あなたにフラれてわかったこと


吾朗は一度終わった女のことは考えない男。関係が終わったことにも理由があるし、終わる決断をしたってことはそれなりに強い気持ちと覚悟があったから。
未練なんて…全くないわけじゃないけど、私が吾朗と付き合って別れたのは2年前。過去のことではあるけれど、この神室町に来ると身構えると言うか、あまりいい思い出がない気がする。

ー …はぁ、疲れたぁ〜。

神室町に住んでいた私がここに配属されて戻ってきたわけで、懐かしい店に顔を出したりここの知りたいと再会して飲み歩けるのは最高に楽しかったけど、あの人に会わないように歩きたいと言う気持ちが強かった。これは、なんでだろう。気まずいから?会えば辛いから?なんなんだろうか。でもきっと、考えすぎなんだろうな。彼は素敵な人だからもういい人いるだろうし、私が過去を意識しているだけなんだろうな。

友達と別れた後にまっすぐ帰るのではなく、街を歩く。何も変わってないところもあればガラリと変わったところもある。そして、ああこの店行ったなぁ、と思い出しながらなんとも言えない複雑な気持ちになったりして、ついに出た言葉は、

「やな街。」

1人で川を見つめながら呟いた。ここに少なくとも2年も務めるのか…、まぁ2年もいたらなれるのかな。それとも嫌で嫌で仕方ないのかな…?なんて考えすぎていたら、

「お前…●か?」

懐かしくもトラウマな声が聞こえた。何でこんなにすぐに出会うんだろう。間違いない。ぎこちなく振り向くと、ほとんど変わらないあの頃の彼が立っていた。
あ、と驚いた顔を向けられる。それは何の気持ちから浮かぶ顔なのか分からないまま、私は苦笑いした。

「吾朗…?久しぶりだね。」
「お前、戻ってたんか?」
「今日、ね。仕事で。」

何で声かけたんだろ。その顔は喜んではないよね。声をかけたはいいけど、困ってる顔というか。…はは、何なの本当にこの再会は。
会話も続かずに重い空気が流れた。

「ああ、もう帰らないとだから…私行くね。」
「待てや。送るで。女1人で危ないやろ。」

吾朗は弱いものを守ろうとして善意からそう言う。私はそれを断れなくて頷いた。
一緒に歩き出して、昔に戻ったような、でも、全然違うような。とりあえず、近況を教えて当たり障りなく帰路を進む。

「よう話すようになったな。自分のこと。」

この人が私に足りないと感じたものは、私があまり自分のことを話さないこと。悩みも失敗、深いところまで話さなかった。信頼できないからじゃないけど、こんなこと話したってつまらないだろうしとか、自分の弱いところや黒いところを伝えたくないとか、彼の中でマシな女であり続けたくて余計なことは隠していた。
吾朗にとってはそこが知りたかったらしいけど、自分の弱みに踏み込まれると、そんなところ見せたくないんだけど。って押し返してしまう癖があった。だから、嫌にもなるよね。知ろうとしてくれたのにね。

ー お前のこと全部受け止めたいけど、わしじゃダメなんやろな。

寂しそうに言われてから、当然私たちには距離ができた。そこからうまくいかなくなって、私も仕事に逃げたし、仕事での悩みや失敗に耐えきれなくなると他の人に相談したり愚痴をこぼしたり、酒に逃げたり。
そんな私に愛想を尽かして吾朗から別れを告げられた。当然だよね。最後の最後でこんなにカッコ悪い自分見られて終わりなんて、本末転倒だった。

でも、その経験が私に教えてくれた。そんな風に隠してたって無駄で、寧ろ弱みを伝えてるようなもんだって。隠しきれなくて何もうまくいかないなら、少し呆れられても困ってたり辛いことを教えてもいいんだって思えた。

「…あ、ここなのアパート。送ってくれてありがとう。」
「おう。気にすんな。あんまり夜出歩くんやないで。」
「わかった。おやすみなさい。」

私は挨拶をしてアパートへ。部屋に入ると疲れ切っていた。ここに戻って1日目で再会なんて…ひどすぎた。思い出したくないことばかりなんだから。

ーー
あれから職場に慣れて仕事への緊張がマシになった。ここの人たちはいい人ばかりですぐに友達ができたし、困ったら助けてもらったしお礼を言った。
元から、こんなふうに出来たら…よかったのかな。
そう思うのは2週間前に再会した吾朗のせいだろうな。あれから吾朗には会ってない。私も疲れるから仕事終わったらすぐに帰ってたし、遊んだり飲む余裕なんてなかった。

