それはあまりにも残虐で


純粋な心を持つ恋人に手を振って別れた。彼は好青年で私を信じてそばにいてくれている。これが普通の恋なんだろうな。
ごめんね、と呟いて彼が立ち去った後、アパートのドアを開けて中で待っていた司を見つめる。

「もう終わり?若い恋人とのデートは。」

司のために用意した灰皿に何本もタバコの吸い殻が置かれている。司のせいで私がヘビースモーカーだとあの人から思われている。

「へへ、あの男も馬鹿だよなぁ。お前の吐く平べったい嘘にまんまと騙されてよ。俺との関係がバレたらあの男どうなるかな?」
「幻滅して去っていくでしょうね。」
「泣き崩れたりしてな!はは。だってよ、相当の入れ込みじゃねぇか?あんなガキがそんなネックレス買ってくれたんだろ?相当生活費削ったんだろうなぁ?」

司は私が首に下げているネックレスを見る。彼がくれたネックレスは確かに綺麗だった。ふっと笑って礼を言えばそれだけで満足というように、彼は笑う。その細められた瞳は優しくて、綺麗だった。何の汚れもない。

「何物思いに耽ってんの?お前の本命は俺だろ?妬けるじゃねぇか。」

私が遊んで暮らせるのは司がいるから。一緒に過ごしてサービスするだけで1日で50万はくれる。
楽して生きられるのなら楽したい。私は司に抱きしめられながら、苦いキスを受けて体の力を抜く。

「●ちゃんさ、あいつに肌許したりしてないよね?したらアイツ泣くよ?俺の残すこの痕みたら、女の醜さを知ることになると思うぜ?だからやめとけよ。」

男の憎さは無視できる。キスを交わしながら、司の胸ポケットの厚みから、今日はいくらもらえるのか考えていた。

「なぁ、●ちゃんさぁ。胸を押し付けてくれんのは嬉しいけど、どうせ俺がいくら持ってるか調べてるだけだろ?」
「…そうだけど?」
「お前は正直でいいよなぁ。」

司は私の両腕を握って上下に撫でながらねっとりと話し始める。

「あいつに惚れてんじゃないの?え?」
「あの人に?」
「ああ、お前にしちゃあんな金もねぇような学生とこんなに長く続くなんて珍しいからよ。気に入ってんだろ。」
「……。」
「お前は俺との関係を黙っていたって俺が一言喋りゃあの男は去ってくだろうなぁ。あーあ、かわいそうに。あのガキ女不信になるんじゃねぇか?」

私は司の手を振り払うと離れる。軽蔑する目で睨むけど、極道の男に睨み目は効かない。でもこれは、ただ自分のために睨んでる。
司は余裕たっぷりの顔で笑うと一歩一歩近づいてくる。

「そんなおっかねぇ顔すんなよ。…で、俺よりあのガキ取るの?いくら心が綺麗でもただの貧乏な学生だ。現実はそんなに優しくねぇよ。お前の生活は大変だろうなぁ。」
「…もう他の女を当たって。」
「おいおいそりゃないよ。俺はちゃんと我慢してたんだよ?仕方なくガキにお前をあげて、俺はこんな狭い部屋でお前を待ってた。やろうと思えばお前らの目の前に現れて関係バラせたんだぜ?いいか?お前の運命は俺の手の内にあるんだ。忘れんなよ?」

声を荒げながら私の首を掴む。本気じゃないにしても首が締まって息がしにくい。でも、私は顔に出さないように変わらず睨み続ける。怯まず、苦しくても弱みは見せない。たとえここで死んでも叫び声をあげたくない。

「そうそう、お前のそう言うところ気に入ってんだよ。お前が男なら極道でも十分生きられただろうな?」

だんだん力が込められて、気が遠くなる。ヘヘッと笑う司は殺し屋の目をしていた。どうせならこの目を睨みながら気を失いたい。

「…、へっ。上等だ。」

手が離れて酸素がいきなり入ってくる。はぁ、と深く息をついて彼を睨むけど、司は満足した顔を向ける。

「お前は本当にいい女だな。俺に首を締め上げられたってのに、悲鳴一つ漏らさねぇときたもんだ。分かったよ。まだバラさないで居てやる。ああ、応援してるぜ。お前の恋。…だがよ、変わらずに体は買わせてもらうぜ。」

ーー
あれから…、
私は彼からの純粋さが好きで心が癒されていた。私の知らない世界を教えてくれたし、手を繋ぐだけで顔を赤くする彼は生まれたての白。無理しなくていいのに、私のために髪型を変えたりオシャレにも気を付けてくれるところは健気で…愛らしい。

