恋愛初心者の強気


「今日は食欲がありませんか?」

立華さんがフォークを皿に置いて私を見つめる。言葉こそ私の身を案じているけど、その目は特に心配はしていないいつもの目。彼は言葉はうまいのに表情が殆どないから、そこがチグハグに映る。

ー 金は力。

その力を得るために大富豪の私の家に近付いてきた。
父は立華さんの言葉巧みな交渉術にまんまとハマって彼と私が親しくなることを望んでいた。私はといえば、紳士的で落ち着きのある彼が嫌いじゃなかった。付き合って二ヶ月しても彼の姿勢は崩れないし真面目。教養もあってこちらの姿勢がいつも正される思いだった。
ただ、私との交際さえ仕事として真面目にこなしているように見える。週に一度は会おうとして会えない時は電話で繋ぐ彼。マメな人だった。でも全てがとても表面的で金が逃げないようにしているだけのように見える。

私はといえば、恋人ごっこに飽きてきたというか、こんな関係に価値がないというか。愛がないのにあるふりされてもつまらない。彼から優しい言葉をもらっても、段々嫌気がさすようになっていた。

「立華さん、ごめんなさい。今日はあまり体調が良くなくて…帰ってもいいですか。」
「そうですか。無理をなさらないでください。今車を出します。」
「いいえ、大丈夫。」
「体調が良くない恋人を歩いて帰らせることはできませんよ。」

私の矛盾をやんわり指摘して立ち上がる立華さんにゆるく笑った。立華さんはペーパードライバーだから代わりに尾田さんを呼ぼうとしたけれど、考え直した彼は動きを止めて私に聞く。

「明日はお休みですね?もし宜しければ、ここには宿泊用のお部屋がありますから、そちらに泊まりますか?シャワーもありますし、毎日掃除をしていますから清潔に保たれているお部屋ですよ。」

今帰したら私が二度と帰ってこないとでも思ったのか、私を引き止めにきた。…私は迷う。体調なんて悪くはない。立華さんのことも嫌いではない。ただ、ごっこ遊びをこれ以上する気がないだけ。私は尾田さんに迷惑をかけるけれど、家に帰ることにした。

立華さんだってわかってる。この関係は立華さんと父が仲が良いからオマケで進んでいるものだと。私たちは互いに愛もないのにそれらしく隣に立っているだけのハリボテの2人だって。

「体調が良くなったら、また会ってくれませんか?私は貴女との時間をこれでも楽しみにしているんです。」

彼のセリフは好きだけれども心にまで響かない。まるでホストが耳障りのいい言葉をくれるように、彼は私の浮かない顔に合わせて優しくする。

「お金なら、父からたくさんもらってくださいね。」
「…どういう意味でしょうか。」
「何も私ごといらないでしょう。」

初めてしれっと言ってみたけど、立華さんはやはり顔を変えずに淡々と言葉を聞き入れる。ほらね、と背中を向けてドアノブに手をかけると引いて開けたドアを後ろから押し返して閉ざされた。

「勘違いされているようですね。私ほどの金のある男が金と立場を目的に貴女に近づいていると思っているんですか?」
「では、何を目的に?」

立華さんに振り向くと彼はすぐ後ろにいてドアを押さえていた。私をドアと自身で挟んだまま見つめると、自嘲気味に笑う。

「私は下手なんです。…恋愛なんてものは、これまでまともにしたことがなかったですからね。そんなお気楽な世界は知らなかった。だから、経験がなくてあなたに呆れられてしまう。」

彼は息を吐いて自分に呆れながらそっとドアから手を離した。行けという合図なのかと思えば、彼の手は私の片手を取り自分の胸に当てた。ドキドキしているそこ。

「私はね、本当に会いたくて時間をとっていたんですよ。でも、だんだん貴女が私に関心をなくしていることにも気づいていた。…別の男の影もなさそうなので問題は私にあると分かりましたが、…どうしたらいいのか難しい。」

