白む空に悩む


●は寝癖のついた髪を整えることもせず、姿勢もだらしなく崩したまま窓の外を見つめた。午前4:54の空は流石に大した星もない。シーツの上であぐらを掻きながら、目線を隣で寝ている真島吾朗の寝顔に向ける。

彼とは去年までは付き合っていた。
多忙な彼とのすれ違いを経て別れたが、昨夜バーで再会してしまった。店の中で、あっ、と目を合わせたものの気まずいので目を逸らして離れたカウンター席を選んで食事をしていたけど、席を立った時に合わせるように彼も立ち上がり、私に声をかけてきた。

帰るのなら送るで。とまるで夜道に女を歩かせられないとでもいう使命感を感じる言い方に下心なんてない。彼はいつもそうだった。当たり前のように弱者に親切で、見返りも不要で守り抜けば姿を消す。そんな後ろ姿を呼び止めたくなる女は幾人もいることを知っている。私もその1人だったし、一瞬でも特別になれたことは幸せだった。

ありがとう。と受け入れて2人でバーを出ると雨が降っていた。家まで歩いて20分。タクシーを拾えば5分だけど、2人ともタクシーに見向きもせず。彼が、ちょっと待っとれ、と言って斜め前のコンビニに入り、ビニール傘を一つ買ってきた。私の横に立って傘をさすと、行くで、と言って歩き出す。小さな傘だから、きっと彼の半身も雨を防いでいない。でも文句も言わずに彼は私の方に傘をさしてくれている。それに、これ好きやろ?、とコンビニで買った暖かい紅茶のボトルを差し出してくれた。

(こんなことされたらまた好きになるのに。)

その時苦しいくらいに嬉しかった。礼を言って紅茶を口にする。大した話もなく黙って歩くのが当たり前みたいな関係だけど居心地が悪いわけでもない。赤信号で立ち止ると間を置いてから、元気か?と、こちらを心配する彼の声がする。頷いて、そっちは?と聞けば、ぼちぼちや、と疲れた声で答えていた。彼は常に仕事に追われて時間に余裕のない人だから。私にこんな時間を割いてくれること自体が彼の最大限の優しさだ。だからって足早に帰りたくもないのは、やっぱりこの人の隣が好きだから。ただ、手を伸ばせば同じ結末が待っているのも知っている。

「倒れないでね。」
「せやな。お互い無理はあかんな。」

気の抜けた声で返されて少し笑うと彼も少しだけ笑った。そして、青信号になって歩き出して、だんだん見えてきたアパートを見て、こんなこともうないのかなと寂しが込み上げてくる。まだ好きだと、言える口ではない。私から別れを切り出したんだから。立場がないので、彼の傘の外に出るしかなく、振り向いてもう一度礼を言うのに、彼は歩き出さない。

「もう寝るんか?」

付き合っていた時も彼は別れ際にそう聞いてくる。私がまだ起きているといえば、次に彼がすることは私に近づいてあまえること。それを受け入れれば恋人らしい時間が過ごせたので、今回もまだ起きていると答えた…、


ーー

「んっ」

寝ている彼が小さくうめく。暑いのか彼にかかる布団を少し避けてあげるとスヤスヤ寝続けた。長い髪をシーツの上にばら撒いて寝る彼は般若そのもの。ただ、今の彼に荒々しさも鬼の形相もない。

恋人でもない、元恋人の彼の寝顔を見つめながら、名前もないのに繋がる関係に落ちたことを喜べばいいのか新たな悩みと言えばいいのか分かりようもなく。ただ、これが最後の夜になるかもしれないと思って彼の手を握ると彼は目を覚ました。

「何や?…そないな顔して、悪い夢でも見たんか?」

寝ぼけ眼で私を心配する彼に笑うと彼はのそっと体を起こして私を抱きしめるとシーツの上に押し倒した。そして、私が腕の中にいることを確認すると瞬く間に寝てしまう。

こんなことをされたら望みがあるのではないかと期待してしまう。やり直せないか、と期待と不安が同時に私の頭を巡り続ける。

「もう一度告白したら、また付き合ってくれるかな…。」

私は彼の重みを感じながら、傘の下でずっと言いたかった言葉をやっと口にする。
東の空が白んでいくのを見つめながら、朝、その言葉を口にするかどうか、私は迷い続けた。



end


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