死にかけた高杉


胸に違和感を覚えても医者には見せなかった。
その時は風邪だと思って気に留めず、本業に打ち込んでいた。

だが、次第に体全身が怠くなり、咳をすると血が出るようになり、息も浅くなることが増え、自分の先が長くないことを悟った。まさか自分がこんな体になるとは思わなかった。

何故俺が?
今からと言う時に。
でかい花火を打ち上げてやると覚悟して生きていたが、何も為せないまま朽ちていくなど夢にも思わなかった。

初めは不調を隠していたが、だんだん隠せなくなった。おかしいと疑われるたびに自分は大丈夫だと虚勢を張ったが、ついに血を吐いて倒れた。

若くして床に伏す身になり、天井ばかり眺めてはこの世に残る未練に苛立ちと悔しさを募らせた。ただ、何とかしようと争う精神に対して体は真逆で、歩くことも起き上がることもままならない程、何もできなくなった。

もう無理だと悟った途端、気力が奪われていく。
起きていられないほど体力がなくなった。目が覚めれば息が苦しく、だんだん死んでいく体に精神も擦り切れていく。死にたくはないが生きられない葛藤に弱音も浮かび始めた。

そんな頃、●が見舞いに来た。
いや、見舞いなどという明るい言葉では表せない。看取り、見送り、だろうか。
●はやつれきった俺の顔を見て小さく笑うと俺の頭を撫でる。

色恋沙汰になりそうでならなかった女を最期に見つめるのも悪くはないか。もうこんな体じゃ惚れた女を満足させられないどころか、病をうつしかねない。情けない。

「あんたを抱けなかったことを今さらながら後悔しているよ。」

自重気味な笑みが浮かぶ。ただ、笑い声は出せない。笑うと肺が痛くてな。息を吸うにも痛みが伴う程、悪化していた。今夜、生きていられるかどうかだろう。

「来世で巡り会えたら、次は言い寄らせてもらおう。」

このセリフを吐くだけでも疲れた。●の返事も聞けないまま意識が遠のき、痛みや感情が消えていった。


ーー


「何だ?ここは。」

俺は知らぬ間に丘の上に立っていた。不思議なことに家や町はなく、ただ青々した野原と晴れやかな空が広がっている。
心は穏やかで体も悪くない。外行きの着物を着て背には三味線を背負っている。久しぶりにこんな自分になれた。あんなに体が悪かったのに。

「ああ、とうとう俺はくたばったのか。」

そうなのか。ではここは極楽浄土か?
想ったより悪くない。呼吸がしやすく、体の痛みがない。
こんなに気分がいいのなら三味線を奏でたい気分だ。
苦しみと迫る死からやっと解放されると、言い方は妙だがとても嬉しいもんだ。

一息ついて三味線を構える。

生きていた時のことを思い出す。
自分の生い立ち、親、友人、仲間、夢、そして、最後に惚れた女。

「次にあんたと会えるのはいつだろうな。…まぁ、早々に会うのは気が引けるが、いつか会いたいもんだ。」


ー 高杉 …、高杉っ、


どこからか声が聞こえる。これは●の声か?…俺を呼んでくれるのは嬉しいが俺はもうそっちには行けん。俺のことはいいからあんたが為すべきことをしてくれよ。
…まぁ、あんたの声が聞けてよかったぜ。

ー 起きてよ…、高杉っ、…飲んでっ、

俺はまだ心配をかけてるのか。
俺はちっとも苦しくないから安心してほしいが、…この思いを届けられないのが残念だ。
俺はあんたを想ってここで待つよ。

あたたかな風に吹かれながら三味線を奏でていたら、急に視界がぼやける。極楽浄土がだんだん遠のいて、引き戻されていく。


「おいおい、…なんだ?俺は地獄にでも落ちるのか?」


ーーーー


「高杉!よかった!目が覚めた!」
「何とか薬が飲めたようだな。」

二人分の大きな声で目が覚めた。視界がぼやけていたので何度か瞬くといつもの天井と医者と●が見える。

「な、なんだ、こりゃぁ、…極楽浄土に行ってたっていうのに…。」
「逝くのは早いよ。新しい薬を飲ませたからもう治るよ。」
「…そうかい、だが、どうだろうな…。」

引き戻されたのか。それともあれは夢か?
あの世で腹を括った途端にまた痛みと苦しみのこの世に連れ戻されたのは正直複雑だ。
だが、安心した顔の●を見ると何故か地獄の日々はこれで終わりでまだこの世でやるべきことをしなくてはならないという意志が芽生える。

新しい薬が本当に効くかは知らないが、●に手を握られると安心した。握り返す力は弱いがこれが精一杯の力だ。
もし、これで命が救われるのなら、今まで果たせずに後悔してきたこと全て成してやろう。勿論、●とのことも。

「あんたは俺に希望を持たせるのが上手いな。」
「早く元気になって。…後悔したんでしょ?」
「…っ、はは、…はは、…そうだな。」

死に際に伝えた言葉を思い出してつい笑ってしまった。
笑い声を立てた時、肺の痛みがあまりなく、久しぶりに自分の笑い声を聞いた。





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