憧れから本気になる…高杉


「私は高杉さんが好きです。」
「ほぉ。…それはどういう意味の好きなんだ?」
「え?」

彼の問いかけにきょとんとした。
何気なく伝えた好意に真剣になる高杉さん。軽々しく言ってはいけない言葉だったと反省して口に手を当てる。

「あ、ごめんなさい…。」
「責めてなどいない。ただ、男としてあんたからどう思われているかが気になる。」

そう言われるとますます口篭ってしまう。
高杉さんが好き、それは嘘じゃない。他のどんな男よりも男前に見えるし、三味線を弾く姿は凛々しいし、落ち着いて頼れるし、野心がある生き方も好き。

だから「好き」なんだけど…、これだと彼には物足りないようだ。私としてはいつものように「そうかい、ありがとうな」と調子を合わせて終わらせてくれると思ったのに。

「あ、…憧れ…ですかね。」

この想いを正確に言葉にするならこれに尽きる。
彼を前にすると緊張するしドキドキするし乙女のように見惚れてしまう。届かない役者に惚れる観客の1人のようになり、私の気持ちはとても明るくなる。

「憧れ、か。なるほどな。確かにその言葉がぴったりくる。」

彼は私の返事を聞くと残念そうに目線を逸らし、少し間を開けてから言った。「困らせたようで悪かったな」と。
そして、いつも佇んでいる柱から離れると背を向けて立ち去ってしまった。


ーー

その夜、高杉は●が言った言葉を思い返しながら酒を飲んでいた。

●は明らかに自分に気があった。
自分が男として見られているのは一目瞭然。自分が姿を見せると見惚れるように熱い目線を送ってくれるのだ。こちらから声をかければ驚いて照れるのでとても愛らしい娘だった。
彼女から好まれていると知って調子に乗った。彼女との今後を期待していた。それは知らず知らずのうちに自分も彼女に惚れていたからだった。

ただ、言葉を交わすうちに互いの想いに違和感を感じていた。お互いが好きなのに質が違うというか、どこかでズレる。

例えば、2人きりになると●は緊張しながらも高杉と話すことを楽しむ。だが、話せば満足して終わってしまい、発展はなく、恋の駆け引きがない。
高杉としては濃厚な時間のきっかけになればいいと思っているのに最後はいつも逃げられる。最初は焦らされていると思ったが、2人の思いに温度差があることに気づいた。

「憧れね…。俺の方が入れ込んでたってことか。」

酒が強い彼でも気持ちが沈めば酔いが回る。自分の方が恋心を募らせていたことが寂しく、しんみりした一人酒になった。


ーー

次の日の彼は珍しく二日酔いで顔色が悪かった。
そんな彼に気づかない●ではない。いつものように彼が視界に入るとすぐに気づいてこそっと顔を向ける。
目があった高杉が想像以上に青い顔をしていたので心配になって声をかけた。

「ほぉ?俺を心配してくれるのか?」

自重気味に笑って頭を掻く高杉はいつもの余裕がない。彼もまたカッコのつかない姿を見られて居心地が悪いようだ。

「昨日、惚れた女にフラれちまってな。ヤケ酒をしたんだ。」
「高杉さんがフラれる?…よ、よっぽど格上の方なんですね…。」

一体どんな相手なんだと気にする●を見つめる高杉は疲れたような笑みを浮かべるのがやっとだった。

「気持ちが悪いな…。」

額に手を当てて目を閉じる彼は本気で辛そうだ。
普段の彼から想像できない弱りを何とかしたい●はしじみの味噌汁を作ることに決めた。「二日酔いの特効薬をつくりますね」と励ますように言って町に向かう●を見送る高杉は初めて自分がダメな男に成り下がり、非常に情けなくも、惚れた女に慰められるのも悪くないと思った。

ーーー

しばらくして藩の台所からいい匂いがした。その匂いは自分だけのものだと知っている高杉は誘われるように台所へ向かう。

「出来ました!これできっと良くなりますよ!」

笑顔を向ける●を見て愛らしいと思う。
遊女の笑顔は見慣れているが、そこに本当の気持ちがあるかは全く別だ。遊郭では表面的な親しみや損得がからんだ愛やいつ途切れてもおかしくはない安物ばかり。
だから、心のこもった笑みは久しぶりに見た。

