か、帰してください…っ。」
「後ろ、見てごらん。」
「え?」

さっと振り向くと目の前には帝国の兵士である魔導兵が私に銃を突き付けていた。そして、悲鳴を上げる間もなくその銃口からスプレーが噴射され抗う間もなく気を失った。

海の底に出も落ちる感覚。
私の意識は真っ暗な底にどこまでも堕ちていった。




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