「…ねっむ。」

会社から出てコンビニに向かう。ご飯作る気もないし買って帰ろうと半目で歩いていたら、気のせいか今通り過ぎた店からパイソンジャケットの人間を見た気がする。それに気づかないふりをしてスタスタと歩いていた。
もう、私はなにも悩みたくない。
振り切るようにコンビニに入ってパンを手に取り、飲み物を見つめていた。…コーヒー買うか…でも寝られなくなるかな?と少し考えていると、

「何飲み物でそないに悩んどるんや。」

ボソッと吾朗の声がした。う、と眉を寄せて顔を向けると隣でビールを2つ取り出す彼が立っていた。

「疲れた時はこれやろ。」
「え?」
「ほれ、行くで。」

手元のパンを取られて、え?え?と流されるままレジへ。彼が買ってくれてそのまま彼についていってコンビニから出た。私をチラッと気にかけながらどこかへ向かう吾朗。その足は付き合っていた時に忍び込んでいた誰も使ってないビルの屋上へ向かう。

「まだ此処あったんだ。」
「2年も放置や。ええ穴場やろ?」

彼にパンと缶ビールを渡されて礼を言う。少し強引な吾朗と屋上から神室町を下ろした。

「眠らない街だよね、ほんと。呆れるくらい。」
「せやな。…2年間どこいっとったん?」
「地元にね。で、就職したら、まさかのここに転勤。住んだことある場所ならいいだろって。」
「いつまでおるん?」
「短くて2年かな。」

吾朗はタバコを吸いながら缶ビールを傾ける。私はパンを食べながらゆっくりビールを飲んだ。

「髪伸びたけど、それも似合っとるで。」
「ありがとう。」

吾朗がショートが好きだから、髪は短くしていた。そんな理由は伏せておいたけど、こちらを見つめる吾朗は多分気付いている。

「吾朗は何も変わらないね。」
「おう。これがわしの定番や。5ミリ伸びただけで切っとるで。」
「すごっ。まぁ確かにそうだったね。自分のハサミ持ってたもんね。」
「お前にはハサミと櫛で揃えてもらっとたで?」
「そうそう。ほぼ切った気がしなかったけどね。バリカンで刈り上げたりしたね。」

過去のことを触れないでいたけれど彼が触れるから、あまり気にしないで話に乗った。ビールの酔いもあって少し口が軽くなる。

今の私たちは知り合いなのかな。友達なのかな。彼の中ではもうケリがついているから、こんなふうに気軽に話しかけられるのであれば私もその位置にいかないと。私だけが気にしてて神経質になっているのは、未練がましいやつに見えてカッコ悪いよね。

〜♪

吾朗の携帯が鳴る。吾朗はディスプレイを見て、はー。とため息を吐くとそのまま放っておいた。

「いいの?」
「ええで。暇なやつに絡まれとるだけや。」

私は吾朗の連絡先を知らない。2年前はポケベルだったし、携帯電話なんて別れてしばらくしてから出てきたものだし。
とは言え、まだ電話が鳴っている。しつこいやっちゃの、とめんどくさそうにディスプレイを見つめてから吾朗は通話ボタンを押した。

「何や。」

その奥から微かに聞こえる女の声。ああ、そうだよね、と察した私は缶ビールを飲む。

「今は無理や。ほな切るで。…あん?そないに暇人と思ったら大間違いやで〜。他の男当たれや、ほなな。」

彼が電話をピッと切った時、私は缶ビールを飲み干す。

「私、帰るからいいよ。」
「あ?何勘違いしとるんや。待てや!」

ガシッと手首を掴まれて引き戻される。痛っ!と顔を顰めると、すまん!と慌てて謝られる。

「今のはただのキャバクラの女や。わしの女でも何でもあらへん!それに何ためにお前を捕まえたんや!」
「ご、吾朗…?」
「2年ぶりやろ。わしは嬉しかったで。もう会えんと思っとた。どこにおるのかわからんし、連絡もつかんし。…まぁそりゃ、わしから別れ切り出したんや。何勝手なこと抜かしとるって思われても当たり前や。でも、…会いたかったんや。…わしはお前にとって頼りない男なのはわかっとるけどな。」

