重なる想い


あの日から、社長と私は壁を何枚も隔てた仲になったと言うのに。何でこんなことしちゃうんだろ、彼と言う人は。


あの日から2ヶ月後。私は交通事故に巻き込まれた。
あれは明らかに車の方がぶつかってきた。車体のふらつきから飲酒運転だったのかもしれない。いきなり寄ってきた車を避けて転倒した私は倒れた拍子に頭を打ったらしく気絶したらしい。あまり記憶がない。
近くにいた人が電話で救急車を呼んでくれたのか、目を覚ましたら病院のベッドにいた。全く、何てカッコ悪いんだろう…と目を覚ました時に一番に思ったことはこれなのだけれど、ベッドサイドに座っていた立華さんの顔を見たらそんな悪態もつけなくなった。

「気がついたんですね…大丈夫ですか?」

2ヶ月ぶりに面と向かって話す社長の顔は緊張していて、それでいて悔しそうだった。拳を膝の上で握りしめている。私は答える代わりに頷くと、彼はそっと私の足に目を運ぶ。

「転倒した時に強く打ったようで足の骨にヒビが入っています。全治2週間ですから…しばらく仕事を休んでください。頭の傷はすぐに治るようですから、…心配しないでください。」
「分かりました…。ご迷惑を。」
「あなたが無事で、良かった。」
「あの、社長はどうしてここに?」
「病院から連絡が入りまして…身元確認のために、です。驚きましたよ。あなたが病院に運ばれたなんて…。」

社長が動揺しているのか、妙に切れ切れに話す。私は痛み止めでも打たれたのかあまり足に痛みを感じない。ゆっくりと体を起こしてパイプ椅子に座る社長を見ると、彼はうっすらと汗を滲ませていた。…具合が良くないのか?

「入院費は会社で出しますから…お気になさらずに。何か必要なものがあれば…後で…、」
「社長?どうしたんですか?」
「…いえ、大丈夫です。気が動転したんです…私は、これから…、」

座っているのにゆっくりと上体を倒していく社長は片手をベッドについた。社長!?と肩を揺すると気付く。
社長は一日おきに透析をしていることを思い出す。慌ててナースコールを押すと、ぐったりと弱った社長は意識を手放した。
看護師に社長の持病を伝えると彼はすぐに運ばれていった。

残された私は、彼が透析を先伸ばしてまでついていてくれたことに気づいて拳を固めた。

「ほんと、ばかな人。」

…私を忘れるだなんて言っておきながら、身を犠牲にしてまで隣にいてくれたなんて。申し訳なさと社長からの好意を深く感じて、淡白な自分が情けなく思える。
私はそばに立てられていた松葉杖を使って彼が運ばれた部屋に向かった。

そこでは透析を受けたまま眠っている社長がいた。彼
の顔色はさっきよりも良かった。でも、どれだけ苦しかったことか。きっと、不調があっても私の目が覚めるまで耐えて座っていたんだろう。汗を滲ませながら。
看護師から許可を受けて彼の隣に座って、彼の目覚めを待つ。

「社長…ごめんなさい。」

そっと謝って、あの日のことを思い出した。いや、あの日だけじゃない。私がどれだけ器の小さいことか。彼に嫉妬するからと言うだけのことで彼を拒んだのだから。そして、彼の寂しそうなあの一言を呆気なく忘れて過ごしていた。そんな私をまだ心配してくれているなんて…。私は自分が嫌で仕方ない。

「情けないな。私は。」

彼は私の醜い部分も見てきたはずなのに。もっといい相手なんているはずなのに。心を痛めながら、彼の愛をやっと感じ取ることができた私はうっすらと目に涙を浮かべていた。

「これじゃあ…どちらが病人かわかりませんね。」

あれから目を覚ました社長はかすれた声で私に言った。私は小さく笑い返す。社長はそんな私に驚いた目を向けてから、そっと目を逸らす。

「カッコ悪いところをお見せしました。忘れてください。」
「いやです。忘れません。」

キョトンとした顔もするんだな、と観察しながら、その顔にまた小さく笑うと、彼は私の空気に何かを感じ取ったらしい。欺けない人だから、私の心変わりなんてすぐにわかるんだろう。

