結婚するメリット


「お前もいい歳なんだ。男はいねぇのかよ。」

おでん屋で食べている時、佐川さんは親のような口調で聞いた。心配しているような茶化すような、ただ好奇心から聞いているだけのような…。

「いませんいません!」
「へぇ。こんな可愛いお前が?…まぁ、親から愛されすぎると嫁入りが遅れるって言うけどな。」
「佐川さんはいないんですか?」
「俺?…何いってんの。いるわけねぇだろ。」

驚いた後に笑い出しながら言い返す佐川さん。佐川さんって話しやすくて普通にいい人。もちろん、敵に回らなければ。

「佐川さんが結婚してないってことは結婚にはメリットないってことですよね?」
「お前なぁ、何で俺が基準なんだよ。俺みたいなヤクザの女なんて苦労しかしねぇの。」
「そういう人は1人もいなかったんですか?」
「おう、いねぇよ。」

タバコを咥えながら返事をする彼は間を置いてこちらに振り向く。

「お前、俺のこと狙ってんの?」
「いやいやいや!」
「何だよ、ビックリさせんなよ。」

面白そうに笑う佐川さん。私も笑ったけど、少しだけ佐川さんと結婚したらどうなるのか想像してみた。

「で、どんな男がいいんだよ。」
「うーん。…話しやすくて信頼できる人?」
「稼ぎも良くなきゃな。お前に貧しいは思いさせられねぇよ。」
「あとは何が必要なのかわからない。」
「お前のことわかって動く奴じゃないとな。お前は遠慮していわねぇ時があるから男の方が察して動かねぇとお前が損をしちまうんだよなぁ。」

煙を吐きながら佐川さんの頭の中にある私の相手を語り出す。

「それに偏食だからいろいろ食わせてやらねぇとな。おでんばっか食ってるんじゃねぇぞ?確かに美味いけどよ。…体も強い方じゃねぇから無理させねぇようにして、夜遅くまで働いてるから代わりに料理ができるやつか外食連れて行ってやるやつがいいだろうな。」
「……。」
「と、すると思い浮かぶ男は1人だ。」
「誰です?」
「真島ちゃんだよ。」
「……。」
「なんだよ、アイツ結構モテるんだぜ?」
「結局、ヤクザじゃないですか。」
「はは、俺がヤクザ以外の男なんて知るわけねぇだろ。」

いいんだが悪いんだか。でも、ヤクザがありなら佐川さんが相手でもいいじゃない。こうして外食連れてってくれるし頼れるしなんか安心できるし…一途だし?

「あんまり理想高すぎるのも良くねぇから妥協するんだよ?」
「じゃあ、佐川さんです。」
「俺で妥協すんなよ…。」
「矛盾してる!」
「いや。お前さっき俺のこと狙ってねぇっていったばかりだろ?それに俺はオッサン。組長だし危ねぇ男なんだよ。お前の前ではこんなんだけどな。」

そうだよね…、と渋々卵を食べる。聞き分けのいい私に彼は音もなく笑い、頬杖を付きながら慰めの言葉を言う。

「まぁ、でもお前は悪くねぇよ。素直で可愛い女じゃねぇか。男なら守ってやりたくなる。」
「…ねぇ、佐川さん。私、佐川さんと結婚したらどんな生活が待ってるのか体験したい。」
「どう言うことだ、それ。」
「だから、同棲してみたいんです!」
「何で俺となんだ。お前ならもっと若い男がいるだろ?」
「とにかく気になるんです!」
「はぁ。じゃあ7日だけな!わかった?」


こうして7日間の同棲が始まった。


◆ ◆

「…うぅんー?」
「おう、起きた?俺はもう出るから後よろしくな。」
「あ、え?まだ6時なのに?」
「ちょっと呼ばれてよ。悪いな。」

同棲して1日目。
朝早くから彼は上着を着て出て行った。目をこすりながら玄関まで送る。昨夜は豪華な朝ごはんを作る気でいた。お弁当も考えていたのに…残念、仕方ない。
夕食は何を作ろうかと考えていたけど、その夜帰って来なかった。ポケベルや電話でやりとりしていたので昼頃には帰れないことは知っていた。夜はキャバレーで真島さんと話さなきゃいけないとか大金を運ばなきゃいけないとか。色々大変みたい。

2日目。
夜に帰ってきた。やっと会えた!
彼がお風呂に入っているうちに手の込んだ夕食を用意したら風呂上がりの彼から「気合い入ってるなぁ」と笑われる。いろんな高級品を食べてきた彼からしたら平凡な味だろうけど「なかなか美味い」と褒めてくれた。

「あれ?酒はこれしかねぇの?」
「いつも飲んでるので休肝日です。」
「まぁそうだけどよぉ…、あーはいはい。わかったよ。わかったらそんな目するな。別嬪が台無しだぜ。」
「長生きして欲しいんですから。」
「長生きねぇ。」