初めて中身のあるセリフを聞いた気がした。いつも淡々と粛々と受け答えをする彼が、私にどうにか言葉を紡いでいる。私に驚いた顔で見つめられれば目線を逸らした。

「だって、…立華さんは肝心なこと言いませんもん。」
「たとえば?」
「好きって言われてませんもん。」

あ、と言った顔。私は彼の驚い顔は初めてみた。そして、彼はやれやれという重い顔で天井を見上げる。言われてわかったというその顔は苦々しい失敗を受け入れていた。

「…申し訳ないです。こんな男が貴女に気に入られるわけありませんね…。自分が馬鹿みたいに思えてきました。」
「…ふっ。」
「笑ってしまいますよね。男として恥ずかしい限りです。」
「立華さんでも出来ないことがあるんですね。」

クスクス笑うと彼は立て直すように顔を向ける。

「…不器用ですが、貴女を愛することは出来ます。」
「!」
「ただ、あなたにも選ぶ権利はあります。もっと気の利いたセリフが浮かぶ男の方がいいでしょうし、私なんて好みの男じゃないかもしれない。」

この日、私はやっと彼が好きになれた気がした。弱みを見せてくれて、それを私が笑っても楽しんでもやんわりと耐える彼が愛らしかった。
その日は彼の速い脈に喜んで、また会う日を約束して私は帰った。何故なら、そばにいると私まで熱が上がって落ち着けなくなったから。

ーー

「仮病はよくなりましたか?」
「はい、仮病は順調に回復してますよ。」
「それを聞いて安心しました。」

あれから4日後にまた立華さんと会った。顔を合わせるなり揶揄われて、少し意外だった。くすっと互いに小さく笑い合えたのが新鮮でどこか楽しかった。
その日はホテルでゆっくりと過ごした。大きな水槽の中で涼しそうに魚たちが泳いでいてそれをみていると心が落ち着く。

「?」

私は彼と他愛のない話をしながらワインとチーズを口にしていたけれど、彼はあまりワインを口にしないことに気づいた。目の下にクマがうっすら浮かんでいたし、ほんの少し疲れが見える。…もしかしたら、無理に合わせているのかも。

「…寝不足ですか?」
「いつものことですよ。お気になさらず。」
「私、これ飲んだら帰りますね。」
「いえ、帰らなくていいんです。」

咄嗟に手を握られる。あ、と口を開く。立華さんは私の手を離さずに、少しだけ間を開けて言う。まるで、勇気を振り絞るみたいに。

「好きな女性をみすみす帰す男がどこにいるんですか。」
「…た、立華さん…それ、反則です。」
「勝つためなら手段を選びませんよ。」
「……っ。」

今までとは違う熱を感じた。顔が熱くて、このあと何が起きるのか自分でも分からなくてドキドキする。彼の手を見つめるとそこに力が入った。

「あなたが帰った後に考えたんです。もう私は細かいことを考えずに、あなたにぶつかってみようと思ったんです。本当はもっと落ち着いてあなたと向き合えばいいのでしょうが、それでは歯痒くてやめました。本音であなたと向き合って、それでダメならあなたを潔く諦めます。…だから、帰らないでください。」

強引でかっこいいと思った。こんなに素直に想いをぶつけられて悪い気はしない。寧ろ、求められていることが嬉しくて頷く。彼はほっとしたのか、にっこり笑っていた。

「可愛い顔ですね。」
「それは、…おそらくこちらの台詞かと。」

互いの一挙一動に照れながら、でも引きたくはなくて、私も彼の方に身を寄せた。彼は私の肩を抱いてくれた。

「強気に出てよかった…私は今幸せです。」

ぽつりと呟いた彼の一言が愛おしくて、彼の手を握り直して目を閉じた。彼の言葉は飾りでもなく、演技でもないのなら、疑っていた私はよほど節穴だった。

「ごめんなさい、立華さん。私はずっと疑っていた。あなたが金と立場を狙ってるんだって。男の飾りとして生きるのは女を侮辱してる…そんな男は許せなかった。」
「ですがもうご存知でしょう?私はそんな男ではないと。」
「そうですね…私が疑ってしまって、ずっと間違っていた。」
「誤解が解けてよかった。これからは、なれるでしょうか?あなたの正式な恋人に。」

問われて体を離す。誠実な顔で質問をされて答えに迷うはずがない。私はうなずいて、そっと彼の頬を撫でた。彼は瞬きもせずに私を見つめ返していたけれど、それは本当に本当に緊張している証のようで私は笑ってしまった。


end

…また、呆れられてしまいましたね。

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