最後に吾朗が目を逸らしたけど、私は嬉しかった。

「あの時のわしはほんまに器が小さかったんや。わしは、お前の一番になりたくて何でも理解したかった。でも、聞けば聞くほどお前を追い詰めとった。お前から別れは切り出さなくとも、あんなに距離を置かれればもう一目瞭然やろ。…せやから、わしは自分から切り出した。でも、ほんまは悔しかったんや。」
「…ごめんね。」

付き合ってたことを忘れてるとかなかったことになんてならない。それはそうか。そっと目を伏せて、今なら言える感謝を伝える。

「吾朗が別れを切り出して思い知らせてくれたから、私は分かったよ。自分が自分の弱さに向き合わないで逃げて、隠して、でも結局何の得もしなかった。…フラれてから変われたよ。困った時は人に頼れるようになったし、できなくても仕方ないって思えるようになった。」
「偉いなお前は。わしはまだ変われとるかわからん。」
「変わらなきゃいけないところなんてないよ。」
「このままじゃ、お前に近づけんやろ。」

今だに手首を掴む彼の手が優しく私の手首を撫でる。

「わしは後悔しとるんや。何であの時すぐに諦めたんやろって。あんなんで諦めたらお前と一生過ごせん。あほやったわ。」

私を見つめて訴えてくる。吾朗が私を向き直らせて、身をかがめると強い目で言った。

「やり直させてくれんか?今度こそ、幸せにしたる。」

ドキドキして気圧された。頬に熱を感じて、頷いたら、そのまま抱きしめられた。

「吾朗は一度終わった女なんて寄り付かないと思ってた。あんな風に逃げた私なんて尚更。」
「…そりゃこっちのセリフや。わしのことなんて拾わんと思っとった。もう、離さんで。」

ーー

吾朗に抱きしめられながら彼の住むマンションに寝ていた。まるでハンモックみたいに、彼の長い胴と足に身を横たえてうとうとする。
久しぶりの吾朗は私を存分に甘やかす。私の髪を撫でて、薄暗い部屋でただ二人で寄り添っていた。

「明日早いんか?」
「ん。6時に起きてアパートに帰るよ。」
「…あと8時間もわしとおれるのぉ。」
「吾朗は可愛いよね。」
「はぁ?お前がやろ。」
「…吾朗の方が、かわいい。譲る気はない。」
「ほぉ、言うようになったのぉ?人の身体の上で緩んだ顔しとるお前の方がかわええに決まっとるやろ。譲らんで。」

ふふ、と耐えきれずに笑うと吾朗もヒヒっと笑う。そして、頭に顎を乗せられて、密着する。それ以上のことは今は求めてない。ただ、2年の空白を埋めたくて、ずっと一緒にいる。

「んっ、……!…、もう、寝る。」
「今めっちゃ頭が落ちとったで。落ちかけたやろ?そろそろ寝ろや。」

この人との関係に悩みながらここにいたのに、結局丸くまとまった。私はまたすごく考え過ぎていたのか…、また損をした気がして疲れた瞼を素直に降ろした。

そして、夢現に彼とのこれからを考える。もし何か嫌なことがあれば真っ先に彼に頼りたい。愚痴も吐きたい。失敗も話して笑って欲しい。

「ほんま…久しぶりやな…●。…ええ匂いや。」

私が寝たと思っている彼は至極満足した声を出していた。


end

「…ぅ。ただいま。」
「何やねん、何があったんや。その顔。」
「仕事のデータ飛んで今日は疲れたよ。あのパソコン買い替えて欲しい。」
「そら頑張ったのぉ。よぉやったでぇ。」

帰宅後、開口一番の弱音に吾朗は妙に喜んでいた。慰めることを口実に私を抱き締めてあやす。私は、弱った後にこんなふうに毛布で包まれたような安心感を感じた事は初めてで、彼の腕の中で瞬く。

「何だかいいかも。」
「あん?…わしの包容力ええやろ?昔のお前はこんな素敵なもんを味わえんかったんや。今は存分に堪能したらええ。」
「…ん。」

優しい声が身に染みる。抱き返して、そうかこんな風に彼なら受け止めてくれたんだってまた新しいことに気づいた。

「吾朗は毛布みたいに柔らかくてあったかい。」
「……せ、せやろ?」
「…、って、…ちょ、なんか…下がかたいんだけどっ。」
「無茶言うなや!お前の吐息が胸にかかっとんのやで!?しゃーないやろ!」
「…せっかく和んでたのに。」
「漢の証や!ここで固くならんかったら一大事やで?」


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