2人の道


「お前が俺以外の男と式挙げたら、その会場に行って相手の男殺してやるよ。」
「司さんってほんとしつこいよねぇ。」
「お前はなんでそんなに淡白なのかねぇ。俺にはわかんねぇよ。」

彼が私を淡白というけれど、昔、そんなに私といたいのならカタギになりなよ、と誘ったことがあった。その時、そいつは出来ねぇな、と私よりも大事なものがちゃんとあるような早さで返された。それ以降、彼に淡白になっただけだった。

「男って馬鹿だよね。」
「は?何それ。」

不服と言いたいらしい。前を見てタバコを吸ってた彼がさっとこちらを見て抗議の一声を上げたけれど、私は知らん顔する。ほらね。わかってない。私が淡白な理由を。
私はあの時本気だったんだから。だけど、あんな風にすぐに断られたら私だって傷つくというか、本気で愛することが馬鹿らしくなった。

そんなに簡単に惚れた女が手に入ると思う男は馬鹿だ。

彼はまだじっと見ているけれど、私はそのまま無視して窓越しに映る蒼天堀の川を見ていた。彼は諦めて、私と同じところを見る。しばらく二人で黙って、彼がふーっと紫煙を吐くと、

「簡単に抜けられるもんじゃねぇんだよ。」
「え?」
「お前、前言ったよな?俺にカタギになれって。」
「言ったの覚えてたの?」
「当たり前だろ。お前のあの時の目、本気だったからな。」

…なんだ。案外この人は馬鹿じゃないみたい。私が彼の横顔を見つめていると、彼はこちらを見ないでタバコを吸う。
私と彼の目線は今日は噛み合わず、やっぱり虚しく思えてくる。彼といると大体こんな思いしかしない。かち合わないのにだらだら続く。彼という独特な男は好きだったけれど自分の幸せのためにも離れた方が正解なのはわかる。人なんて、ある時どれほど強く惹かれても、結局離れて仕舞えば案外すぐに忘れられるものだから。

「お前のことも大事だけどな、組長の俺がいなくなったら色々面倒なんだよ。カタギの辞職とは訳がちげーの。」
「…そうなんだ。」
「でも、お前のことも大事だよ。」
「多分、私は他の男見つけて幸せになると思うよ。」
「なら、遠慮なくその男の頭撃ち抜いてやるよ。」

こちらを向いた彼は肩を軽くあげて小さく笑みを浮かべた。話がループして、私たちの関係もまたこうやって続く。何度目かのこの流れは嬉しいような寂しいような。私は彼への想いをためらえばいいのか、取り戻せばいいのか、諦めばいいのか分からなくなる。

「本気なの?」
「ああ、本気だ。」
「私が好きなの?」
「愛してるぜ。」
「…分かった。」

彼は嘘をつかない。私は彼の想いに応えるかどうか、もう一度推し量ることにした。

だから私は思い切った行動に出た。

司さんの多忙期を見計らって、アパートを引き払って私は他県に移動した。引っ越したわけじゃない。言葉そのまま、なんの計画性もなく他県に移動したの。まるで夜逃げみたいにパッと迅速に。痕跡も残さなかったから、仕事が落ち着いた彼は私がもうどこに行ったのかわかるはずがない。

私はホテルを点々としてからようやく住む場所を決め、バイトでなんとか金を稼いだ。1人の時間は彼を想った。
私のことを本気で想ってるのなら、彼はどちらを取るのか。極道なのか、私なのか。私の中では多分こうだろうなんていう予測さえつかず、彼が私の目の前に現れるのか、現れないのか、いつになったらこの答えが出るのかも分からない日に耐えた。

そして、時間が過ぎ。
1つの季節が終わり、2つ目の季節も少し終わりかけていた頃…大して期待もしなくなった。

ポケベルも捨てたから、もちろん連絡なんて取れないし、ここは私に縁もゆかりもない田舎に私がいるなんて突き止められはずもないか…、と醒めた目で1人の時間を過ごすようになった。
彼はきっと組長として彼の道で生きている。もしかしたら、もう他の女がいるのかもしれない。あのときの愛の言葉は本気でも、消えてしまった女をまだ愛すだろうか?
ヤクザとのおかしな恋愛は、もうとっくの昔に終わっていたのかもしれない。

