乙女の一夜物語


「●ちゃんはわしにメロメロなんやろ?」

彼はタバコを吐きながら本当にキザで憎たらしい言葉を吐いた。でも、惚れたものの弱みか言い返せず、鳩が豆鉄砲を食ったような顔しかできなかった。

「ヒヒっ!何やねんその顔。ほんっまオモロい女やのぉ?」

おもしろそうな目で私を覗き込むと笑う彼。
自惚れかもしれないけれど、私は彼に気に入られてると思ってる。私の彼への片想いがバレた時は海の底に沈みたいほど恥ずかしくて気まずくてその場から消えたかったけど、それをきっかけに彼は私を弄り始めた。
多分それが彼なりの答えなんだと思う。私の好意に応えることはできないけれど、惚れたままそばにいてもいいと、嫌ではないと、決められた距離でいることを許された気がしていた。

「固っとらんで何とか言えや。」
「…真島さんかっこよくて、言葉が出ません。」
「うまいこという舌やノォ。」

彼の目線が私の唇に落ちる。桃色の口紅は色気は引き出せてないかもしれないけれど、少しでも女らしさを増せていたらいい。ただ、彼は身を引いて吸いかけのタバコを口元に寄せて一服する。ほんの一瞬だけ縮まった距離に一喜一憂する夜は忙しい。

「……。」

私は体に力を込めたまま、ぎこちなく目線を落とす。風でかすかに靡くパイソンジャケットは彼の肌を隠す気はないらしい。曝け出された腹筋に目がいってしまい、すごい鍛えてるんだなと男らしさを感じる。

「その積極的な目線は嫌やないで。」

自分の素直な目線が憎い。慌てて目線を逸らして、この場から逃げたい気持ちになるけれど、ここで逃げたら今度いつこんなふうに2人きりになれるのか分からないから惜しい。こんなラッキーは永遠にないかもしれないし…。

「わしの好みは強気な女やったけど、●ちゃんみたいなウブな子もええかもしれん。顔、真〜っ赤や。」
「ご、ごめんなさい…私、その、真島さんのこと、かっこいいって思っちゃうから…。」
「分かるで。この神室町一の美男子はわしやからの。」
「…ぅっ。」
「コラ!何わろとんねん!」

冗談というと失礼だけど、こういう面白いことを言うところも好き。つい笑ってしまった口元を両手で押さえながら、楽しくてジワジワと目を細めて笑っていた。

好きな人が目の前にいる。いや、いてくれる。
それだけで嬉しいだなんて恋する人間は単純でしあわせ者だ。たとえ結ばれなくても、今この瞬間がとても楽しくて緊張して嬉しくてたまらない。
吹きさらしの屋上で、夜景を背景にタバコを吸う彼をしっかり目に焼き付けたい。死ぬ前にもう一度このワンシーンを思い出せるようにしておきたいと本気で思った。

「ありがとう、真島さん。」
「ぁん?何がや?わし何もしとらんで?」
「すごく、楽しいから。」
「……。」
「ぁ、真島さんは別に楽しくないかもしれないけど…その、私は今まで一番楽しかったです。」
「●ちゃんは単純な女やな。」
「はい。すみません。」
「いや、褒めとるんや。その素直さは嫌いやないで。」

吸いかけのタバコをコンクリートに落とした。蛇柄の靴がそれを踏み潰すと彼は私に一歩近づく。背の高い彼を見上げると彼は私の両手をそっと握って私の口から離す。急なことで緊張していると、彼は小さく笑う。

「今度笑う時は顔隠さんで普通に笑えや。わしはかわええ女の笑顔が見たいんや。ええな?」
「は、はい。」
「おうおう、そういう照れた笑いもええやんか。…もっとよく見せろや。暗くてあんま見えんわ。」

彼の顔が近づいてくる。目と鼻の先にいる彼の顔は私にはよく見える。それはそうだ。だってすぐ近くに街灯があって辺りを照らしているんだから。彼がわざと顔を近づけるのは挑発なのかからかいなのか分からない。ただ、臆病な私は大胆なことも出来ず、甘い誘い文句も浮かばずに、寧ろもうその距離感は限界です!とばかりに彼から本能的に逃げた。
するっと彼の手が私の手からすり抜けたのは少し寂しいけれど、これ以上されると心臓が持たない。

「ちょ、待てや!わかった、何もせんから待てや!」

慌てた彼から呼び止められた私は屋上のドアの前で立ち止まって振り向く。ジッと彼を見つめると彼は頭を掻いていた。

「はぁ…弄ばれとるのはどっちやねん。」

ぽろりと呟いた彼は一瞬ぼんやりとした目をしたけれど、私の目線に気づいたらいつものギラっとした目に変わる。彼は両手でポンっと手を打つと仕切り直しというように私に近づき、屋上のドアを開けた。

「驚かせた詫びや。飯でも奢ったるわ。ほれ、行くで。」
「飯?真島さんとご飯食べていいんですか?」
「おう。毎日熱視線向ける●ちゃんに今夜は応えたろうやないか!デートと思ってもええで。」

ヒヒっと笑う彼は楽しそうにドアの向こうを顎でしゃくり、賑やかな街へ誘う。
片想いの人との夜。それが彼の気まぐれでも、たった一夜の夢でも、私はやっぱり幸せだった。
素敵な思い出をもらうために勇気を出して彼の隣を歩く私の目には、今夜の神室町はとても煌びやかで熱くて騒がしい世界に見えた。


end



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