●からは憧れたくない。
自分はそれほどいい男ではないと幻滅されて、私がいないとダメな男(ひと)だとさえ思われたい。●にならそう思われても構わない。


食事のために部屋に移った高杉は両手を合わせて味噌汁を飲む。

「…沁みるな…。美味いもんだ。あんたがいてくれてよかった。」
「高杉さんの力になれてよかった。嬉しいです。」

●としては人助けの気持ちが強い。多分、気分を悪くしたのが高杉ではなくとも●は町に出てしじみを買っただろう。それが分かる高杉は寂しくもあった。

惚れた女から優しくされて嬉しいのに、そんなことに耐えられないとは。すっかり心が弱っている。この叶わぬ恋に疲弊していた。

「なぁ、俺はあんたが思うほど立派じゃないぞ。今日見ただろ?酒に潰される情けない男だ。」
「でも、新しい世を作ろうとしたり、革新派で凄いですよ。」
「俺が言いたいのは男として、と言うことだ。あんたから見て顔や声や頭が良く見えるようだが、ヘマをする時はするし、馬鹿をやらかすこともある。情けないことも多い。」
「…高杉さん?」
「俺が言いたいことは、俺に憧れて欲しくないということだ。」
「あ、えっと、でも、私の中で本当に素敵な方なので…。ああ、でも、高杉さんに迷惑ならやめ……、ます。」

俺に訳のわからないことを言われて困っているのは明白だ。●は首を傾げて疑問を浮かべている。

「俺はあんたが好きだ。」
「!?」
「男として好かれたい。役者に恋をすれど本気にはならない女になって欲しくない。」

憧れを拭ってその先に見えた自分を見てもらいたかった。●は彼の思いに気づくと両手で口元を覆い、顔を真っ赤にして「ちゃんと考えてみます」と小声で言った。


◆ ◆


ー 好きな女から"憧れ"で終わらされ、ヤケ酒をするのが本当の俺だ。俺はあんたが思うほど立派な男じゃない。…どうだ?少しは幻滅したか?…こんな男なら少しは親しみが湧くか?

そんなことを言う高杉さんは冷静に見えて必死だった。
たしかに、私の中で「完璧な人」「優秀な人」「風流があって素敵な人」という彼がいくらか崩れた。
でも、それに加えて「素直な人」「情熱的な人」「人並みに傷つく人」という、好きな一面が増えた。

まだ彼は私の中で群を抜いて素敵な男性だ。

彼の鋭くて凛とした目つきはかっこいい。腕を組んでどっしり構えているだけでも風格がある。落ち着いた声も好き。三味線の音が風に乗って聞こえると彼が奏でていると思って芸達者な人だと尊敬する。

そんな人に好かれていると知ると天にも昇る心地になった。
ただ、もう少し本当の彼を知らないといけない。
大袈裟に彼を愛しすぎず、できるだけ等身大で言葉を交わせたら彼の方も楽だろうし、私も本当に彼を愛せるだろう。

「ふぅあ…。」

このところ、いろいろ考えることが多くて眠れず、少し眠い。
起きようと手作業をするけど、一度寝た方がスッキリするかも。
自室に戻って部屋の隅にまるくなる。
ちょうど昼時だし昼休憩がてらに寝てしまおう。

ーーー


……、音がする。
いや、音色だ。ゆっくりした音調で耳が心地いい。
この音に起こされるように頭が起きてきて自然と目を開いた。

目を覚ますと私の部屋の隅で高杉さんが三味線を弾いていた。昼のひだまりの中で彼は奏でる。
目をこすりながら体を起こすと彼は上目遣いでこちらをみてから三味線に目線を落として演奏を続ける。

(…わ、綺麗。)

寝起きの頭でもドキドキする。
眩しい世界で凛としている彼。これは夢の中の夢なのか。そう思うほど陽の光が舞台の光のように彼を包み込み、私を引き離す。それが少し切ない。前はこの距離でもよかったのに今は悔しい程遠くに感じる。

彼は私を置いて骨張った指で滑らかに三味線を弾き続けた。



「起きたみたいだな?」


演奏が終わる。
不思議なことにその瞬間ひだまりが消えた。太陽に雲がかかり、幕が降りた。

はぁ…と感動の吐息を漏らし、悔しさを思い出す。前の私なら観客のままでよかった。でも、今は?ああ楽しかったと一言で済まして別れられそうにない。

「…ああ、もう、ずるいです。…ほんと卑怯。」
「ん?」
「こんなに粋な人に憧れない訳ないじゃないですか。」

びっくりした彼だけど、褒められていると分かると口角を釣り上げた。

「憧れただけか?」
「私はあなたのこと憧れ続けます。…でも、見つめているだけじゃ足りません。だから、私は手を伸ばします。」
「ってことは、やっと俺が欲しくなったか?」
「はい。…もう…憧れ混じりの本気の恋、です。」

まだドキドキしている胸を抑える。高杉さんは三味線を壁に立てると私に近づいてしゃがみ、私の顎を軽く握る。


「あんたを堕とすのは難儀だった。ようやく叶って嬉しい限りだ。」


憧憬と恋慕の相手が優しく笑う。
届かないと思っていたし届かなくてもいいと思っていたのにあの舞台が私を熱く引き摺り込んだ。

この人を舞台から引き摺り下ろしても自分のものにしたい。そんな勢いづいた私は観客を辞めてただの女となった。





目つきが変わった●を見た高杉は冷静な目で●を見下ろしていたが重く速い脈に体が震えていた。


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