交差する運命


蛍光灯が弱く点灯する狭い部屋に5人のヤクザがいた。そのうちの1人は佐川組の組長、佐川司であった。彼はやや童顔で柔和な口の聞き方をするため、そんな立場の男に見えない。ただ、彼の両手に包まれているものは金属バットであり、背後の部下が持っているハンマーを見れば今から何が起きるのかよくわかる。
部屋の中央の椅子に縛られて固定されている男は立華不動産社長の立華鉄であった。彼は半裸のまま、目の前の佐川司を見据えていた。

「まだ若ぇのに、体が不自由なんて可哀想だなぁ。なぁ、立華ちゃん。今ならまだ離してやるよ。代わりに●ちゃんの居場所教えてもらおうか。」
「●さんの居場所なんて既にご存知のはずですよ。私をここに縛る本当の理由はなんですか?」
「へぇ。肝が据わってるじゃない。…そうか、その言い方だと、俺たちがどんな関係か知らないようだな。…知りたい?ショック受けるかもよ?」

揶揄い口調で佐川は煽ると、コンっとバットの先をコンクリートに置き、立華を見つめた。

「俺たちはこれでも愛し合ってたんだ。昔はな?」
「彼女に惨めに捨てられましたか?」
「はは、強気だなぁ。生半可で入ってきた極道の若ぇもんよりも度胸あるじゃない。…シノギにするには勿体無い…な!」

佐川がバットを振ると鈍い音が部屋に響くが決して叫び声は聞こえなかった。口を切った立華はグッと堪えて顔を前に向ける。

「●さんは貴方ほど女々しくありませんよ。ですから、私に貴方の組の秘密を漏らすことなんてしてません。貴方の組の弱みは私たちが調べ上げたんですから。」
「そうか。まぁそうだよな。●はそんな女じゃねぇって信じてたぜ。」
「貴方にはもう彼女に用などないはずです。何故今更彼女を狙うんですか。」
「あいつに会いたい、ただそれだけだ。…お前のところに勤めたら、あいつは金もそんなにねぇくせにお前の用意する高ぇ社宅に引っ越しちまった。あそこの警備はすげぇ厳しいから、こっちが困っちまったよ。」
「貴方は別れてからも●さんに付き纏っていたんですね。だから、嫌われちゃうんですよ。」
「まぁな。俺はあいつから執着心の塊だって怒られたことがあったよ。だが、もうこれでわかっただろ?お前は餌なんだよ。餌。…あいつをここに誘き出すためのな。」

佐川は金属バットを再び振り、立華の頬を赤く染めていく。口や鼻から流れる血がポタポタと床に落ちていくが、この部屋にいる男たちは顔色一つ変えなかった。もちろん、立華本人も。

「ま。俺たちの縄張りから地上げした礼もある…とにかくだ。お前が痛めつけられているほど見せしめにもちょうど良い。●もこれで分かるだろ。」
「…●さんは…貴方についていくような女性じゃないです…。私を痛めつけても…、貴方が望むことは起きませんよ…。」
「まぁまぁ、それでもいいさ。俺はただ後悔して欲しいんだよ。俺を裏切ったらどうなるか、あいつに教えてやりてぇのさ。…さて、大事な足、イッとこうか。」

金属バットを背後の部下に渡し、代わりにハンマーを手にした佐川は立華の剥き出しの足に目を移した。

◆ ◆
●と尾田が拷問部屋に駆けつけた時には、椅子に縛り付けられた立華しかいなかった。
虫の息の立華は口元が真っ赤に腫れ、胸は刃物で切られ、両足の指は全て潰されて血で黒ずんでいた。

「社長おぉ!!ああくそ!おい!救急車!!」

尾田は真っ青になって叫び、立華に声をかけながら彼の手の拘束を解いていく。●は近くの公衆電話を探しに走り、まともな言葉もうまく出ないまま必死に助けを求めた。そして、放心状態のまま拷問部屋に戻ろうとした時、声がかけられた。

