1日がかりの告白


ー もしもし、●ちゃん?俺だよ。…そ。君の頼れる上司、尾田だよ。今日の予定が急遽変わってさ。●ちゃんは俺と情報集めになったから、●ちゃんのアパートの近くの駅で待っててよ。30分後に迎え行くからさ。

朝、出勤しようとしたら電話がかかってきて仕事のスケジュールの変更を知った。

ー 尾田さんと1日情報収集!?

ちょっと待って。これは悩む。いや、好きな人と1日いられるのは嬉しいけど、今日はカバンの中にバレンタインのチョコが入ってる。もちろん、本命チョコで尾田さんにあげたいものだ。でも、2人きりの車内であげるなんて緊張する!本気で渡したところでフラれるかもしれないし…、フラれたら車内の空気がかなり気まずくなる!

本当は仕事終わりに渡して逃げようと思ってた。でも、今日はそれができないだろう。なぜって、車内でチョコの匂いがするから絶対にバレちゃう。

じゃあ、最初に渡して終わり!ってすればいい?それもなんか切ないんだけど…。ああ、渡すタイミングが、わ、か、ら、ない…!

そんなこんなしてるうちに集合時間が近くなり、急いで出勤した。頭の中でチョコを渡す計画を練っているうちに尾田さんの車が迎えにきた。
よ、よし、普段通りに!仕事モードになれ、私!

「おはようございます〜。」
「おはよう。今日も一日頑張るとしますか。」
「はーい。」

うん、いつもの彼だわ。当たり前だけど。
今日はバレンタインだから尾田さんでもソワソワするかな?と思ってたけど、浮かれる歳じゃないしウブでもないか。

「はい、朝のコーヒー。」
「いただきます」

缶コーヒーをもらった。蓋を開けて一口飲むと彼はカーブを緩く曲がりながら言った。

「さて、見返りは?」
「え?…あ、お金ですか?えっと、120円くらい?」
「はぁ〜、真面目だねぇ。別にお金じゃなくてもいいんだけどなぁ。」

試すような流し目。意味ありげな微笑みに動揺する。
え!?もしかして、これ、チョコねだられてる?!いや、まさか,私が意識しすぎて勝手にそっちの思考になってるだけであって、

「●ちゃんが乗ってから甘い香りがするんだよなぁ〜。あれ?そう言えば今日はバレンタインだっけ?」

分かってる!絶対に!
かあああと顔が赤くなった。私はコーヒーを吹き出しかけたけど必死に飲み込み、取り繕うように咳払いをする。

「ありますよ、チョコ。」
「へぇ?誰にあげるの?本名?」
「義理ですよ!」
「ははっ、そうムキにならないの。しかし、いいなぁ。●ちゃんから例え義理でもオマケでも残りでもあまりでもチョコがもらえる男は羨ましいねぇ。」

わざとらしい言い方。挑発みたいな言い方だ。
赤信号で車が止まり、ハンドルに上半身を預けながら私を覗き込む彼の目が輝いている。明らかに弄ばれてる。
これは言い逃れはできない。嘘なんてついても追い込まれるだけだしっ。

「尾田さんにあげます。…義理だけど。でも、みんなにあげるので!」

余計な一言を付け加えて勢いに任せてチョコを取り出し差し出す。
彼はおしゃれな包装紙を見て余裕の笑みを浮かべる。

「義理にしてはなかなか力の入った包装に見えるけど?」
「!」
「…羨ましいよ。●からの本名チョコがもらえる男は。…もしかし、社長?…桐生?」
「え、い、や、そんなの、」

ー プップーー!!!

