愛から滲み出る憎悪
ー 女なんて好きになったら何でもする。愛は盲目ってやつか。
そう思っていたが、どうやら自分もそれに当てはまっていた。本気で惚れてるからこそ俺しかいないと思われたい。ただ、この女はのらくらとかわすばかり。●が自分に惚れていないことは知り、だんだん優しくしてるのもバカらしくなってくる。
「……。」
車の中で●の横顔を見つめていたが、俺の視線に気づきもしねぇで夜景を楽しんでいる。
まぁまぁまぁ、俺はもう若くはねぇよ。だから若い●にしちゃ気が乗らねぇのもわかる。だがよ、隣にいる俺に顔を向けねぇなんて流石に面白くはねぇよ。
そんな●に我慢できたのは、俺に握られた手を忘れずに握り返していたからだった。
「なぁ、●。今から行くところどこだと思う?」
仕方なく話を振ると、●は振り向いて首を横にふる。
「水族館だよ。お前が行きたかったところ。貸し切ってやったんだぜ?」
「え!?本当に!やった!」
目をキラキラさせて●は喜んでいた。ご機嫌になった●に俺が口を寄せると、●はそれに応えるようにキスをした。
「なぁ、少しは俺に惚れたか?」
「勿論、大好き…。」
「嘘じゃねぇよなぁ?」
「嘘じゃない、信じてくれないの?」
「そりゃお前…信じてぇさ。俺だってな。」
少し寂しい目を向けると●はくすくす笑って俺の頬を撫でるだけだ。もっと必死に愛を訴えてもいいじゃねぇか。この俺が弱音吐いてんだからよ。それを知ってか知らずか、こいつはまた夜景に目を向けた。
(こいつはもう落ちねぇのかね。)
たとえ何億貢ごうと。どんなに美味い飯を食わせても、何を贈っても、こいつの目はすぐに別の方にいっちまうんだ。
「何でもしてやるから、俺のそばから離れんなよ。」
「何でも?ふふ。」
「…ああ、何でもやるよ。…殺しでもな。」
「え?」
甘ったるい雰囲気に亀裂が入った。●が驚いて顔を向ける。
「はは。まぁ、殺しなんてやらないほうがいいに決まってるよなぁ?」
「あ、あはは、もうビックリさせないで!当たり前じゃん!」
●は腕を叩く。俺はにっと笑ったままタバコを口に運んだ。●は俺のセリフは気に留めず、呑気に悪い冗談だと思っていた。
ーー
水族館に着き、貸切の水族館を二人でめぐり、水槽に囲まれた青の世界で食事を取った。魚に囲まれながら、魚料理を食事を摂ることに何の抵抗もなく、彼女は小魚の群れを目で追いながら、テーブルの上で重なる佐川の手を受け止めていた。
よそ見ばかりしている●は目の前の危機に気づかないらしい。胸の奥で苛立ちを込めていた佐川はフォークを置くと言葉をかける。
「なぁ、どこ見てんだよ。」
水槽とライトに照らされ青白い光に包まれた佐川は低い声で彼女の視線を引き寄せた。彼女の手を包み込んでいた手はだんだん彼女の手を締め付けていく。終いには●の小さな悲鳴がホールに響いた。
「司、さん!?痛い!」
●は必死に彼の手を退けようとするが、佐川の手の力は弱まらない。真剣な顔で彼女の苦悶の顔を見つめながら言葉を続ける。
「俺さ、お前が大好きだよ。本気で。だからこんなことしてんの。それわかる?お前魚好きだろ?魚料理も好きだよな?見惚れんのは分かるけど、俺は魚未満ってわけか?えぇ?」
怒り任せの握力に、●の手から鈍い音が響いた。●は叫んで椅子から転がり落ちた時、やっと佐川の手が彼女の手から離れた。床に手を抱えながら丸くなる●を冷めた目で見下ろす佐川は遊泳する魚に目線を移した。
「あー…お前らはいいよなぁ。ただ目の前にいるだけで●の視線を独り占めだもんなぁ。」
佐川は憎々しい目で皿の上の刺身を箸で取ると口に放り込んだ。●は信じられないものでも見るかのような目で佐川を見上げながら、折れた手の痛みに涙を浮かべる。
「つかさ、さん」
「ん?どうした?」
「びょ、病院行かなきゃ…っ。」
「明日でいいだろ。折れたくらいで死なねぇよ。」
しれっと返す佐川は特に冗談で言ってはいない。残った酒を口にすると立ち上がり、丸くなって手を押さえている●の前にしゃがむ。●は驚きと恐怖の目で彼を見上げた。
「それにここ貸し切ったんだからよ。病院なんか行ってたら時間がもったいねぇだろ?」
ーー
●は折れた手を庇いながら必死で枕にしがみついた。膣ではなく尻の穴にねじ込まれ、慣れない痛みで歯を食いしばるが、佐川は表情ひとつ変えずにそこに無理やり突き立てていた。
フゥフゥと息を切らす●は潰れた蛙のようにシーツに無様にへばりついていた。はぁはぁと泣きながら痛みで折った右手に力が入り、さらに痛みで唸る。何度も泣いて謝っても彼女は尻を抉られ、力んでしまい、腫れた右手が更に真っ赤に腫れる。痛みで気を失いかけると、起こすために右手を握られる。目を覚ますほどの激痛は拷問だった。
「許して許してやめてやめてお願い助けて…!」
「何度目だろうな?そのセリフ。俺はここんところ悔しくてよ。こんなに尽くしてもどうして愛されねぇんだろう…な?」
ずれた骨がさらにズレていく痛みでついに白目を剥いた。涙が止まらず、冷や汗も止まらず、狂ったように助けを求めるが無情な彼は眉一つ動かない。