「よーぅ、●ちゃん。久しぶりだなぁ。」
「…!司っ…あんた、立華さんを!?」
「おいおい、アンタなんてよせよ。俺らはまだ結婚してねぇよ?」
「…ッ!」

暗闇から出てきた佐川は血塗れたりハンターを肩にかけながら現れた。ズボンには返り血が点々と染みつき、まるで見せつけるかのように●の前を歩く。

「可哀想だよなぁ。立華ちゃん。足、イッちゃったよ。もう使えるのは左手だけだ。あの歳で車椅子生活なんて残酷だなぁ。」
「何であんなひどいことを。」
「分かっただろ?お前の居場所は俺の隣なんだって。」

ゆらっと近づく佐川を突き飛ばすと●は拷問部屋に走り去る。佐川はフンっと怒りを放つが、すぐに、まぁ良いか、と片眉を釣り上げて微かな笑みを浮かべた。

「お前の居場所なんてもうないさ。立華ちゃんだってお前の顔はもう見たくねぇだろうな。」

◆ ◆
立華さんが病院に運ばれた時、桐生さんも駆けつけてくれた。立華さんが手術室に運ばれると、怒りを込めた目をした尾田さんが私に大股で近づく。

「おい!●、お前、佐川と関係があったって何で黙ってたんだよ!…社長はなぁ!お前を庇うために拷問にかけられたんだぞ!わかってんのか!?」

尾田さんは私の襟を掴んで怒鳴ると拳を固めた。殴られると思った時、桐生さんが、よせ尾田!と叫んで尾田さんの片手を止めた。

「お前は立華が体張って守った女を殴る気なのか?」

激昂した尾田さんだったが桐生さんの言葉に言い返せず、ショックでフラフラと後退すると床に座り込んだ。

「立華さんは…ただでさえ体が弱いってのに…、こんな女のために足まで潰されて…なんなんだよ、全く…っ。」
「尾田、お前は立華についててやれ。」

桐生さんはそう言うと私を支えながら病院を出て路地裏に入った。桐生さんは私と向き合うとなぜこんなことになったのか理由を聞いた。
立華不動産が佐川組の縄張りの土地を地上げして、反発したヤクザの弱みを握って潰したこと、…それをきっかけに佐川が立華不動産にしかけるきっかけを掴み、私を引き摺り出そうとしたことを話す。

「立華はお前を守りたかったんだろうな。」
「…私が悪い。」
「それこそ佐川の思うツボだ。今は休んで、回復した立華と話せ。尾田は俺が見張ってる。アイツは今は感情的になっているから、近づかない方がいい。」
「…社長は、私なんてもう会いたくもないはず…だって、あんな目に遭わせたのは私のせいなんだから…っ。」
「立華は惚れた女を守ったんだ。」
「え?」
「だから、何も言わずに消えるんじゃねぇ。立華が回復したら立華に会え。いいな?」
「…はい。」
「佐川の動きが気になる。お前は単独行動は避けろ。病院みてぇに人のいる場所や警備がしっかりしてる社宅に居るんだ。何かあったらすぐに俺に知らせろ。」

桐生さんに言われて頷き、桐生さんに付き添われながら社宅に戻った。

その日の私は、血塗れで半目のまま意識を失いかけている立華さんの顔と骨が見えていた血塗れの彼の足を何度も思い出しては泣きながら吐いた。そして、影から現れた司の煽り文句と残酷な微笑に怒りを感じた。

「…立華、さん。どうしよう…足が、あんなになっちゃった。」

涙を流しながら便器に向かってつぶやく。彼は…どうなるの?あんな足で…歩けるの?もしかしたら、本当に車椅子生活なの?