「ああ、…秋の虫だ。」

仕事帰りに呟く。空気が澄んでいるここは空も山も川もとても綺麗で、秋の虫が鳴いていた。彼は鈴虫が好きだったから、ここは気にいると思ったけど、…一緒にこの長閑な風景を目にすることはないみたい。
残念だな、と目を細めながら砂利道を歩く。…まぁ確かに、いかにも東京の彼がこんな平和すぎる田舎で生きるなんて想像もつかないや。…彼には彼の道があるんだと自分を納得させたら、

「いい所じゃねぇか。」

背後から声がした。
聞きたかった声が秋の虫に混じって私の耳に届く。彼なの?と振り向けば、半年ぶりに目にする彼が立っていた。私を見ていつもと変わらない顔。
あの茶色のスーツで、靴は高級そうなもので、ワインレッドの洒落たネクタイは、いかにも都会の男。こんな田舎の道では彼が異様に浮いている。

「こんな所にいるなんてなぁ。お前までの道のりなかなか長かったよぉ〜?」

やれやれというポーズ。私は目を細めて彼を見つめた。彼は、私に近づきながら、ポケットにいれていた片手を見せる。それは小指がない手だった。
私はハッとして彼を見つめると、彼はちっとも気にしてないように飄々と聞く。

「どうだ?ほら。これで満足だろ?」
「いたかった?」
「ああ、痛かったなぁ。でも、ケジメをつけてスッキリしたぜ。」

笑いながら言う彼は私を選んでくれた。私は自分の賭けに勝ったんだ。夢じゃないなら、醒めないでほしい。
黙って近づき、彼に抱きつくと彼も抱きしめ返してくれる。田舎のおばちゃんが、あらら!?と珍しいものでも見るように見てくるけど私たちは気にしない。
久しぶりの彼。タバコをやめたのかな?と思うほどあまりタバコの匂いがしなかった。キャバレーの女の香水の匂いも。何も、しない。

「お前、男作ってないよな?」
「ないよ。」
「俺を待ってたってこと?」
「もう諦めてたけどね?」
「間に合ったみてぇだな。…俺はもうカタギだ。カタギの生き方には不慣れなモンでな、まぁよろしく頼むぜ。」
「…司さん…、ふふ。何して生きるの?」

嬉しくて見上げると額にキスをされる。ギュッと抱きしめると、彼はトロントした気の抜けた目で私を見つめて答える。

「そうだなぁ。まぁお前を養えリャなんでもいいなぁ。って言ってもこの歳だ、どこが拾ってくれんのかねぇ。」
「個人経営が向いてそう。探偵とか。」
「こんな田舎で事件なんて起こるか?」
「…じゃあ、引っ越す?」
「そりゃ金貯めてからだな。今の俺なんてほんとに何もねぇ男だよ。いわゆるヒモだからさ。」
「私が養わないとね?」
「おう、まぁ、頼んだよ。」

人生の半分かけて築いたものを小指と一緒に捨てた彼を愛さずにはいられない。私は彼を片手を撫でる。無意識に、彼の薬指を撫でていたら、彼は緩んだ声で情けなく言った。

「あー、指輪、いつ買えんだろうなぁ。高ぇもんなぁ。」
「指輪なんていらないよ。」
「そうもいかねぇよ。俺のもんだって証拠だろ。」

蒼天堀では金を切らさなかった権力者が、今では指輪一つ買えないなんて新鮮で仕方ない。
私と彼の新しい人生が始まることが無性に嬉しかった。

「後悔はない?」
「すると思うか?俺は腹を決めてここに来たんだ。指5本でも10本でも切り落としてやる覚悟で組み抜けたんだぜ。」
「…私、すごく嬉しい…まさか本当に選んでくれるなんて…。」
「悪かったな。待たせちまって。」

じわりと涙ぐむ私の頭を撫でる彼はすごく優しい顔を見せる。そして、目を細めて秋の虫の声を聞きながら、いい場所選んだなぁ、と満足そうに呟いてくれた。



end

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