押される佐川さん


「佐川さん、お願い、殺して。」
「あいよ。じゃあちょっくらやってくるからお前はここにいろ。」

涙声で自分に殺しの依頼をする●に対して、佐川はなんの躊躇いもなく立ち上がりその場から立ち去った。●は部屋の隅で座り込むと震える自分を抱きしめる。

冷たい時間が漂う。佐川がこれからやる事を想像して吐き気が込み上げたが●の決意は変わらない。
必ず死んでもらわねばならぬ相手なのだから。

「終わったぜ。しかし、お前も厄介な奴に好かれたモンだな。」

佐川は座っている●の隣に立つとタバコを取り出して口に咥えて火をつける。

「で、いつまでそうやってるんだ?みんな終わったってのに。」
「だって、だって、嫌ですもん。一度でもあいつが脚を踏み入れた部屋だと思うと全てが気持ち悪い。」
「じゃあお前はこれから冷たい廊下で暮らすのかよ。こんな寒い時期に出来るわけねぇよな。」
「…さがわさん。」
「はぁ、仕方ねぇな。今夜だけだぞ。俺のとこに来い。」

ため息を吐きながら佐川は●を受け入れると●は安心したように立ち上がって佐川に抱きつく。

「今日だけだ。」
「やですよー!だって、一匹いたら100匹いるって言いますもん!」
「んなにいるわけねぇって。」
「卵産んでたら?」
「小せぇのならやれるだろ?」
「無理無理気持ち悪い!速いし!叩いた時ビチャって中身出たらどうすんですか!」
「あー耳元でうるせぇなぁ。」

渋い声で笑いながら佐川は●の頭を下に押し込んで顔から離すと彼女の部屋を出る。●が鍵を閉めた事を確認してから2人で佐川の事務所に向かった。道中では、何で佐川さんの家じゃないの?と聞かれ、お前はここで十分なの、とあしらった。

「俺が誘いたい女になったら考えてやるよ。」
「事務所って、他にも人がいるの?」
「安心しろ。お前みたいなガキは誰もくわねぇから。」
「え!?佐川さんいないの!?居てくれないの?」
「呼び出しが来なけりゃ居てやるよ。」
「ほっ…。」

ヤクザの事務所で一晩明かしても構わないという若い女をおかしく見つめる佐川は、ホントおもしれぇ娘だな、と●の横顔を見つめた。
●は純粋に自分に寄ってくる女だった。金や立場を気にしないのが欠点で世間知らずの●の危うさだ。佐川司という年配の男にまるで自分の親戚のような気軽さで助けを求めたり甘えてくる。最初は相手にしていなかった佐川だが●に話しかけられるとヤクザに入る前の自分を思い出すようになり、ヤクザにならなかった自分がいたらどんな男になっていたのかと想像することさえあった。

ー お前は俺を普通の男にしちまう厄介な女だな。

それなら追い払えばいい。現実を突きつけるなり脅すなりしてこちら側に近づかなくすればいい。それが守るということなのだから。自分の弱点を作らないことでもあるのだから。
それなのに出来ない。追い払ってもう二度と目の前に現れないことが非常につまらない。

ー お前、俺が死ぬ時は自分も死ぬって言えるか?

世間知らずな娘には通じないだろうが、いつか聞いてみたい。●がそうだと答えれば佐川も腹もくくれる。この女のために死ぬことも、この女を道連れにすることにも迷いがなくなるはず。

「いいか?お前が今から足を踏み入れるところはタダの宿屋じゃねぇ。ヤクザの事務所だ。カタギのお前が足を踏み入れることなんて普通はない。それなりの覚悟が必要なんだよ。それでも来るか?」
「一泊だけします。」
「…ああ。入り浸るんじゃねぇよ。」

危ない橋を自分がつくっちまった、と事務所に入る●の背中を見つめながら思う。無垢な子どもを獣の洞窟に誘う悪魔のようだ。だが、後悔はしない。
それほど目の前の娘に一緒に落ちて欲しいのだ。


end


温度差のある2人
裏の世界を知らない娘と彼女を引き剥がせない佐川
虫退治にヤクザを呼ぶほどの無知
虫退治を受け入れる普通の男になる佐川

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