ー こんな人を…私は騙し続けている。

幸せだったけれど、それを感じるほど苦しくなる。いつか彼を不幸にすることが分かっているのに、私はバチが当たるのに、それでも私は彼と会っている。

そんな私の不幸と幸せを楽しむ司はしつこく体に痕を残す。抗ったところでバラすと脅される。汚いやり方を使って私の幸せを摘みとる彼は呪いであり、しつこい影。

「あの、●ちゃん。僕、よかったらもっと一緒に居たいんだけども。それは迷惑かな?」

優しい声で私の気持ちを確認する。彼に体を許せない私は悲しくなった。ただ、それでも触れたい。彼の想いを私も持っていると、伝えたい。
私は道端で背伸びをしてキスをした。彼は驚いていたけど、私を抱き締めてくれた。
私の舌にはあいつのタバコの味が混ざっている。どこまでも邪魔をするあいつを振り払えない。彼はこの舌の毒を消してくれるだろうか…と期待をしたら、

「おいおい、最近の若者は大胆だなぁ。」
「…ああ、すみませんっ。」
「!?」

はっとして振り向くと司が私に渇いた笑顔を向けていた。司はゆったりと近づくと私の肩を握って引き寄せる。その勢いによろけた私は司の胸に倒れ込む。彼は慌てて私を取り戻そうと駆け寄った。その瞬間、

ーバキッ…!

骨が割れる音がした。え?と目の前の光景に目を見張ると、司が彼の頬を殴りつけていた。暴力のぼの字も知らない彼の体は簡単に吹き飛び、そばにあった電柱に頭をぶつけて地面に倒れた。

信じられなくて…。カタギの人間を殴り飛ばすなんて、一瞬起きたことが理解できなかったけれど私の足は彼に駆け寄ろうとする。それを司はすごい力で後ろから押さえ込み、後頭部を掴むと無理矢理横たわっている彼を見つめさせた。

地面に血が広がっている。口を切ったとか、そんな程度の量じゃない。電柱には筆でなぞったような血の痕がついていて、彼の頭からジワジワと血が流れ出ていた。

「あーあ、かわいそうになぁ。お前のせいでこいつ死んじゃったよ。」
「……この、…人ご…!?」

叫ぼうとすれば手で口を塞がれる。その手を噛み切ろうと思い切り歯を立てるのに、司は私の歯が刺さっても真っ黒い瞳を細めて口元に笑みを浮かべる。
口内に血の味が広がる。司の手から血が伝って地面に落ちていくのに、彼は悲鳴一つあげない。

「まぁ良かったじゃん?このガキもお前に幻滅しないで死ねたんだから。女不信にもならず、好きな女からキスをされて死ねたんだ。幸せもんだよ。」

非情な言葉がかけられて、心が麻痺してもう何も言えなくなる。私は噛みつきながら涙を流して立ち尽くした。

ーー
あれから、
彼の死体がどうなったか知らない。司の部下がうまく消したのか…もう何もわからない。
ショックで涙も枯れてしまった。罪悪感や後悔が司から刷り込まれて心もおかしくなりそうだった。

「●、いい加減食えよ。何日食ってねぇんだよ。…もしかして後追いでも考えてんのか?それとも罪滅ぼし?いや、俺への反抗?」

私もわからない。全てかもしれない。
佐川が用意した暗い檻の中で私は死んだように座っていた。なんで残酷な夢に落ちたんだろうって。こんなことになるなんて、と。取り返しのつかないことが起きて、もう立ち上がれない。

「いつまでもそんなんじゃ良くねぇよ。…まぁこれで元気だせよ」

司は私を押さえつけると何かを取り出して腕にさした。チクッと痛みが走る。空腹で力が入らず暴れられない私はこれで死ぬのかと思った。

「毒じゃねぇから安心しな。これはよ、ヤクだ。」
「…!?」
「薬漬けにしてやる。お前はだんだんあの男を忘れていく。どれだけお前の精神力が強くても、お前も人間。薬で楽しいことしか考えられなくなるし、思い出したくないことはみんな忘れちまう。」

ぎりっと司を睨むと、慈悲深い目で私を見つめている。まるで、自分ができる最高の救済をししているとでもいうように、彼は注射針をテーブルの上に置くと私の異変を楽しみに待っていた。

「ヤクが切れたらいくらでもやるよ。そのためにも俺と仲良くしねぇとな?…お前の手綱は俺がしっかり握ってなきゃいけねぇんだ。なんたってお前は極道顔負けの跳ねっ返りだからよぉ。仕込み甲斐がありそうだぜ、全く。」

彼は笑う。勝者が優越感に浸るように。皺を刻んだその笑みには罪悪感はカケラも浮かんでなかった。


end

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