青信号になったのに進まなかった尾田さんに後続車がクラクションを鳴らした。慌ててアクセルを踏む尾田さんはお礼を言ってチョコをもらい、胸ポケットに入れた。


◆ ◆

それから仕事に専念して、あっという間に夕方になった。
朝の車内以外ではバレンタインのバの字も話題に出なかった。

それでよかったのに何で虚しいんだろ?だって、結局は渡して逃げようとしてたんだし、これでいいじゃん。良いはずじゃん、私。
何で今更後悔してんの…。

退社時間になって朝の反省といつまでも臆病だった後悔がジワジワ襲ってきた。もう尾田さんは隣にいない。社長に報告しに行ったし、彼にはまだ仕事があるんだろう。

今日、1日ずっといたのに。

今更だ。ほんとに今更、チャンスを自分から捨てて見ぬふりをしたことを悔いた。本命なのに義理だと言って押し付けて話を切った。…情けない女。

自分にがっかりした私は会社の屋上に出て夜景を見つめる。癒されるために来たのに頭の中では「もしあの時、本気で渡してたら何か変わった?」という自問自答を続けて余計に辛い。

「おーい、●ちゃん、どうしたんだよ。そんなとこで寂しい背中見せちゃって。」
「っ、尾田さん…。」
「本命にフラれたんなら義理チョコをもらった俺が慰めるけど?」

急な登場にドキッとして活力がみなぎる。心臓がうるさい。やり直せるなら今しかないって自分を叱咤激励してせかすもう1人の自分がいた。
そんな私をよそに彼はフラフラやってきて私の隣に立ってフェンスに手を乗せる。

「しっかし、女の子には試練の日だねぇ。ハッピーエンドならいいけど、その逆もあるし。…ま、でも男にとっても同じだけどさ。好きな子が自分をよそに別の男に走ってって告白してるの見たら、フラれた男は何も言えないしねぇ。」
「尾田さんは他にチョコをもらわなかったんですか?」
「ああ。断ったよ。…俺がいい顔するのは商売相手と本気の時だけ。」

見つめる私をよそに彼は胸ポケットから私が渡したチョコを取り出して眺める。

「今年はこれで我慢するよ。義理、でね。」

私の肩をポンと叩くとチョコを胸ポケットに入れて立ち去る。
今、彼なりの好意と本音を見せてくれたんだ。怖いなんて言ってられない。
私は弾かれたように追いかけてその背中に抱きついた。

「ほ、本命なんです!尾田さんにだけのチョコだったんですっ。嘘ついてごめんなさい!一生懸命作ったのに、フラれるって思ったら怖くて…。」
「……。はぁ…。」

彼の首と肩ががっくりと下がる。幻滅されたと思って涙目になると振り向いた尾田さんに抱きしめられた。

「ほんっと口硬いんだから。」
「!?」
「知ってたよ。周りももちろん。●ちゃんは俺のためにチョコを渡したって。なのに全然甘えてこないからさぁ、一日中もどかしくてウズウズしたんだよねぇ。乙女の口の割らせ方は俺も社長も知らないんからさ、ほんっと手こずったけど、嬉しいよ。」
「ほんと?」
「ああ。すごく可愛かったなぁ。大胆に俺に抱きついちゃって「も、もう!もうやめてください!!!」
「ははっ、はいはいっと。…んじゃ、改めて聞くけど、俺の女にならない?俺は●ちゃんが好きだよ。」


ーーーーーーー

「うまくいったようだな。」
「ええ。しかし、あの尾田さんでも手こずったようですね。」
「一日かかったな」

屋上のドアの前で気配を消し、抱き合う2人を見つめる桐生と立華。

「しかし、流石の尾田も途中で自信がなくなってたな。」
「私たちのどちらかが実は本命ではないか…と疑うとは。側から見ればそんな確率はないのですが、さすがに焦ったのでしょう。何はともあれ、良かったです。」

安堵してその場を立ち去る立華の後を追って歩き始めた桐生だが、肩越しに振り向いて●の横顔を見つめる。

(義理チョコくらいあると思ったが、ダメだったか…。)

バレンタインデー。
本命ではなくともチョコがもらえればそれは嬉しいもの…。少し残念な気持ちで帰ったことを桐生は誰にも言わなかった。


end


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