「…立華さん、ごめんなさい…ごめんなさい…。」

◆ ◆
翌日。
手術が無事に終わり、容態が安定した立華に尾田も桐生も安堵した。

「尾田、妙な気を起こすんじゃねぇぞ。」
「それはどっちのだよ。…●か?佐川か?」
「どっちもだ。立華が守り抜いた●を傷つけることも、あの佐川にけしかけるのもだ。お前は立華も●も守らなきゃならねぇ。」

尾田は両足と胸に包帯を巻かれたまま寝ている立華を見つめながら低い声で返す。
尾田は全てが憎かった。過去の自分さえも憎かった。自分がヘマしなければ立華の右手は今もあり、腎臓にも障害が残らず、敵なしの立華鉄のままでいたはずなのに。
立華はなんでもできる力と知恵のある男なのに、どうしてこんなに傷つけられなければならないのか。今回も佐川と●の関係を知っていれば、佐川組の土地に手は出さなかったのに。佐川が立華を拉致すると予想できていればそばにいたのに。

「何で…立華さんがこんな目に…あわなきゃならねぇんだよっ。」
「…おだ、さん。」
「社長!!?大丈夫ですかっ!?」
「立華。気づいたのか?」
「…●、さんは…?」
「今社宅に居る。安心しろ。」
「…●さん、…ひとりで、…大丈夫…ですか?…佐川…は、彼女を…。」
「錦に社宅を見張らせてるから何かあったら俺に知らせるはずだ。お前が命張って守った女は俺たちも守る。」
「おだ、さん、…彼女を…守ってください…。」
「分かりました…佐川は?あいつはどうするんですか?」
「…彼に手は出さないで…おきましょう。彼から見た…私たちは、エサです…彼女を、内側から…傷付けるための…エサです。」

立華は痛み止めが効いているにもかかわらず、ううと唸る。透析が必要なのかと思い、ナースコールを押すと看護師達が立華の容態を確認して医者の指示を受けてきた。

「桐生、俺は●を守る。でも、社長が回復するまでだ。もうあの女はうちにいらねぇ。あの女さえいなくなれば立華さんはもうそれ以上狙われねぇ。」
「それを決めるのはお前じゃねぇよ。それに、佐川の狙いはそれだろ。内輪揉め誘って●を立華不動産から追い払おうとしてるんだ。」
「それが何だよ!?あいつがいるから社長は狙われたんだ。」
「立華が●を見捨てると思うか?」
「…っ。だったら、どうしたらいいんだ…あんな体になって…社長が、…佐川組に敵うわけねぇ。次なんてねぇ。次なんてあったら…社長が…。」
「落ち着け。おい、変なこと考えるなよ。立華は●のためにここまでしたんだぞ。●を売ったり傷付けるような真似をしたら立華の傷は無駄になる。」
「ああ、うるせぇな!そんなこと知ってる!」

尾田の動揺に危険を感じとる桐生は、佐川ではなく尾田から彼女を守らねばならないことを察した。

「付き添いの方、いらしてください。」

緊張が張り詰める中、看護師に声をかけられ、桐生たちは別室に運ばれた立華の元へ向かった。
右手に太い針を刺したまま透析を受けている立華は先ほどより意識がはっきりしていた。

「●さんとお話ししたいんです。桐生さん、お願いできますか?」
「分かった。呼びに行ってくる。」

桐生が退室してから尾田と立華は静かな空気に包まれた。尾田が言いたいことは山ほどある。ただ、それは立華の意思に反することばかりであり、口にできずに奥歯を噛み締めていた。

「今回の件、彼女に責任はありません。私が…男としてしたくてしたことです。」
「…社長…だからって、…。」
「私の母と妹のこと、ご存知ですよね?」
「ええ。」
「私はもう逃げたくありません…。大事なものを見捨てるなんて、…もう、二度と逃げたくありません。」
「…っ、分かりました…でも、俺は、立華さんに死んでほしくないんですよ!」
「死ぬ気はないです。私は例えこの足で歩けなくなっても後悔はないんです。」

立華の目は真剣で真っ直ぐだった。横たわった身であっても彼の意思は鉄の意志で強く硬い。
尾田は彼の妹を数年前に地獄の世界に突き落としたことを脳裏に浮かべ、その罪悪感を悟られまいと何とか顔を作って頷いた。

「(俺は…この人の妹をひどい世界に送った。そのことはこの人にはバレてない。だから、その償いとして、何としてでも●を守らねぇといけねぇ。俺がこの人から見捨てられねぇようにするためにも。)ついていきます、兄貴。俺が出来ること、なんでもしますよ。」
「ありがとうございます。尾田さん。」

