2/14の悩み


バレンタイン…か。
1月があっという間に過ぎていき、2月になっていたことに最近気づいた。特に何があるわけでもないけれど、カレンダーに目をやってバレンタインデーがあることに気づく。

立華不動産の人間は真面目が多い。特に立華さんは世間離れした所があるからそういうイベントに無関心なイメージがある。そんなことは気にも止めずに大きな金を動かし、野心を抱き、やるべきことに時間と金を注ぐ、そんな日々で追われてる人だから。

(立華さんにチョコレートあげたって、彼困るよね?)

私は立華さんとおしゃべりができないわけじゃない。採用されて3年だから仕事はちゃんと出来るし何気に頼られてるのも分かる。…まぁ、だからって深い仲でもなんでもないから、寧ろそのせいで凄くやりにくい!

(立華さんって距離感掴めないんだよねぇ。)

淡々として冷たくて無駄が一切ない。それは人間関係にも出てて、人に媚びないし甘えない。友達なんているのかな?プライベートなんて全く想像つかない。全て仕事に注ぎ込んでるような人で本当に掴めない。

(とかいって、ちゃっかり相手いたりして。)
「どうしたんですか?手が止まっていますよ。」
「はっ!?いたんですか!?」

資料室にファイルを抱えながらぼんやりしていたら隣に彼がいたことに気づかなかった。
私がこんなに驚いても彼は無表情。クール過ぎてすごい。でも、これも生き抜くために身につけたんだろうな。驚くとか怯むとか、そんな顔しないんだろうな。
…はは、私がチョコレートあげたところで笑顔なんて一切浮かばなそう…。目に浮かぶわ。

「悩みでも?」
「…ああ、いえ、考え事をしていました。すみません。」
「珍しいですね。貴女が仕事中にぼんやりするのは。私でよければ聞きますよ。」
「あ、いえっ、プライベートな悩みなので!今は仕事中ですしっ。」
「そうですか。なら、退勤時間を過ぎたら聞きます。7時半に食事でもどうですか?」

社交の場で浮かべる柔和な顔を向ける立華さんに「え?」と声を漏らしたが、この約束がもう決まったことのように彼は背を向けて資料室を後にした。


ど、どうしよう!?こんな悩み言えるわけないのに!


◆ ◆

私に配慮したんだろう。私たちは洒落たバーに入って簡単な食事とお酒を飲みつつ言葉を交わしていた。一瞬、高級なレストランに連れて行かれたらどうしようと身構えていたからほっとした。

食事の場では、私の言うに言えない悩みの前に他愛のない話を振ってくれたのでそっちの方へ逃げた。
でも、時間が過ぎ、酒が回り、雑談が一区切りつく頃、

「そろそろ本題に入ってもいいですか?」

彼の片手が音もなく私のグラスにシャンパンを注ぐ。彼は身体を気にしてシャンパンは一杯しか飲まず、後はノンアルコールを飲んでいたが酔った気分になれたのか少々気さくな口調だった。

「酔わせて口を割りたいんですね?」
「はい。」
「ふふふ。」
「ふっ…。貴女の悩みが気になるんですよ。時期が時期ですから。」
「時期?2月が…何か気になる?」

ドキッとして聞き返すと、

「転職でも考えているのかと。」
「ああー…違います。」

やはり彼は真面目だった。でも、社長としてその心配は正しいわ。社員が減るかどうか気にしてたみたい。私はがっかりした。だめだ…何期待してんの。

「それを聞いて安心しました。では、何を?」
「すごく、…しょうもないことで…、だから、正直こんな風に時間をとらせてしまったことが申し訳ない…。」
「良いんですよ。…私はただ、息抜きが欲しかったんです。」
「え?」

彼はノンアルコールの入ったグラスを傾けながら窓越しに映る夜景を見つめる。オールバックの髪が何本かほつれて前に垂れ下がっており、疲れていて、どこか艶がある人に見えた。

「今夜は私に振り回されてください。」

らしくないセリフを吐き、フッと自嘲気味の笑い声が重なる。これは彼の甘えなんだ。目を丸くしてから私は小さく笑う。

「いや、私に振り回されて下さい。」
「え?」
「すごーーく、頭を空っぽにして聞いて欲しいんですけど、つまり、バカになって欲しいんですけど、」
「ばか?」

キョトンとした目。こんなに無防備な顔、出来るんだ。
私は出来るだけ何でもないという雰囲気を作ってから悩みを言ってみた。

「明日、バレンタインデーですよね?立華さんにあげてもいいのか悩んでたんです。いつもお世話になってますから。」

最後に付け加えた嘘が真剣さを薄めてくれるだろう。あえて明るく何気なく言ったら彼も受け止めやすかったらしい。

「頂いて良いんですか?」

と、柔和な目で聞き返す。そして、初めてもらうと話してくれた。私が考えていたように彼は仕事人間で立場的に敵が多く、人脈は利害関係があれば広いが友人といった関係は皆無だと言う。気分が酔っているせいか彼の口は緩かった。

それからも暫く話して飲んで、帰る頃、「誘った甲斐がありました」といってくれた。


ーーーーーー

そして、翌日。

ちゃんとチョコレートを用意した。
昨日、渡す宣言をしたけど、あの時の雰囲気は特別だったし酒も入っていたからシラフの今は向き合うのが少し怖かったりする。

(いや、でも、渡すだけ!感謝の意味を込めてるだけ!)

何度もそう自分に言い聞かせてカバンの中のソレを気にかける。電車やバスで通うからカバンが人や物に当たってチョコが崩れないか心配したし、包装がおかしくなってないか何度も確認した。

通勤中の私は挙動不審だっただろう。でも、会社についてからも変だった。玄関をくぐったらエレベーターに乗らずにロビーで計画を練る。

(…よし。昼休みか退勤時間に社長室に行って渡そう。居なかったら置いて帰ろう!その時のためにメモでも書いておこうかな?それとも…)
「おはようございます。」
「はっ!?いたんですか!?」

ロビーでイメトレをしていたら、まさかの本人に声をかけられた。今日の立華さんは寒いからか首にマフラーをかけて黒いコートを着ていた。

「ずっと壁に向かっているので気になりました。」

からかっている。絶対に。今は酒が入っていないけど、昨夜の柔らかな雰囲気が2人の間にしっかり残っていた。それが嬉しくてクスッと笑う。
…ああ、もう今渡そうかな。

「立華さん、これ。よかったら食べてください。」
「ありがとうございます。貴女からのチョコレートを頂きに来たんですよ。」

何の変哲もないチョコレートなのに彼はじっとみてから丁寧にコートのポケットに入れる。もしかして、チョコレートを入れるためにコートを着てた?…いや、まさか。

「昨日は楽しかったです。…今日はもう悩みが消えたので、ぼーっとしないで頑張ります。」

昨夜芽生えた恋は伝えない。まだ勇気がない。だから少し茶化して頭を下げて自分の持ち場に行こうとすると呼び止められた。

「私に悩みができたので、今夜付き合っていただけませんか?この悩みは貴女にしか解決できませんから。」
「……!」

何だろう。悩みなんて聞いてないのにもう分かった気がする。
いや、まさか、まさか!そんな都合のいいことないよねっ!

本当に本当に都合のいい展開を期待しちゃうよ。ニヤけるのを必死に耐えて今夜の食事をオッケーした。



end


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