「だれかぁあ!誰か助け、…んぅぐぅ!?」
顔に枕を押し付けられる。窒息しそうなほどの圧迫に●は足掻き、酸欠と死の恐怖と痛みから失禁した。
「俺のこと本気で愛しなよ、命懸けでな。そうしなきゃ、本当ここで殺しちゃうよ?」
「……。」
「いい?わかった?」
枕越しに怒鳴るように言い聞かせる佐川に●はわずかに頷くように体を動かした。枕をどかせば●は必死に息を吸い、やがて目を閉じて恐怖から気を失った。
佐川はタバコを咥えてのけぞりながら小さく声を漏らした。
愛が届かないとか諦めるか届くように脅迫するか、どちらかを選ぶのなら後者を選ぶ。愛されるように自分が変わるのではなく、相手を変えて仕舞えばよかった。
ーー
「……司さん、私のために何でもしてくれるって言ったよね?」
「あ…ぁ?」
知らないうちに寝ていた佐川は●の声で目を覚ます。あ?と返事をした瞬間、寝ぼけた頭でも理解できるほど腹に痛みを感じた。
「ッ…あ、あれ?」
ゆっくり顔を上げると自分の腹に深々と果物ナイフが刺さっていた。最初は何が起きているのかわからなかったが、頭が覚めれば痛みも伝わる。佐川はベッドサイドにいる●を見つめた。
「なんだよ…俺に…死んで欲しいの?」
掠れ声を出して●を見上げると、●は果物ナイフを引き抜いて震えながら後退する。
ナイフを握り締めながら小刻みに息を吐きながら部屋の中を彷徨っていた。その際にポタポタと床に自分の血が流れ落ちる。佐川は声を堪えながら、ゆっくり起き上がる。
「おいおい…そんなに歩き回ったら…だめじゃん…、血の始末、大変だろ?まぁ…お前が…知ってるはずねぇか…今度、俺が教えてやんねぇと…。」
腹から流れる血を片手で抑えながら気が動転した彼女を見つめる。薄れる意識の中で、彼女の震える息遣いを耳にして小さく笑った。
ーー
●はあれから着替えて、手を洗い、後処理もせずにただタクシーを呼んで家に帰っていた。タクシーの運転手としては妙に震えた女を乗せたと思い不審に思ったことだろう。
●は家に帰ると部屋の隅で耳を塞いでいた。
警察が来ることを恐れながら待っていた。震えながら、自分がされたことと、自分が犯した過ちをずっとループして時間が止まったようにひたすら部屋の隅に固まっていた。
しかし、2日経っても警察は来ない。
いつくる?今か?もう向かってるのか?と震えながら永遠を生きていたが、誰も部屋に来ない。ホテルの人間が佐川の死体を見つけて警察に通報して、そこに泊まっていた自分に取調べをしに来るはずなのに、おかしい。おかしすぎる。
震える手でテレビをつけても殺人のニュースは入っていない。滑るばかりのくだらない芸人とイベントの知らせと天気予報と関係のない事件ばかり。指名手配人として自分が写ってるわけもなく…、それが何故かわからなかった。
そんな時、家の電話が鳴った。ひっと叫んだけれど、もう隠れられないと知り、震える手で電話をとる。すると、その電話の相手は警察ではなく死人の声だった。
ー よぉ、●。元気か?折れた骨はどうだ?
嘘だと思った。息を止めて固まる。ドキドキと心臓が速く鳴り響き、混乱から吐き気さえした。
ー おっと、電話切るなよ。…俺はこの通り生きてる。きっと今までサツに捕まることを恐れてガタガタ震えながら泣いてたんだろ?
はは、と、笑う彼は本物だった。●は汗を流しながら何故こんなことが起きているのか分からず、言葉が出ない。
ー あん時は悪かったな。お前の望み叶えてやれなかったよ。でもお前にも非があるよ?だってお前さ、上手いこと急所外してんだもん。惜しかったなぁ。もう少し左行ってりゃ俺は今頃死んでたよ。…でもまぁ、最初にしてみりゃ上出来だ。ただ、指紋は残すわ、血痕はそのままだわ…後処理はひでぇな。あれじゃやったのは私ですって言って帰るようなもんだぜ?…まぁ、俺がちゃんとお前の痕跡消してやったから感謝しろよ。
●は涙を流していた。安心したのか、より強い恐怖に呑み込まれて絶望しているのか。自分でさえ分からない。
ー この電話が通じるってことは部屋にいんだよな?そこ動くんじゃねぇぞ。
●は受話器を落とすと立ち上がり、何も持たずにアパートを飛び出した。腫れた右手の痛みなどどうでもいい。裸足で外に飛び出して、走れば走るほど影がそこまで来ている気がして、叫んだ。
そしたら、横から伸びて片手が身体を軽々と路地裏に引き摺り込み、ゴミ捨て場に突き飛ばした。
「よう。」
ゴミの山に埋もれながら見上げた男は間違いなく佐川司で。目を細めながら、小さく笑っていた。
「俺を殺せなくて残念だったなぁ。まぁまぁ、お前は片手を折って尻も犯されたんだ。おあいこってところだな。」
元気そうな彼はゴミ箱に埋もれる●を見下ろすと、拳を固めて振り下ろす。鋭い痛みが鼻先に走ると同時にブレーカーが落ちたように●の意識は真っ暗な底に落ちていった。
end
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