光はすぐに消えて


「周りを食らい、のし上がり続けるしかないんです。少しでも弱みを見せたら周りに食われる事になります。」

立華鉄と言う男がこんな狭い貸し家に上がり込むことがおかしかったけど、彼にとってこの部屋は居心地がいいのか程よく酒に酔い、自分の過去を珍しく口にした。
彼の生き方を聞いて寂しくなりながら、その壮絶な人生を聞いて静かに私も酒を口にした。

「こんな話をするなんてどうかしていましたね。貴方にとってちっとも面白い話じゃない。」
「今日の立華さんはいつもと違うけど、でもいいと思う。」
「そう…ですかね。」

そう言いながらも彼はまだグラスに酒を注ぐ。飲みたいのかも…いや、落ちたいのかも。彼は安い酒を何度も口にして、熱い息を吐きながら"失礼します"といってシャツのボタンを外す。

だらりと下がる義手。伸びる片足。前髪がほつれており、酔って焦点が定まらない目をしていた。私の前でありのままを出してくれるのは嬉しいけれど、私を女として意識してないからこうしてカッコ悪い姿を見せるのなら悲しい。

「毛布あげるから、眠くなったなら寝なよ。」
「ええ…ありがとうございます。」

うつらうつらと体が揺れた彼に声をかけると、瞬きのうちに彼は眠った。壁に寄りかかりながら首を落として寝る姿は、まるで道端で寝る酔いどれのような姿。彼とて人間なんだと思いながら、電気を消した後で華々しい彼の背後に救いのない人生が連なっていたことにショックを受けていた。

翌朝、彼はもういなかった。
私より先に起きて置き手紙を置いて出ていっていたらしい。開けた缶ビールは捨ててくれていたし、鍵は部屋のポストに入っていた。毛布も綺麗に畳んで床に置かれている。
そんな物音が一切しなかったのは、闇の中で生きる者の特技なんだろうか。

(朝ごはん作ろうかと思ってたけどな。)

私は寝癖頭のまま、昨夜の礼を綴った彼のメモをながめる。2行のメモくらいすぐに捨ててもいいのに、私はもう彼はこの部屋にこないだろうと思ったので捨てきれずに取っていた。

彼という男の裏も表も知ってしまうと引き込まれるのに、きっと彼は昨夜以上に弱さを見せはしないだろう。そもそも、私に語って後悔しているのかもしれないから距離を取られるかも。

そんなことを永遠と考えて、桐生さんのシノギ場所である不動産屋へ向かった。そこで事務仕事をしたり、電卓を叩いて売上の計算をしたり、いつも通り仕事をしていたのに桐生さんに何かあったのかと声を掛けられる。何も?と答えると信じてない目でじっと見つめられた。

「嫌なことでもあったのなら飲みに行くか?」

こんな時は優しい声になる桐生さんはずるい男。私が何に傷ついて何を失ったのかは聞かずに、彼は私を街に誘った。核心に触れず、彼と酒を飲んで食事をして、少し酔って帰り道に桐生さんに身を預けながら歩いた。

昨日の立華さんもこんな感じだったのかもしれない。いつもうまくやれているのに、ふと誰かに支えてもらいたくなったり、弱さや苦しさを吐き出したくなったりする。そして、たまたまその時一緒にいた相手に求めたり甘える。
ただ、朝が来たら我に返って相手に未練もなく自分から立ち去るの。

(悔しいな…そんな気まぐれに付き合わされたのかな…本命から。)
「●…。」
「ん?」
「タクシーに乗ってお前の部屋に行こう。そこでたっぷり泣けよ。」

優しい。じわっと響く優しい声。私は知らないうちに泣いていた。うん、というと私と彼はタクシーに乗って私の部屋に帰る。

昨日は立華さんがいた場所に今夜は桐生さんがいる。私は桐生さんに茶を出そうとすると彼に手を引かれてそのまま抱きしめられた。

「泣きたい時は俺がそばにいる。」

強い抱擁。抗えないのに怖くない。
彼の腕は道を外れたものを殴り飛ばし、弱った者を抱きしめる。彼を抱き返して彼の底知れない優しさと器に甘えた。
朝が来たら、元の私に戻る。立華さんがそうだったように。…と自分に約束してこの夜は泣いて過ごした。


ーーーーーー
ーー
1人の黒スーツの男が彼の気品にはそぐわないような安い貸し屋の階段を上がっていた。片手には女性が好みそうな菓子折りが抱えられている。昨夜の宿泊の礼として仕事の合間に購入したものだった。

だが、部屋に近づくと女の泣き声が微かに聞こえてくる。彼女の身に何か?と音もなく部屋に駆けると、聞き慣れた男の声が優しくドアの隙間から聞こえてくる。

ー 俺がいるから安心しろ。

その声色を聞いた途端、全身の熱が消えた。スッと冷静になり、心の中で芽生えていた温かな思いが凍りついていく。
この部屋の奥で何が起きたかなんてわからないが、今自分が何をすべきかはすぐに判断できた。自分はこれ以上踏み込めない。

立華はドアの前で立ち止まり、抱えていた菓子折りを見下ろした。何を勘違いしていたのか。

ー 自分が誰かを大事にするだなんて今更、虫が良すぎだ。

大事なものを置き去りにした自分が…自分だけ幸せを見出そうとしたなんて。悪に染まった手で抱えてきたこれは、表の世界しか知らない彼女に渡せるはずもない。こんなもの。

ー ふっ…らしくない。

自嘲気味に笑うと彼は音もなく引き返し、大切に包装してあった菓子折を目に止まったゴミ箱に捨てた。そして、暗い夜の街に溶け込むように消えていった。



end



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