君といられる日になった
(あかん…。)
働き詰めのせいで身体を壊した真島は額に運んだ手に移る熱に溜息をついた。体温計も薬もない。生活に必要なものはこの部屋にほぼない。買いに行くのもだるいが、外食が基本であるため食料さえないので外に出なくてはいけない。
(…うぅ、吐きそうや。)
体は丈夫な方だったが、自分はやはり生身の人間か。長く歩けないと断念した真島は近くの公衆電話に向かい頭に浮かんだ女に電話をかけた。
「もしもし?」
「●ちゃんか?わしや。真島や。今日休みやろ?すまんが、頼みたいことがあるんやけどええか?」
真島の弱った声に彼の不調を察すると彼女は快く買い物を引き受けてくれた。助かるわぁ、と感謝をしてからヨタヨタとアパートに引き返す真島はドアの鍵を開けたまま床に倒れ込む。
「ぐぅ…かっこわる…。」
体格のいい男が布団もない部屋に倒れ込み、目の前に拳を握って悔しさと男の恥だけを感じている。
(ええところ見せなあかん子にこんな姿見せる日がくるとはのぉ。)
まるで死ぬ間際の武士が残す一句のように呟くと、彼は熱の苦しさから意識を手放した。
◆ ◆
目が覚めたのは、額が冷たくなり、人がいる物音がしたからだ。
「真島さん…!」
「ぁ?…ぁあ…●ちゃん。すまんのぉ。」
冷えピタを額に貼られ、家にある毛布に包まれていた。体の下には●の上着が伸ばしてあり、少しでも床で体が冷えないように気を回している。
「熱測ったら38.2でしたよ。薬も買ってきたから飲んでください。飲めそうですか?」
「…いま、起きるで。」
とは言うものの体が言うことを聞かない。重りを四肢に括り付けられているかのように動けない。
「体起こしますね。」
小柄な●が、よいしょ、と彼の背中に腕を回して何とか起こそうとするがかなり苦戦していた。真島も力んで肘を立てて浮いた身体を支える。
片手で彼を支え、薬を彼の口に運ぶ●の顔は近い。真島は彼女の鎖骨に頭を預けながら薬を口に含むと水を待つが、その間に肩に当たる胸の感触に脈を速めていた。
(あかん。こんな時に何考えとるん。)
「はい。水です。」
口を薄く開いて水を飲んだ時、うまく飲めずに幾筋か口端から水がこぼれ落ちたが、気にせず薬を飲むと顔を上げて●を見つめた。
(女に抱かれとる…。)
熱い顔をした真島はぼんやりと彼女を見て、彼女は指で彼の口端から溢れた水を拭った。
「食欲はないですか?ヨーグルトありますけども…。」
「後でいただくわ。」
言葉を交わした後に離れる●に真島は空いている片手を伸ばした。人間は風邪を引くと素直になってしまうのか。普段なら決してこんなことはできないのに離れる●を引き止めたかった。引き留めなければきっと彼女は上着を残したまま帰ってしまうだろうから。
「まだ居ってくれるか?」
「真島さんがいて欲しいならここにいます。」
「ならいてや。…いつもそうや。」
「?」
「いつも別れる時にそう思うんや。」
自分でも何を言ってるかわからない。寝言なのか熱で意味不明なことを口にしてるのか、それとも言えずにいた本音がこんな時に出たのか。●は驚いた後に優しく笑うと真島の隣に横たわる。
冷たい床のはずなのに彼女は気にせず彼のそばにいた。
◆ ◆
夕方。
目を覚ますと朝よりも体が軽くなり、あの発熱は何だったのかと思いたくなるほど体調が良くなっていた。
隣で寝息を立てる●に気づいた真島は慌てて毛布をかける。
(寒かったやろうな。女の子をこんな床に寝かせてしもうた。)
貼られていた冷えピタを取ると静かに起き上がり、テーブルの上の水やパンを見る。腕時計を見るともう5時だ。彼女のせっかくの休日をとってしまったと思うと申し訳なく思う。
(起こした方がええんか?)