彼の言葉の裏にあるのはただの自己救済だった。
尾田はただ立華に見捨てられたくない、嫌われたくない、その一心で尽くしているのであり、一度犯した大きな過ちへの沈黙の償いのためだけに支えていた。

◆ ◆
私は桐生さんと病院に駆けつけた。
立華さんの病室に入る時は手が震えた。何を言われるのかと。そして、彼はどんな状態なのかと。全ての不安と重圧がのしかかってきて眩暈がした。

「…失礼します。」

透析中の彼は横たわっていて、その近くに座っていた尾田さんが立ち上がる。尾田さんは何とも言えない目で私とすれ違って部屋を後にした。

「立華さん、わたし…。」
「泣いていたんですか?」
「は、はいっ。ごめんなさいっ、わたし、…のせいで、」
「貴女を責めてはいません。…貴女が無事でよかった。」
「…立華さん…ッ。私、取り返しつかないことしてしまった…、立華さんの足が…っ。」

謝罪の言葉が涙で出てこない。怨まれて当然なのに、彼はいつものように落ち着いた眼差しで私を見つめた。彼の手は私の頭を撫で、泣き腫らした私を慰める。

「佐川には渡さないです。貴女は私のために、私のそばにいてください。」
「立華さんっ…?」
「…私の足、見えますか?」
「え?…ぁ、は、はい。」

包帯で巻かれた彼の足をチラリと見ると彼は再び口を開く。

「どこまで骨が治るか分かりませんが、最悪の事態を考えると私が満足に使える四肢は恐らくこの左手だけになるでしょう。」
「……。」
「これは私の覚悟です。●さん。…どうか、私のそばにいてください。」

立華が目を細めてゆっくり口を開いた。まるで、私に言い聞かせるような遅さ。

「拷問の時に佐川から沢山聞かされましたよ。貴女と佐川のことを。少々生々しい話までね。…私は正直悔しかったです。だから、生きて貴女に会いに戻ると決めました。」
「立華さん…でも、私は…もうこれ以上、立華さんを巻き込めない。」
「考えてください。私や桐生さんのもとから離れたら、貴女はたちまち佐川に狙われます。貴女の居場所はここしかないはずです。」

立華は左手を伸ばして●の手首を掴む。彼女はその手を見つめながら、不安の真っ只中に落ちていき、いつもこうだと予測不可能な人生に項垂れた。
いつも誰かに支配される。命をかけないといけない関係が作り出される。なぜか知らないけれど、普通の関係がどうしても手に入らなかった。佐川とは恐怖心で、立華とは罪悪感と責任感をヒシヒシと感じながら生きなければならない。

「わかりました…お願いします。立華さん。私を…守って下さい。」
「ええ、勿論。ただ、暫くは尾田さんと桐生さんに頼みます。…絶対に単独行動は避けて下さい。」
「はい。」

彼はこの言葉を告げるためだけに意識を取り戻したようだった。●の返事を聞くと、ゆっくり視線を迷わせてからスゥッと眠りに落ちていった。●は取られた手首をそっと離すと部屋の外にいる桐生と尾田を見る。

尾田はギラっとした目でまだ●を見ており、それを中和するように桐生が●のそばについた。

「俺たちが守る。ひとまず、社宅に戻ろう。」
「はい。お願いします…。」

尾田は立華の部屋に残り、桐生と●は外へ出た。●は放心状態だった。
誰かに傷つけられるか、誰かが傷つくか、そのどれかしか味わえない関係に心が空になっていく思いだった。

彼らが立華不動産が手配した車に乗り、社宅に戻る姿を佐川は近くの店の影から見ていた。

「●、お前は男に恵まれているなぁ。まぁいい。お前がどこに逃げようとも追いかけてやるよ。地獄の果てでもな?」

佐川はタバコを地面に落として踏み消すとその場を後にした。
まだ煙が残るそのタバコは、街を覆う厚い雨雲の雨によって静かに消えていった。


end


ALICE+