彼の筋書き


立華さんと再会した時、私の心臓は微かに高鳴った。彼は相変わらず表情一つ変えない人だから、私を見て何を思ったかは分からない。その点、昔と変わらないから安心した。彼は人前で自分を崩すことが本当にない。話し方も表情も雰囲気も仕草も…何もかも。だから、彼の言葉だけの愛に熱を感じられなくて自分から離れてしまった。

「お店、入らないんですか?」
「あ、入ります。」

店に入ろうとして傘を畳んだ時に同じく店の前にいた彼に気づいたなんて、ドラマのワンシーンだ。声をかけられて我に返った私のために彼は店のドアをドアボーイのように開けてくれる。
バーのマスターは私たちが1組だと思ったらしいけど、私は困りながら彼から離れて隅の席に座る。彼は真ん中の席に座った。

(……。)

天井扇がくるくる回り、ゆったりとした音楽が流れる店には他の客もいる。それなのに彼が目の端に映って気になる。彼は誰かと待ち合わせしてるかもしれないから、あまり気にしない方がいいんだけども。

とりあえず、馴染みのメニューを開いてジントニックを頼んだ。そして、カバンに入れて置いた本を開く。ただ、活字なんて全く頭に入らないで、なんとなくページを捲ることしかできなかった。テーブルに置かれたジントニックを飲みながら、まだ1人で飲んでいる彼を意識してしまう。そんな時間がだんだん苦痛になって30分してから会計を頼んだ。
その時、チャージ料と飲み代は要らないと言われて、驚いてワケを聞くとマスターは彼に目を向ける。

「立華さん?」
「貴女の分を払わせてください。」
「何で?」
「以前もそうでしたよね。」

彼なりの…気の引き方なのか。彼とはじめて出会った時もそうだった。その時と同じということは…その。つまり。

「そうだ。こちらのチャイナブルーがおいしかったので、これを飲んでから帰りませんか?雨も強くなってきましたから、今出て行くのはお勧めしません。勿論、お代はだします。」

スマートなセリフは交渉の証拠。私は窓越しに強く降る雨に気付く。それもあってか断る理由もなく彼の提案のまま頼むと、マスターはチャイナブルーを彼の隣の空席に置いた。立ち上がって彼の隣に向かうと彼が立って椅子を引いてくれる。
…紳士な彼はやはり他の男と違い、心惹かれる。

細くて折れそうなステムを指で摘んでチャイナブルーを飲むとスッキリで爽やかな味がした。…ああ、これは美味しい。

「確かに美味しい。チャイナブルーは久しぶり。」
「前はよく飲んでいたのに、最近は趣向が変わりましたか?」
「そうかも。最近は飲んでなかった。」

理由は立華さんを思い出すから控えていたというべき。それは誤魔化してグラスを置いて彼を見ると、彼も私をみていた。

「何か召し上がりますか?」
「いや、いらないかな。立華さんは?」
「飲みにきただけですから。」
「目的もないのにただ飲みに来るなんて珍しい。」
「目的はありますよ。こうしてあなたと飲んでいる。」
「はは。口説く練習したの?」
「相手がいませんからしていませんよ。しばらく見ないうちに少々意地悪になりましたね。」

彼の控えめな反撃に目を伏せた。

「ああ、お仕事、変えられたんですね。」
「そう。今は事務職で地味に頑張ってるの。」
「何事も正確にこなすあなたですから似合っていると思います。」
「立華さんは変わらず?」
「はい。あなたが嫌う金で解決していますよ。」
「はは。」

立華さんは金は力と思っているから、何かあれば大金を敷き詰めたスーツケースで事を済ます。それが悪とは思ってない。彼の実力に他ならない。

「あなたと離れて過ごす時間は寂しいものでした。」

いきなり彼が口を開く。顔を向けると彼はグラスを片手で包みながら、グラスに浮かぶ青い水面を見つめていた。

「どうも誰かを愛することが下手なんですね、私は。情熱的に訴えているつもりでも、側から見たら淡々とした口調で心がないように思えるんでしょうか。あなたに関しては悔しい思いをしました。」
「…立華さん。そんなふうに思っていたんですか?」
「ええ。今でも悔しいです。どうしたらまた振り向いてもらえるのか、女々しくもその思いを切り離せそうにありません。こんな事を言えばまた呆れられそうですね。」

