血の理由


「よぉ。久しぶりだな。元気だったか?」
「佐川さんっ。こんな夜遅くにすみません。」
「いいってことよ。俺も昼間は仕事だからな、夜がちょうどいい。」

●は待ち合わせの場所へ向かうと既に佐川が待っていた。先ほどまでの佐川、つまり枯れ木の下で●を待っていた佐川は眼光鋭く、風格があり、月に照らされた髪は白銀に染まっていたため、人成らざるもののように思えたが、●に気づくと柔和な雰囲気と目つきになった。

「もうこんな時間だ。お前は飯食ったのか?」
「それがまだで。」
「だよな。仕事してすぐにこっちに来たんだろ?ならお前の好きなもんでも食いに行くか。」
「はいっ。」

枯れ木道を並んで歩く二人は他愛のない話をする。しかし、●としてはこのような時間に月の下を歩くことはあまり好きではなかった。
この世には人間と吸血鬼がいる。人間の血を啜る吸血鬼が。自分は混血という半端な存在だが、佐川は人間であり、奴らに襲われてしまうかもしれない。それが怖くて今微かに緊張していた。

また、自分は彼らの餌ではないのに何故かそうなるんじゃないかという不安があった。その恐怖心は幼い時からあって、親に慰められたり、●は混血なのだから襲われることはないと言い聞かせられたものだった。

「近場で食べましょう。」
「夜道は嫌か?俺は好きだよ。それとも、俺が危ない目に遭うって心配してるのか?」
「…そうです。佐川さんも見ましたか?今日の新聞で昨夜何人もの人間の血が抜かれていたと…。やり方から吸血鬼だと。」
「おっかねぇ連中だよな。だが、俺みたいなおじさんをわざわざ食うわけないから、まぁ安心しろ。」

愉快そうな笑い声を立てる佐川は少しも怖くないらしい。●はもっと強く言おうか迷うが、彼相手に言いにくい。
彼は自分にとてもよくしてくれる人間だった。そればかりではなく、人間の母と吸血鬼の父にも。肩身が狭い自分達に佐川はとても友好的で、必要ならばと金や働き口まで紹介する。そんな存在を家族揃ってありがたがっていた。

ー 佐川さんは恩人だから絶対に怒らせないこと。
ー 佐川さんのいうことは聞かなくてはならない。家族のためにも。

と、自分の中の決まり事が自然と生まれているので彼の言うことや提案は素直に従っていた。
ただ、今日は自分から彼と一緒に過ごしたいと誘った。いつもよくしてくれる佐川に甘えたくなったというか、もう少しそばに感じたいと思ったのだ。それを快く引き受けてくれたのだが、昼は仕事があるから夜な、と言われてこんなに暗い時間になってしまった。

「ん?」
「ん?なんかいた?」

何か気配がする。振り向いて辺りを見るが何もない。もし吸血鬼なら佐川を守らねば、と普段は短い爪を鋭く伸ばして警戒していた。
そんな●の肩に佐川の手が乗る。

「猫かなんかだろ。ほら、行こうぜ、●ちゃん。」

真っ直ぐな目で、安心しろ、と言われれば渋々従ってしまう。爪を縮めて背後を警戒しながら店に向かった。隣にいる佐川は本当に何の警戒もしていないので、不安な道中だった。
少し歩いて二人で居酒屋に入ったが、●は近くに吸血鬼がいると思えて仕方ない。なぜかと言えば、薄い血の匂いと人ではない空気というか、異質なものがそばにいると感じたからだ。さりげなく辺りを見渡して客を見たがそれらしい者はいない。
しかし、吸血鬼が人間に化けて隙を伺うということもある。この居酒屋の客の中に実は吸血鬼がいて、酔った人間の帰り際を狙うのでは?と勘ぐっていると、

「で、どうだ?今の仕事。お前に向いてるだろ?」

研ぎ澄まされた感覚を佐川のリラックスした声が遮断する。彼は席について●のグラスに赤ワインを注いでいた。その色を見ると血を飲みたくなるが、グッと堪える。

「はい、みなさんとても優しいです。私が混血なのに気にしない人が殆どで。ああ、でも中には吸血鬼が怖いっていう人がいて、その人は私を避けますね。」
「まぁな。そんなもんだろ。だが、俺がお前の良さをちゃんと伝えてるから害はないはずだ。それでも、なんかあったらすぐ言えよ。俺がオーナーだからよ。」

●は佐川がオーナーを務める酒場で働いている。そこで主#は料理を作ったり掃除したり裏方の仕事をさせてもらっていた。
地味な仕事だが、仕事がないより遥かにマシだった。佐川がいなければ職探しも一苦労だ。人間が営む会社に就職しようとしても、●の素性を知った途端に辞めろと言われたり、意地の悪い興味深い目で見られたり、過度に恐れられたり…。なので、吸血鬼側の仕事に着こうともしたが見下した目つきや言動が不快でやめた。

「佐川さんには、感謝しています。」
「お前は頑張ってるんだから当然力になる。」
「でも、なぜ私たちをこんなに助けてくれるんですか?」
「気になる?俺はお前と昔あってるんだよ。といっても、お前がガキの頃にな。」
「えーっと…私は佐川さんと初めて会ったのは二年前ですが…それよりも昔に会いましたっけ?」
「まぁ、お前はチビだったし忘れてるだろう。まぁいいさ。」