「ずるいですよ、あなたって本当に。」
「こんな私は、そろそろ嫌いになりましたか?」
「…!」

言い淀んだ彼をじっと見つめて挑発すると彼は首を横に振った。

「あなたはこんなふうに人を追い詰めるんですね。」
「真剣になると強気になるみたいで。」
「私がこんな状態でなければ、やり返すのですが。今はよしておきますね。」

そっと逃げた社長の顔は少し赤くなっている。私までその熱を共有してしまい、顔が熱くなった。

「さっきは付き添ってくださってありがとうございました。でも、もう無理しないでください。」
「それはお約束できません。…あなたが倒れたんですから。仕事なんてしていられませんよ。」

小さな反撃か。彼は少し満足そうに笑っていた。
それから透析が終わり、私は入院している部屋戻り、社長は不動産へ戻った。

それから2週間入院した。
飲酒運転の男女からは尾田さんが社長の命令でねちねちと金を取り立てて、更には嫌がらせをして神室町から追い出したとかなんとか…。


そして、2週間後に退院した私は久しぶりに職場に来た。
退院後の出勤初日。朝早くにむかえば、それを読んでいたのか社長がオフィスで私を待っていた。社長は社長室というイメージがあるので、ここに彼が立っていることが珍しく思える。彼は私の足を見てから口を開く。

「ご無理なさらずに。今月は事務仕事に専念してださい。」
「ええ。そうしますね。今月はリハビリということで、その通りにします。」
「無理をしていたら始末書ですよ。」

自分でも彼への態度が変わったことがわかるほど、自然に笑顔を浮かべていた。彼は感情を滅多に顔に出さないものの、いつもより柔和な気持ちでいることが私には通じている。
その柔らかい空気をもっと感じていたかったけれど、無駄話を嫌う人だから一礼して彼の横を通り過ぎると手を掴まれた。

「社長?」
「そんな風に柔らかい笑顔を向けられたら私は耐えられません。あの時は私の隣にいてくれた。目を覚ましてあなたがいてくれた時、どれだけ嬉しかったか。」
「……社長。」
「あれは"ただの優しさ"ですか?」

彼の私を握る手は強くて、彼の目は真剣だった。その求められている感覚が私を熱くさせて、私の心を素直にした。

「私も嬉しかったんです。あなたが苦しいのにそばにいてくれたこと…そして、申し訳なくなったんです。今までの、自分勝手なふるまいが。」
「私は怒っていませんよ。私もあなたに強がって嘘をついていましたから、おあいこです。」
「…確かに。」
「私はあなたが好きです。体の痛みなんて忘れるくらい。」
「…もう、朝から…。本気で好きになるじゃないですか。」
「!?」
「立華さん、責任取ってください。」

負けましたと息をつくと、彼は口を開いて、えっ?、とこぼす。そして、瞬きのうちに体を抱きしめられた。 嬉しそうにキツく抱きしめてくる。
私もその細い体を大事に包み込んで、彼の胸に顔を埋める。この体を守りたいと思った。もう決して自分のせいで、この人の体も心も傷つけはしないと。

「お付き合いお願いします。」
「勿論。」
「ふふ、断られても、もう諦める気はありませんがね。」
「立華さん…。」
「鉄と呼んで下さい。二人きりの時は。私も貴方を●と呼んでいいですか?」
「好きに呼んでください。」
「…今夜、逃しませんから。あの夜と違ってね。」
「なっ!?」

驚いて身を離すと、逃がさないとばかりにいきなりキスをされた。まるで可愛がられるように何度も唇がふれあい、頭を優しく撫でられる。こんな撫で方は反則だ。普段感情なんてかけらも漏らさないくせに…。

「蕩けている顔も素敵です。」
「あ、朝ですよ!?」
「そうですね。少々はしたなかったようです。続きは夜にでも。…ああ、少し仕事が長引いても帰らないであの部屋で自由に過ごして待っていてください。」

そっと離れた熱。私の心も頭も熱い。そんな私をマジマジ見ている鉄は酷い。でも、その目があんまりにも優しく緩んでいるものだから、私もその空気に負けて笑ってしまうのだった。



end

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