新生の夜、君と


ー いい加減檻からでちまえよ、真島ちゃん。

どうも好きになれない声がそそのかす。そう言った男はおでん屋の暖簾をくぐって出て行ったが、真島は武士のように重々しい空気を放ったまま日本酒が入ったお猪口を見つめた。

彼は時々爆発したくなるような強烈な波を感じる。それはストレスが溜まって爆発する、などといった類ではなく、狂人的な、破壊的で脱線している何かだ。
今もそれを押さえつけて"ここ"にいる。

ー ♪

ふとポケベルが鳴った。番号を見ると重苦しい空気がたちまちのうちに消えて行く。●が会いたいと誘って来たのだ。

(!)

佐川で気が病んだ後の●の存在は、澱んだ水を美しくする天然水のようなもの。透明感があり、瑞々しく、いつも眺めていたくなる純粋さがあった。
残った酒を仰ぐと店から出て●のアパートへ向かった。


ー いい加減檻からでちまえよ、真島ちゃん
(やかましいわ)


頭に残る声を振り払い、●の元へ走るが、強い酒を飲んだ後の運動のせいで眩暈がした。よろけてゴミ箱を倒すが気にせず走った。
その時の真島は逃げていた。逃げて癒しに飛び込んでいたのだが、彼はそれに気づかなかった。


「●ちゃん、俺やでー!」

アパートの前で身なりを整えてからノックをすると彼女が嬉しそうに出てくる。この笑顔が可愛くてたまらず鼻の下が伸びた。

「あ。手土産も持たずに来てしもうた。もしいるもんがあったら一走りしてくるで?」
「うんん、いいのいいの、真島さんがいてくれたら嬉しいから。」

嬉しいことを。キャバ嬢がこのセリフを言うのと、●がいうのとでは何もかもが違う。心の底から言ってくれているのだと知ると、その気持ちに真面目に応えなければならないと思う。
ただ、その一方で、心がざわめく瞬間がある。それはまだ気配でしかないが確実に真島の中で燻っている。

(何や…、今の。)

●の隣に座って●とテレビを見ていると、今すぐにでも●の手を引いて負担に押し倒したくなる。それは男の本能というものとは違う。
押し倒して、●と狂いたくなると言えばいいのか…。快楽にどこまでも落ちたくなる。

(あかん、酒の飲み過ぎやろか?…ほんでも、●ちゃんと理性飛ばしながら狂うのも楽しそ…、ってあかんあかん!)
「真島さん?どうしたの?頭でも痛いの?」
「はっ、あ、いやいや、ちゃうで!めちゃ元気や!」

頭をガシガシ掻いて誤魔化すと●はそっと身を寄せた。その体を大事に支えながら、少し狭いアパートの部屋を見渡す。地味で何処にでもある一室。この場所で彼女の肩を抱きながら、眠気が来るのを待てばいいのか。横に並んで朝まで眠ればいいのか。

(足りんわ、足りんわ)

大人しく●の頭の上に顎を乗せる真島だが、ふつふつと心臓が沸騰しており、熱から叫びたかった。暴走する手前のような激情を必死に押しとどめている。

ー もっと自由に生きてみりゃいい。その真面目腐った仮面、とっとと剥いじまえよ。

ムカつく男からの言葉に従いたくはないが、あの男は自分の中に育った狂気を知っている。まるで時が来たら起爆する時限爆弾を自分は抱えているのだ。
それが楽しみでもあり、不安でもある。そんなことをしては●がいなくなってしまう。他のものを失ってもいい。しかし、彼女だけは、

「なあ、●ちゃん。俺が馬鹿な男になっても、狂った男になっても、受け入れてくれるか?」
「え?ばかな男?どういうこと?」
「その…、なんちゅーか…、たまに、馬鹿みたいに騒ぎたくなる時があるんや。はめを外すっちゅーか…、大騒ぎしたくなるっちゅうかー…。」

いきなり言われた●はキョトンした目で見つめ返すので真島は後悔する。そんなことをいきなり言われても困るだろう。しかし、彼女はどんな自分も好きだと言うので、嫌われてはいないと安心した。

「ほんじゃ…これからも●ちゃん一筋でいくで?ええな?」

真島の期待を込めた声に素直に頷いた●だったが、やがて恋人が別人のように豹変するなどとは思ってもなかった。


◆ ◆

●は暗い夜道を急いで帰り、アパートの階段を駆け上がろうとした時に、電柱の影から1人の男がユラッと現れて驚く。いかにもヤバそうな男は、パイソンジャケットに黒の皮のパンツをはいており、ユラユラと揺れながらこちらを見ていた。
不審者だ。絶対に。

「●ちゃん、まっとったで〜!」
「え?だ、だれ?」
「わしや、恋人の真島吾朗や。何怖がっとるの?」
「え?!」

あまりに人が違いすぎて信じられない。そんな裏声で話さないし、明らかに薬をやってる人の顔つきだ。でも、よく見たら眼帯をしているし、背丈も彼だ。

「あ、あの、えっと、いつもと違くないですか…?」
「これがわしや。これが、本物の真島吾朗や!」

両手を広げてアピールすると階段の前に立ち塞がる。あの堅物で真面目真っ当な男はどこかへ消えたらしい。かつて彼は自分が馬鹿みたいな男になっても頼むと言っていたが、本当になるとは。

「わしはもう自分に嘘ついて生きることはやめたんや。どこまでも楽しく狂った生き方をする。そんでも、…わしは●ちゃんを愛することだけは変えへん。」
「…!」
「せやから、会いに来たんや。」
「…。」

●ちゃん、といった時の声はかつての真島の声だった。困った時、苦しい時、いつも真摯に向き合って助けてくれた恋人の声。
驚きは隠せないが、離れる気も起きない。●はゆっくり彼に近づくと、ギラついた目の中に変わらない優しい光をつけた。

「…真島さん。うん…真島さんだ。」
「おう。」

強く抱きしめられた●は恐る恐る新しい恋人の背中に回した。ちゃんとついてくるんやで?と●の耳元で囁いた真島は今手にあるものを確認する。…いや、あの夜全て捨てたのだから、確認するまでもないのだが。

今あるものは新しい自分と愛する女だけ。
これだけあればやっていける。本当に必要なものはこれだけなのだ。


「ここからわしがやっと始まるんや。ホンマモンの真島吾朗の生き方が。」


新生した真島は夜空を見上げて吠えたくなった。
檻を突き抜けた真島は開放感から楽しくてハイになっている。
この日を●と共に過ごしたかった。今日という日を一緒に踏み出して欲しくて。

強引に●を抱き抱えると、もっとええところに行こか…と妖しく目を細めて夜の街へ歩き出す。勿論、彼女は逃げもせず、首に抱きついて彼に身を委ねたのだった。



end


ALICE+