テレビを見ながらタバコを吸い始める佐川さん。1日何本吸ってるんだろ?とじっとみてると、

「まさかお前、タバコまで制限しないよな?よせよ。」

と慌てた。

その夜、佐川さんにくっついて寝た。手を出されるかと思ったけど彼はしてこなかった。本当の夫婦じゃないから?
残念だけど「いい夢みろよ」と言われただけでも嬉しい。
その日の最後に言葉を交わせるのは幸せなことだから。


3日目。
私は仕事で疲れて遅くに帰ることになった。ポケベルで何時に帰るのか聞かれてたのであらかじめ目安を教えていたらその時間に彼が職場近くに車を回してくれてた。もちろん、運転手つき。
職場の目の前で乗ったら職場の人に見られちゃうから少し歩いたところで拾ってもらい、外食に行った。

「お前の飯も良いけどよ、毎日作るのは疲れるだろ?」

私の好きな店に行っていい代わり、酒は止めるなと言う条件。食事中は私がよく喋るけど彼はあまり自分の話をしなかった。そう言う仕事だから仕方ないし「話しても面白くねぇからな」と。


まだ3日しか過ごしていないけど驚くほど彼との時間は過ごしやすかった。こうして気を回してくれるし私の話をちゃんと聞いてくれる。まだ3日しか経っていないからお互いの嫌なことが見えないかもしれない。でも、3日で過ごしやすいと感じる相手もそういないと思う。大体は気疲れしたり、飽きたり、しんどくなったり、1人になりたくなる。
何でこの人はヤクザなんだろ?違う職でも良かったじゃない。そしたら、もっと気軽に…。

「さぁて、帰るか。お前も疲れただろ。…ああ、明日俺は帰れねぇよ。」
「キャバレー?」
「そ。真島ちゃんを手懐けてこなきゃな。」


ーーーーー
ーー

こんなふうに一緒に過ごして7日が過ぎた。

彼の行動パターンが分かる部分もあれば知らされない部分もある。ここからは足を踏み込むなと言う意味だから黙っていると頭を撫でられた。
お互いが一緒に過ごしても線引きは必要だし、信じて聞かないこともある。そして察することも。特に彼は察してくれた。私がああしてこうしてとは言わずとも彼は私の負担を減らすように立ち回る。何の見返りも求めずに。
他にも私を守るために佐川さんの部下やホームレスのふりをした人が私のことを見守ってくれていた。

でも、佐川さんやこの人たちに安心しちゃダメだ。自分が危ない目に遭わされる覚悟はあったし、最悪助けが来ないこともあるんだってわかってた。


だから、1日1日が大事に思えた。独りで生きるよりも遥かにそう。
結婚したら大体は相手とこの先何年、何十年も一緒に過ごすことになるけども、私たちにはその保証は全くない。私や佐川さんが傷つけられたり、酷い目に遭わされる恐れが常にある。明日があるとは限らない。
そんな生活は確かに怖いし不安だった。でも、「ああ今日もこの人と生きた」って寝る前に思えるとすごく幸せで満たされる。隣に寝てる人を大事に思える。生きてる感覚に喜びを感じる。彼と過ごす瞬間が奇跡みたいで。
大袈裟って言われるかもだけど、彼と結婚するメリットは1日1日の重みを感じられることだった。


「佐川さん、この7日間楽しかった。」
「本当か?飲食店ばかりで他にはどこにも連れてってやれなかった。帰れねぇ日もあったしな。」

私の言葉を疑う佐川さんに幸せだった理由を話す。彼は黙って聞いてくれた。音袈裟なこと言ってると思われたろうな。
笑われてもいい。若いからだと言われてもいいし、結婚の暗い部分がまだわからないからだと諭されても構わない。でも、彼の言葉は意外だった。

「純粋な女の言葉はどんな男にも響くんだろうな。俺はこの歳まで結婚なんて考えたこともなかった。ただ、そんなふうに言われたら急に憧れちまったよ。」
「佐川さん…。」
「もう少し待て。お前が本気なら俺も本気でお前を守らねぇといけねぇだろ?お前が1日でも多く幸せ感じるためには少しでも長く生きなきゃいけねぇってことだ。」
「佐川さん…。」
「出来る限りはする。だが、俺と生きるってのは相当危ねぇんだよ?本気か?」

私は迷わず頷いた。彼はなおも私の覚悟を探るために見つめ続けていたけど決意を理解した彼は頷き返す。
そして、彼はまだ「お前を幸せにする」なんて典型的なセリフは言わなかった。それを言うために彼はこれから動き出してくれる。

私はたとえこの先が短くとも長くとも、貴重な1日を彼と送れることを心から喜んだ。



end


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