私がどう思っているのか気になったようで彼は私を伺う。私は彼の気持ちを聞いて首を横に振った。

「立華さん、お相手は?」
「居るはずがありませんよ。」

彼の体がこちらに向く。私も彼の方を向いていて、2人の世界が繋がりかけていた時、冷やかしが入った。

「おいおい、何だよさっきから、耳障りでしょうがねぇなー!よそでやれよ!!」

酔っ払いのおじさんが絡んでくる。立華さんはすぐに私を守るように私の前に立った。彼は至極冷静におじさんの絡みに言葉で返していたが、その落ち着き払った振る舞いが癪なのか相手が手をあげた。周りの客も驚いて悲鳴をあげたが、立華さんの相手にもならないわけで。立華さんは軽々と受け流し、よろけて床に倒れた相手に警告を入れる。

「周りのお客様のご迷惑になりますから、この辺で。」
「な、ふざけやがって!このクソガキ!」

逆ギレした相手が立ち上がって拳を振るが、立華さんの手刀を受けて呆気なく目を回してしまった。
立華さんは背筋を伸ばして私の身をまず心配した。それから、マスターにお騒がせしましたとわざわざ詫びを入れる。

「場所を変えましょうか。」

私は慌てて、勘定を済ませた彼について行く。外の雨は止んでいて、街にまた人が流れていた。

「立華さん、すごい。」
「あなたを守ることができてよかった。」
「…ッ…そう言うの、揺れるから駄目です。」
「揺らしたい私としてはその希望は通せませんよ。」

それはずるい。立華さん。身を呈して守ってくれる男らしさを見ただけで惹かれるものは十分にあるのに。

「私の傘に入ってください。どこに行きましょうか。」
「おじさんに絡まれないで、ゆっくりできる場所がいいです。」
「それなら私の自宅はどうでしょうか?」
「え?」

ーーー

久しぶりの彼の自宅だった。
ソファーに座って紅茶を飲みながらゆったり話していると昔を思い出して心地よさも感じる。丁寧な言葉遣いも、執事のような気配りも、熱を乗せた視線も、私の恋心を燻っていく。
だめだ、…バーにいた時から気になっていたけど、私はまだ彼が好きみたい。

「この紅茶、お好きでしたよね?」
「立華さんも好きになったの?飲んでたなんて少し意外かな。」
「寂しさを紛らわせるために…ですかね。」
「素直になったね。前はぜんぜん考えてることが分からなくて困っちゃった。」
「あなたにフラれて変わりました。」

今の彼の気持ちは手に取るようにわかる。真っ直ぐで偽りのない思いを受け止めたくて、彼の手を取った。彼も手を握り返して私に身を寄せる。

「私にチャンスをください。未熟な部分は直します。…もう、二度と、離れたくないんです。」
「立華さん…、私でよかったら、もう一度お願いします。」
「こちらこそ。もう、離したりはしません。」

そっと抱きしめられて目を閉じた。冷静な彼が私の体を離さないようにと、片腕で精一杯の力を込めているから嬉しくなる。
…なんなんだろう。このホッとした気持ちと贅沢な満足感。

「今夜は帰しませんよ。」
「帰れって言われても、帰りませんから。」

挑戦的な言葉を口にすると彼は意地悪な顔をして私をソファーに押し倒す。キスを交わしながら、互いに髪を撫で合う。

「ああ、立華さん。」
「何です?この場に及んで待ったはなしですよ。」
「あのマスターは知り合いなの?すごく立華さんと息があってたけど。」
「いいえ?ただ、あなたと飲むためにあらかじめ"ご協力"していただけるように頼んでおきましたよ。それが何か?」
「…っやっぱり!」

なんか変だと思ったの。
この流れだときっと今日は偶然私と再会したんじゃない。多分、彼にとって端から端まで筋書き通りなのね。

「欲しいものを必ず手に入れるためには計画が必要なんですよ、●さん。」

彼はクスッと笑ってから私の首筋に顔を埋めた。


end

ALICE+