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●がトラックに轢かれて死んだ際に、顔のケガがひどいため顔は見ないほうがいいと言われた。お悔やみ申し上げます。との事務的で表面的な言葉に優しさはなく、加害者も電柱に衝突した際に即死であり、どこにも怒りが向けられず、真島は魂が抜けたように生きていた。

「……。」

今の真島にはあまり時間の感覚はないが、●を亡くしてもう3週間が経っていた。真島の心は落ち着かず、業績に影響が出るほど暗い方向へ向かっていた。流石にオーナーである佐川も売り上げと真島の様子を気にして事務室に来ていた。
互いに対面してソファーに座り、重い空気が流れる。

「おい、お前、このままやっていけるのか?」
「どういう意味や。」

低く唸るような声は佐川にさえ従わない声。常に追い詰められ、孤独感とやるせなさを抱える真島は周りをほとんど見えていなかった。酔って暴れた客に殴られようとも、街中のチンピラに絡まれている者に助けを求められようとも我関せずだった。

「少し休むか?恋人の死を受け入れられねぇなら、休ませてやるよ。」
「休んだってあいつは帰ってこんやろ、何の意味があるんや。」
「お前がまともに働けてねぇからだよ。」
「命令なんか?」
「別に?ただ、最愛の女を事故で失ったお前に同情してんだよ。」
「……。」
「皮肉なもんだなぁ。命に代えても守ろうとした女をお天道様が見てる朝に殺されちまってよ。お前がやっとつかんだ幸せってのが呆気なく奪われるなんて、神様もひでぇよな。」
「もう…黙っとれや…佐川。」
「まぁ。休みたいなら連絡よこせ。売り上げがこれ以上落ちねぇように気を付けろよ?」

佐川は返事も待たずに事務室を後にした。

――

「あいつの方が死にそうだな。」

佐川は自宅の寝室のベッドに腰をかけながら口を開く。彼を背中から抱きしめた●は驚いた声を出す。

「売り上げが4割もおっちまったよ。はぁ、愛ってやつは困っちまうなぁ。なんたって、人を簡単に変えちまうんだからよ。」
「私だって、まさか死ぬことになるなんて思わなかった。」
「死人になった気分はどうだ?毎日俺とばかりで嫌になったとかいうなよ?」

佐川は振り向きざまに●にキスをしながらベッドに押し倒す。●は自分を押し倒す佐川を見上げながら首を横に振った。

「私は後悔なんてしてないよ…。それに私はここで司といたほうが良い。」
「真島ちゃんみたいな可哀そうな男を作らないためにって?」
「かもしれない…。吾朗ちゃんが立ち直ったら教えてね。」
「まぁ、まだ無理だろうな。あいつ…本当に目を離したら川に沈んでそうだ。」
「…やめてよ。」
「今頃罪悪感か?…うまくいかねぇなぁ。お前としては自分から解放するために、良かれと思ったのによ。社会から消えたお前が手に入れたのは俺くらいなもんだったな。」

新聞とニュースで2日ほど自分が死んだことが報道されていた。でも、たったの2日。3日目から全然違う話になるし、寧ろ自分のニュースの次には明るい報道がされて呆れてしまった。事件や事故、そんなあっけなく話題を変えてしまうのならいっそ何も報道しなくていいのに。うるさい、ほっておいて。私はこの通り生きているんだから。とさえ思ってしまった。

…だからか、あれから3週間も経ったって言うのに、ずっとずっと…報道とは違い、やつれるほど自分の仮の死を悲しんでくれる男を考えると胸が痛くなる。

早く自分のことを忘れてほしい。
どれだけ人を愛しても絶対にいつかは忘れることは出来ると思っている。かつての私がそうであったように誰かが彼を支えてくれれば、恋人とはもう永遠に会えないと分かれば、どんなに愛した人でも忘れられる。

「時間が経てばきっと忘れるよ。だって私はもう存在しないんだから。」
「どうだろうな。…まぁ明日も見に行くよ。傷心の真島ちゃんが生きているかどうかを確認しねぇと。」

自分の首筋に顔を埋める佐川を受け入れながら●はどこまでも一途で真面目な男を心配した。自分を救ってくれた男を誰よりも傷つけた自分はもう償う手段さえないのだから、どこまでも空回りをしてしまうことに嫌気がさした。

