どこまでも


あれほどの煌びやかな世界に慣れると、この店は少し地味に見える。でも、まぁそれでも良い。向こうでは少し厄介な常連客がいたのだから。

それは私を必ず指名する40代の男。私の好きな食べ物を頼み、一本30万のボトルを開けてくれる人だった。しゃべり過ぎず、触るわけでもないけれど、あの真っ黒な瞳の奥にある強烈な独占欲やしつこさは薄気味悪かった。
彼は店の支配人と通じてるのか、ランダムに入れてある私のシフトにそれはもう正確に合わせてきた。私が欠勤した日は来なかったと聞き、見張られている気がしてならなかった。

ー ●ちゃん。最近いないじゃん。どうしたの?

彼は私の全てを把握していないと気が済まないらしく、どこでも踏み込んでくる。はぐらかせばそれ以上聞かないが、その後送られてくる無言の凝視は何を思っての目線なのか分からずに怖い。不調で、寝不足で、とてきとうな言い訳を添えていれば、ふぅーん、っとわざとらしい返事をしていた。

ー 俺、●ちゃんのこと気に入ってるから、心配してたんだよ。俺に黙って消えたりしないでよ?

その時握られた手と近づけられた顔に、確実に距離を失いかけていることに気づき、彼の言葉を裏切って逃げた。それから間も無く、私は彼に黙って職を変えたのだった。


新しいキャバレーにはまだ慣れないが、固定客を作っていこうと気を張って仕事をすれば、少しずつ指名が増えてきた。
新しい職場で疲れが溜まってきたのは出勤して5日目のこと。それでも乗り切ろうと待機室で待っていたら指名を受けて立ち上がる。私を指名する人を何人か予想しながら向かうと、私を待っていた客に足が止まった。

「よぉ、こんなところにいたのか。●ちゃん。探したよ。」

佐川さんが片手をあげて挨拶をしていた。
えっ、と思わず声が出そうなったのを我慢していると、私の反応を面白がるかのような笑みを浮かべた佐川さんが近づいてきた。

「会いたかったよ、●ちゃん。」

佐川さんに肩を抱かれると店長が「当店でのお触りは…」と断りを入れかけたが、彼はすかさず胸ポケットから札束を取り出して店長の胸に押しつけ黙らせた。
そして、勝手に奥の席に私と向かうと足を組んで私の肩を抱きながら、近い距離で私を詰る。

「ねぇ、どうして何も言わずに辞めちゃったの?俺に探してもらいたかった?それとも、俺から逃げたかった?」
「さ、佐川さん、あの、私、実は、あそこで居心地が悪くてっ…だから辞めちゃったんですよ。」
「へぇ?みんな仲良くて仕事しやすいんじゃなかったの?」
「ええ、それは…、そう言わないと、ほら、お客様の前で言えませんから。」
「ふぅん。いじめられてたんなら、俺がそいつに灸を据えてやるけど?」
「あ、いえ、もういいんです。…えっと、なので…、急ですが仕事を変えたんです。」
「そっか。まぁそんなことがあったのならしょうがねぇな。俺はショックだったけど、またこうして出会えたんだ。これからも宜しくな。」
「は、はい、ええ、よろしくお願いします。」

私を許したのか私から少しだけ顔を遠ざけてメニューを見る。肩を抱いて体を寄せたままの彼を金で飼い慣らされた店長は止める気がない。
私は怖かった。転職したらこの人とはもう終わりだと思っていたのに。ここは地味で小さいキャバレーで、ランクも下だからこんなところを彼が選んでくるとは思えない。ここで私が働くなんて誰にも言わずに出てきたのに、彼は探り当てた。

「おいおい、何だよこれ、ほとんど水じゃねぇか。もっといい酒ねぇのかよ!」
「……。」
「なぁ、何でこんな所にしたんだよ?●ちゃんならもっと良いところいけるだろ?」
「ちょっと疲れちゃいまして…。ここはのんびりしていられて良いですよ。」
「ま、客足もそんなにねぇみたいだし、●ちゃんを独占できるしな。」
「…あの、聞いてもいいですか?」
「どうしてここにいることが俺にばれたかって?」
「…!」

彼はにっと口角を上げてグラスを傾けた。私の不審を見抜きながら、彼は笑っている。

「地獄の果てまでも追いかけるよ、●ちゃん。」

指を私の肩に食い込ませながら言った佐川さんの目つきは今までになく鋭く、それでいて眉尾が下がった困った顔をしていた。

「な、そんな、怖いこと言わないで下さいよっ。」
「俺本気だよ。俺本気で●ちゃんのこと追いかけ回すよ。例えどこに逃げても隠れてもな。」
「…や、やめてください…怖いじゃないですかっ。」
「俺を巻こうったってそうはいかねぇよ。」

敵から逃げるように反射的に佐川さんの腕を振り払おうとするが、彼は難なく肩を抱き直す。そして、私の首を鷲掴むように手を添えると優しい口調で言った。

「じゃあ、全部俺に尽くしてくれよ。ここで俺を不満にさせたら、物足りなくて店の外でも声かけちゃうかもよ?もちろん、引越ししたてのあの青いアパートにも上がっちゃうかもしれねぇな。」

穏やかな脅しを耳に入れた私は目で店長に助けを求めるが、大金を払う客であれば何の問題にもしていない。彼は隅の席がどうなっていようと一切注意を向けていなかった。

「まぁ今日は楽しもうぜ。おーい!いい酒はまだかよ!?」
「はい!ただいま!」
「とことん酔ってくれよ。●ちゃん。俺、いくらでも出すからさ。」


ギリっと首を絞められる。一瞬強くしまったそれは、私の白い首に赤い首輪のような痕を残した。


end


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