恋散って恋始まる


「こっち来いや。」

ずぶ濡れのまま立ち尽くしていた私に耐えかねて声をかけた吾郎ちゃんの声は優しくて困った声。少し強引に腕を引かれて胸の中にしまわれたら、彼の体温が暖かく感じた。

「そないに傷つくお前見とると、なんやこっちまで失恋した気になってまうわ。」

彼の気の抜けた声が玄関に響く。私は彼の家に保護された猫みたいに力なく腕の中に収まったまま、諦めなくてはならない男への想いを涙として流した。

「ほれ、あったかいで〜。」

泣きやんだけど、まだ傷ついている私に掛かるタオルは上質であたたかい。
ソファに座ってぼんやりしてから、肩を抱いてくれる吾朗ちゃんに少しだけ擦り寄ると、吾朗ちゃんは強く抱きしめてくれた。

「今夜泊まっとき。」
「ありがとう。」
「元気出たらシャワー浴びるんやで。」
「着替えがないの。」
「せやな。お前がシャワー浴びとる間にてきとーなもん買ってきたるわ。」

吾朗ちゃんはおかんみたい。世話焼きで優しくて心配してくれる。失恋した私を見守って、そっと熱を与えてくれる。

「…シャワー借りるね?」
「おう。あったまるんやで。ほな、行ってくる。なんかあったらポケベルで呼べや。」

どうしてそんなに親切なんだろう。良い人、と笑うと、吾朗ちゃんは急に表情を硬くして、な、なんや。と目を逸らした。

ーー

シャワーを浴びながらまた泣いていたら、そっと声が掛かって脱衣所にフリーサイズのジャージが置かれた。
それを着て部屋に戻るとテーブルの上にたこ焼きが上がっていた。

「また泣いとったんやな?…罪な男やのぉ。ほれ、これ食って元気出せや。」

ニコッとした顔で私にたこ焼きをくれる吾朗ちゃん。彼は本当に極道なのかな。すごく優しくて、純粋で…、好きだと思った。
鼻を啜りながら食べていると、ちゃんと髪乾かさんと。と言って、ドライヤーで髪を乾かしてくれる。そんな優しさが胸にきてまた泣いたら、暑かったんか!?ってあわててドライヤーを止めて私の顔を覗き込んだ。

「…ちがうよ、優しさが胸にきたの…っ、吾朗ちゃんっ。」
「ほんまに泣いてばっかで水も飲めや!?脱水症状起こしてまうで。ほれ、水や。」

眉を垂れ下げて0から世話をする吾朗ちゃんに無理やり水を飲ませられる。顔を顰めて飲むと、えらいで、と頭に大きな手が乗る。
ぐすぐすしながら、たこ焼きを食べて、涙も少しずつ収まってソファーに深く腰を下ろした。

「ごちそうさま。」
「うまかったか?」
「うん。熱かった。」
「焼きたてが1番やからな。…よし、寝るか?ベッド貸すで?」
「吾朗ちゃんはどこで寝るの?」
「ソファーで寝るから安心せぇ。』

明るい口調でいう吾朗ちゃん。うん、と頷いてベッドを借りる。柔軟剤の香りか、吾朗ちゃんの香りがして、少しくすぐったい。彼が電気を消して真っ暗になった部屋で、今日別れた人のことを思い出す。私の片想いだったから余計に辛くて、でも敵わないだろうなって思っていたのも辛かったから、その苦しみから解放逸れて少し楽になった。
まだ涙が出るけど。…ぐすっと鼻を啜ると、

「寝られんのか?」

と、吾朗ちゃんは流れるような口調で優しく聞いてくる。うん、といえば、なんか話すか?と聞いてきた。
私は迷ってから、ここにきて、と言ったら、はぁ!?と驚いて飛び上がる吾朗ちゃんのシルエットがみえる。

「な、なんや、…わ、わしじゃあかんやろ?」
「そばにいて欲しいの。」
「ま、まぁ、お前がええんならええけどな?…い、いくで?そっちに。」

恐る恐る近づく吾朗ちゃんは、ぎこちなくベッドに入ってきて、意外と大きくて暖かな影だった。私が身をよせると、もぞっと動いてからギクシャクな動きで私の体を抱きしめた。