「そう心配すんな。ダメなら考えがある。」
「どんな?」
「後で話す。だから、今は俺に集中してくれよ。寂しいじゃねぇか…一人でヤッてるみてぇで。」

――

「真島ちゃんさぁ…。」

連日グランドに来る佐川はだんだん呆れたような、しびれを切らすような声を出すようになった。真島にはそれが一番神経を逆なでするようなものであり、出来ることならこの男の顔を殴って黙らせたかった。
穴倉でもなんでも怖くはない…ただ、刑務所の兄弟のことを思うとそんな自滅さえ許されない。

「…はぁ、どうしたもんかね。お前ってそんな男だったっけ?」
「……。」
「もういい加減、前に進めよ。恋人だってお前にいつまでも悲しまれちゃ、浮かぶに浮かべねぇだろう。それに、こんなに長期的に売り上げ落とされちゃ組の活動にも響く。…いつまでもお前の不幸に付き合ってらんねぇんだよ。」
「……売上、そないに減っとらんやろ。」
「おお、口答えするくらい元気になったか?よかったよかった。」
「あぁ?元気、やと?……あんたは、大事なもんを失ったことがあるんか!?」
「そうそう、その顔だよ、真島ちゃん。キレるようにはなったみてぇだな。これでチンピラに殴られる情けねぇお前を見なくて済みそうだ。」

佐川の挑発に血が上った真島は残った理性を振り絞って事務室のドアノブをひねる。

「…あんたの顔見とったら稼げるもんも稼げんわ。」

捨てセリフを吐くと真島はグランドの外に出た。残された佐川はフッと一人で笑いながら、ポケベルを見る。そこには事務室に入る前に送った●からの返事が入っており、言われたものを買うために店を巡っているようだった。

「さて、どうするよ。真島ちゃん。」

――

真島は虚空を見つめながらひとりで街を歩いていた。
外に何があるわけでもない。ただ無情で乾燥したつまらない世界があるだけだ。目に悪いネオンの光も、腕を絡めてくる客引きの女も、酔っ払いの男たちの笑い声もすべて邪魔だが、佐川が近くにいるよりもマシだ。

「……。」

心の中に重りをつけながら生きているようなものだったが、たまたまその目線を彷徨わせた時、どういうわけか一人の人間に目が行く。スカーフを口元が隠れるまで首に巻き、帽子を深くかぶっている人物は背の低さから女性か。だからどうしたというわけだが、何故かその人物から目が離せない。ただ、足が勝手に彼女を追うようにゆっくり歩いていると、彼女は帽子とスカーフで体温が上がったのか暑そうにそれらを微かに緩めた。その時の顔を見ると…、

「…な!?●!?」

目元と口元は●そっくりだった。それは一瞬のことで、暗いこともあって人違いかもしれないが、真島の足は迷うことなく彼女に突き進み、彼女の肩を握って振り向かせた。

「●か?!●なんやろ!?」
「!?」

真島が聞けば、女は慌てて帽子を手で押さえながら真島を突き飛ばして走った。人ごみの中で逃げる女を真島も追いかける。人を跳ねながら追い掛け、狭い路地に入った●を追い詰めていく。

「ちょ、待てや!何で逃げるんや!?俺やで!?」

どんどん追い付き、少し乱暴に手を伸ばして女の腕を掴むと引き寄せる。抵抗される前に帽子を掴んで地面に落とすと間違いがなかった。●を見た瞬間、真島は信じられないとばかりに目を大きくしたが、息を切らしている●を迷わずに抱きしめた。

「生きとったんか…もう、何なんや…お前…死んだことになってたで?…何で…何が起きとるんや…。」
「……!」

●が痛がるほど強く抱きしめる真島はもう彼女を逃がす気はなかった。腕の中の●は体を強張らせていたが、その片手がそっと彼の背中を撫でた。

「●…、俺…、」
「見つけたな、真島ちゃん。…もうお前にはそのほうが良いよなぁ?」
「…さ、佐川…!?」

背後からの声に真島は振り向いた。佐川が緊張感のない表情でそこに立っている。どこか馬鹿にしたような、それでいて面白がるような顔は真島を挑発していた。

「…お、おどれが、●を!?」
「ああ、そうだよぉ?隠し通すつもりだったけど、お前には特別に教えてやったよ。そうじゃなきゃお前、いつまでたっても働かねぇんだもんなぁ?」
「ゆ、許さへんで!!」
「待って!吾朗ちゃん!司は悪くない!」
「つ、…司、やと?」

状況が分からない。困ったような声を上げて真島の腕を掴んで止める●と、立ち止まる真島を可哀そうな目で見る佐川。

「お前ら…諮ったんか…俺を。」

察した真島は目の前の恋人を前に頭が真っ白になった。


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