知りたいと思ったけど、次々に料理が運ばれてきて食事に移る。どれも作りたてで湯気がでいるし、食欲そそられるものばかりだったが、佐川はあまり食べたなかった。仕事中に軽食を取ったからお前が食べろよとタバコを咥えている。お腹が空いていた●は遠慮なく食べていたが、そんな姿を見て佐川は目を細めて笑った。

それからは仕事の話や他愛のない話をして時間を過ごした。●は人間なのに風格があり、言うことも的を得ていて、渋く語るその横顔に見惚れる。彼が何歳かは知らないが、人生を長くたどってきたような達観した考え方があって●はそれが好きだった。
もっと聞いていたかったが、そろそろ眠くなる。酒も入ったため、周りに対する警戒心が薄れていき、帰る頃の●はとても無防備になっていた。

「なあ、少し歩かねえか?」
「いいですね。」

とろんとした目で佐川と歩く●は月を見上げる。やや黒い雲が月を覆っていたが、月が明るいので雲間から覗く月が地上を真っ白に照らしていた。風は生ぬるく、ふわりと吹く風が●の髪を不穏に揺らす。
佐川の隣にいるのは好きでも、今夜はどこか薄気味悪さを感じてしまう。

「お前はまだ吸血鬼が嫌いか?」
「あまり。すごくプライドが高くて偉くもないのに偉そうにするから。」
「はは、まぁ、間違いではないな。だが、そうじゃない奴もいる。」
「佐川さんは吸血鬼の知り合いが父以外にもいるんですか?」
「まぁな。」
「怖くないんですか?」
「……。」

急に足を止める佐川。
佐川は●の声が耳に届かないのか瞬きもせずに月を見上げていた。●もつられて月を見ると違和感をおぼえる。月の端が微かに桃色に変色していた。気のせいかと思って見つめていると、桃から赤に、赤から燻んだ赤に色が変わりゆく。

力のある吸血鬼は月の色を血のように赤く染めることができるという。そんな話を思い出した●はハッとして振り向くが人影はない。でも、確かにそばに吸血鬼が隠れているのだ。悍ましい存在が。
本能的に爪と牙を伸ばして警戒すると、背後からポンと肩に手を置かれた。そして、耳元で佐川が囁く。

「大丈夫だ。もうあの頃みたいに襲わないから。」
「え?…痛ッ…!?」

不意打ちの激痛。首元に牙を立てられその場に倒れ込むと覆い被さる佐川に血を吸われる。何が起きているのかわからず、思い切り暴れると爪先が彼の鼻先を掻いた。
口元を赤く染めた佐川がゆっくり上体を起こし、●を見下ろした。

その髪は白髪で長い牙が口から覗いていた。佐川の喉を自分の血が流れ込むと彼の背後にある月がどす黒く染まる。ひどく不気味で生々しい色合いに気分が悪くなった。●は貧血でフラつきながらも意識は手放さず首筋を抑える。

「●ちゃんの血、久しぶりに飲んだよ。あの頃も美味かったなぁ。」
「…なん、なん…ですか、それは、どういう…?」
「●ちゃんさ、お前の血にはお前が両親だと思っている二人の血は入ってないんだ。」
「え…?」
「●ちゃんは元は人間で、あいつらの養子なんだよ。」
「…うそです。私は混血です…だって、爪も牙も伸ばせるし、血も飲まないと倒れるし…人間なわけないですよっ。」
「ああ、今はな。」
「今は?」
「昔、俺に襲われたんだよ。吸血鬼の俺に。」

佐川がおかしいのか自分がおかしいのか、色々なことを言われて分からなくなる。下手をしたら自分の出生も生い立ちも全てが狂う話。到底受け入れられないし、理解が追いつかない。呆然と佐川の話の続きを待つ間にも首を押さえる手と手首が血に濡れていく。

「俺が美味しそうな●ちゃんを襲ったんだけどよ、殺すのが惜しかったんだよ。俺を人間だと思ってついてきた姿が可愛かったしさ。それで、気絶した●ちゃんに俺の血を入れたんだ。知ってるか?吸血鬼の血を注がれた人間は混血になるんだよ。」

貧血から目の前が真っ白になった。痛みもどこかにいって、何も考えられず、ただ地面に横たわる。それなのに佐川の声ははっきり聞こえてきた。

「いい女にもなってきたし、そろそろ俺がもらってあげるよ。お前も俺に懐いてるし、…いいよな?」



end


裏設定(補足)
.人間の●は小さい頃佐川に出会って襲われて気絶。佐川に気に入られて血を注がれ混血になる。●はその時のショックで幼少期の記憶が抜け落ちている。実の親は佐川に殺される。その後、佐川の部下(●の育ての父)に引き渡される。●の育ての父はその妻と●を養子として迎える。彼らは●を守る報酬として佐川から職や金をもらう。
.佐川は人間として●に近づき、過去に自分が襲ったことに気づかないようにする。機を見て自分のものにしようとしていた。


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