いまだに眠る●を見ていると起こしたくなくなった。真島は床に座って●を見つめながら、体の下に敷いていた彼女の上着を伸ばして畳む。
(惚れとる女がそばで寝とるなんてこの先あらへんかもしれん。今くらい見ててもええか。…って、ほんまに今日のわしは自分勝手な男やなぁ。)
真島は何をするでもなく、ただ●の寝顔を見つめていたら●が起きた。ん?と言う目をこちらに向けるので真島は声をかける。
「こないな床で寝かせてすまんかった。」
「ああ、真島さん、元気になったんですか?」
「お陰で元気や。…ほんまに助かったわ。この借りはちゃんとかえすで。」
目を擦りながら起きる●は首を横に振る。
「真島さんが治って良かった。…ちゃんとあったかくして寝ないから、ちゃんと休まないから風邪ひいちゃうんですよ?」
「返す言葉もないわ。布団くらいは買わなあかんな。」
「…布団が本当にないんですね。少しびっくりしました。」
「呆れられてもしゃーない。わしは全く生活を気にせん男やからな…。」
いつもカチッと決めている支配人の自分しか知らない●にとって、こんな空虚で何もないの空間に住む自分を見て相当ギャップを感じたに違いない。
●は小さく笑うと立ち上がったので、それが帰りの合図だと思い真島も渋々立ち上がった。
「もう、帰るんか?」
「え?…あ、えっと、真島さんが元気になったみたいだから。」
引き止めるかのような言い方に●は驚いて振り向く。治っても仮病使って引き留めたらよかった、と後悔してから、彼女に礼を言う。
「せ、せやな。ほんま●ちゃんのおかげや。」
「もしかして、もっと一緒にいたかったですか?」
「!……、…。」
「…真島さん、薬飲んだ時も私のこと引き止めたんですよ?」
「おう…覚えとる。」
「その時も、まだ居ってくれるかって…私に聞いたんです。」
「それも覚えとる。…迷惑やったと思うけど、わしは●ちゃんがそばにおったら安心できたんや。まるで子供みたいやけど。」
「ふふ。…嬉しい。」
「ん?」
「いや、何でもないです。」
「なんやねん。嬉しいって、それ、まるで…。」
期待を込めて続きを促すが●は恥ずかしがって顔を逸らしたので、彼は頭を掻く。
「もし●ちゃんもまだ一緒におってもええって思うんなら、今日の礼として夕飯行かんか?」
「嬉しいですけど、本当に元気なんですか?朝は38度も出てたんですよ?」
「おう!めちゃめちゃ元気や!あの熱は何で出たんか全くわからんくらい今は元気やで。せやから、何処にでも行けるで!」
「はは。なら、体力つけるためにも夕食にいきましょうか。」
「おう。…あぁ、その前にシャワー浴びてええか?汗かいとったし。すぐに浴びるからまっとってや。」
「はい。なら、えーと。そ、外で待っていればいいですか?」
脱衣所がない部屋なので●は慌てる。真島は●には家の中にいさせて浴室に着替えを運んで湯を浴びた。
(よっしゃ!…今日は一日●ちゃんを独占や!…夕食どこいこ?…ってあほみたいに気合入っとるんやけど、この調子でいったら引かれるやろな。わしは●ちゃんからクールって言われとるし、●ちゃんはクールな男が好きって言うとったし、ちゃんと落ち着かな。ただでさえ生活感のない部屋みられて呆れられとるんや。こっから巻き返さなあかん。)
元気になった真島は頭の中で一人作戦会議を開き、上がり切ったテイションを心の中で発散さて、湯を浴びて部屋に戻る頃には冷静な男に戻る。
「わ!早かったですねっ。」
「おう。待たせたらあかんからな。ほんならいくか?」
「髪濡れてますよ?ほら、また風邪ひく!」
「ん?お、おう、でも、この髪が乾くのまっとったら時間かかるで。●ちゃんも昼抜きやったし腹減っとるやろ?」
タオルでてきとうに乾かしただけの髪のまま外に行こうとしたら、●に手を引かれた。いきなり手を握られたことに硬直した真島は片目がぐわっと見開く。
「乾くのを待っていた方がもっと長く2人でいられますよ?」
にこっと口にした●のセリフに負けた真島は大人しく床に座ると束ねていた髪を解いてタオルを当てた。
(一本取られたわ。…ちゅーか、●ちゃん脈ありか?)
黙々と髪をふく真島を見つめた●は彼の背後に回って真島に代わって髪を拭き始めた。
「熱で苦しんでた真島さんには悪いけれど、こうして2人で過ごせるきっかけになって良かったです。」
「わしもそう思う(何やの。この幸せ)。こんなええ日になるとは思っとらんかった。」
その言葉に答えるように背後から頭を撫でられた真島は頬を赤らめながら、もしかしたら食後にチャンスがあるのではないかと欲深く期待し始めた。
end
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