「…お前はかわええから、すぐにええ男ができるで。安心せえ!変な虫やったら吾朗ちゃんが払ったるで。」
「…もう男なんていらない…恋もしない。」
「そないに簡単に決めつけたらあかん。今は苦しくても、また恋したくなるで?…それに誰かに惚れられるかもしれんやろ?ええ男に。」
「…どうかな。ふふ。」

小さく笑って目を閉じる。
この人がいてよかった。そうしないと、まだ泣いていたはず。吾朗ちゃんに、ありがとう、と言うと、吾朗ちゃんの手が私を優しく包み込む。

「…お前に男できるまで、わしがそばで見てるで。寂しくないように、ええ男ができるまで一緒におる。安心せぇ。」
「吾朗ちゃんより良い男って誰?」
「…おらんかもしれんなぁ?」
「吾朗ちゃんに彼女できるのが先かも。」
「どうかのぉ。ま、…ないやろな。」
「彼女作らないの?」
「わしか?まぁ、惚れた女にフラれたようなもんやからな。」
「吾朗ちゃんが?…でもよかった。フラれてなかったら、こうして慰めてもらえなかった。…ごめんね、でも、嬉しくて。吾朗ちゃん優しいから。」
「優しいか?見間違いかもしれへんで?」
「ん?」
「わしは、惚れた女が男に取られて、でもその女がその男にフラれてわしのところに来たから賢明に慰めてるんや。下心ありや。」

暗闇ですぐ目の前の彼が真剣な声を出した。きっと鋭い目で私を見つめながら想いを口にしたんだと思う。彼からの想いに戸惑ったけれど、助け舟が出された気がした。でもそこに乗るのは…本心からなのかわからない。惨めさや寂しさを都合のいい彼で埋めたいだけなら、私のすることはあんまりだろう。

「…吾朗ちゃん…、吾朗ちゃんの気持ちは嬉しいけど、」
「……。」
「今の私は寂しくて軽い女になってるから、やめた方がいいよ…吾朗ちゃんのこと、自分勝手に扱いたくない。吾朗ちゃんまで失いたくない…。」
「ええ女やお前は。ええ、それでええ。」
「…っ。」
「わしは待つで。今までも待っとったんや。平気や。」
「なんでそんなに、優しいの?」
「…好きな女に優しくして何がおかしいんや?あん?」

この人の器の広さはどうなってるんだろう?感動さえした。嬉しくて涙が出たら、優しく頭を撫でてくれる。

「まぁ、お前に弄ばれるのも本望やけどな?」
「だめっ。」
「…ふっ。でもな、あの男を見るお前の優しい目、照れとる目、夢中になっとる目…ほんま、悔しかったで。羨ましくて。どないしたらわしはその目で見てもらえるんや?って、悔しくて悔しくて、どんだけ嫉妬してたことか。」
「そんなに?私といた時、そんなふうに思ってるなんて…いや、嘘でしょ?」
「嘘なわけあるかいな。お前はあいつに夢中でわからんかったんやろ。わしは、お前に嫌われたくないからええ顔しとったけど、あいつのためのおしゃれしとるお前を褒めるのも、ホンマはやでやで仕方なかった。惚気話も…、穏やかな顔しとるだけで、心は般若やで。」
「ぷっ!」
「こーら、笑うとこちゃうでー!」
「ふふふっ。般若やでって、ふふー。」
「っはは、おもろいか?わし今めっちゃ真剣に例えたんやけど。まぁええわ。笑っとき。」

ククッと笑う吾朗ちゃんの包容力が…やばい。私は急に彼に甘えたくなった。それほど、吾朗ちゃんの本音が嬉しかった。

「吾朗ちゃんに惚れるかもしれない。」
「せや。次はわしや。そうなりたくてこうしてるんや。」
「…ん。」
「……休むか?」
「うん。いっしょに。」
「おう。…おやすみやで。」

この傷は意外とすぐに癒えるんだろう。
がむしゃらに敵わない片思いをしていた私はあまりに無鉄砲で盲目だった。でも、こうして足を止めて泣き切った後は、やっと穏やかな恋ができるんだと安心して目を閉じた。



end
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