奇跡のような


「●のためならいくらでも払うよ。」
「気前がいいな。俺の時は渋るよな?」
「君は貢ぎ甲斐がない。」

くすくす笑ったモービウス先生はマイロさんの点滴を終えると帰って行く。まるで私たちに遠慮するように颯爽と。

「それで何が欲しい?宝石?土地?船?」

彼が身を乗り出して真面目に聞くものだから笑って首を横に振る。今欲しいものはないと答えると、なら欲しいものが出来た時に使えばいいとクレジットカードを渡された。もちろんそれを丁重に返す。

「女性なら宝石や服が欲しいはずなんだが。」
「あなたは女性を知ってる?」
「ああ。恋愛小説を毎日読んでる。だから君より恋愛経験は豊富だよ。」

ユニークな返事をくれる彼だけど、私が彼からの金を受け取らないせいで残念な顔をしている。

「僕にできることは金くらいなんだ。それを受け取ってもらえないなら他に何をすればいいんだい?」
「何もなくてもいいんです。こうして話せるだけでいい。」
「君に尽くしたい僕はもどかしい。」

私の役に立てない彼は悔しそうに眉を寄せて、はぁ、と短く息を吐くと、諦めたように窓の外を見つめる。

彼は杖がなければ歩けない。杖を使っても片足の力が入らず、ぐにゃりと足を崩しながらゆっくり進む。それでも車椅子は嫌いで私が歩く時はリハビリだからといって必ずその足で歩く。そんな自分を悔しがっている。

でも、私は彼の世話をしている間に情が湧いた。支えたいし役に立つことが生きがいになっていると言えば不謹慎だろう。でも、本音を言えば誰かに頼られたり、この人のために生きていると思うと生きる理由になる。
だから、こうして今まで通り一緒に過ごしてくれれば良い。

「僕は不安なんだ。君がいい男と出会って恋をして僕を置いて行くんじゃないかって。」
「居なくなりません。私はあなただからこんなに尽くしたくなる。」
「でもそれは仕事としてだろ?金抜きで一生僕の隣にいたい?思わないだろ?…でもそれが普通だ。僕が君にしてやれることなんてないからな。僕は君について行くのに必死だし、起き上がれないほど不調な日もある。美味しい料理も作ってやれないし、君の代わりに車を運転することもできない。どこかに行って楽しむことも…。」

彼は話をやめて唇を噛んだ。話すたびに現実がはっきり浮き出てやるせない思いが込み上げるらしい。そんな辛そうな顔は見ていたくなくて彼の手を握った。

「マイロさんが健康になったら私のこと要らなくなる?」
「なるわけないだろ?僕の心は君にあるんだから。」

握り合った手は暖かだ。後何度こうして彼と心通わせられるだろう?怖くもあるけど覚悟もある。死ぬその日まで私は彼から離れる気はない。それが明日でも10年後でも変わらない。

「なぁ、…僕を待っていて欲しい。」
「待つ?」
「ああ。僕が病気を克服して君を攫える男になるまで。必ずなってみせるから。」

不思議な約束だった。
彼の病態は医学的な観点から言えば良くならない。でも、彼は本気で私に約束をさせた。まるで裏の手があるような言い方で、有りもしない希望を私に抱かせる。
この時頷いた私は半信半疑だった。
でも、この日を境に彼は私に隠れてどこかに行き、電話でモービウス先生と話し、何日か家を空けた。

それは奇跡を呼ぶ予兆だった。

1ヶ月後、杖なしで私の前に彼が現れた。
彼はスーツをきちっと着こなし、背筋をピンと伸ばして私を見つめる。こんなことあるわけないと狼狽える私を無視して彼は私の手を取った。

「お待たせ、レディ。」
「そんな、嘘でしょう?こんなこと、」
「僕は奇跡を起こすのが得意なんだ。」

勝利の笑みを浮かべた彼に抱きしめられる。男らしい筋肉質な体とたくましい腕。私が今まで見てきた体は痩せていて、だらりと地に向かう四肢。肌も白く、実年齢よりも弛んだ目元は弱々しかった。それが今は血色がよく、ハリのある肌で皺が減り、若々しく見える。

「騙されてるみたい。」
「これが事実だと教えてあげるよ。一晩かけてね。」


end


強気な彼に手を引かれる。その手は力強く、鎖のような指が私の指に一本一本絡みつく。
彼の言った奇跡は禁忌だったということに、この時の私はまだ分からなかった。

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