声だけじゃ伝わらない


興味本位でやってみたテレクラからいろんな経験を積んだ。ガッカリもあれば楽しみもあったが、その日出会った声は他のものとは比べ物にならないほど心地良く、会話も楽しく、あっという間に3時間話し続けていた。
そろそろ時間という時に相手の気分を害さないか不安になりながら、思い切って誘いをかける。

「もっと話していたいんだが、これから会わないか?」

誘いをかけるのには慣れたはずだが、いつになく緊張していた。それほど、俺は本気だったってことだ。焦った目で時計の針を見ながら、受話器を握らない手をキツく握る。
だが、返事は期待を静かに冷やすものだった。

ー 私も話していたいんだけど、実際には会わないことにしてるの、ごめんなさい。でも、すんごく楽しかった。楽しすぎてこんな時間まで話していたのはあなたが初めて。

それは本当に申し訳ないという声。そして、俺と同じく寂しさを含んだものだった。ガッカリしたが、男なら女の断りを潔く…受け入れなきゃならない。

「…そ、そうか、それは残念だ。俺はもっと…話していたかった。もしかして、相手がいるのか?」
ーあ、いや、そうじゃなくて、ほら、たまに変なやついるから…それだけの理由なの。自分の身は自分で守らなきゃ。
「そうだな、そりゃ賢明だ。…じゃあ、これで、もう、最後ってことか?」
ーえっと、

俺が未練がましく迫るせいか、相手は困ったように悩む。疎ましがられて切られるかと思ったが、

ー私、金曜の7時くらいからこのテレクラに電話をかけるの。もし、もし運が良ければまた電話できるかもしれない。
「本当か!?金曜の7時か。ああ、分かった。なら、またもし俺と繋がったらまた話そう。楽しみにしてるぜ。…そうだ、名前を聞いてもいいか?俺は桐生一馬だ。」
ー●だよ。
「可愛い名前じゃねぇか。…待ってるぜ。」

テレクラという声だけの繋がりが、切れる時間。個室から出た時の寂しさとまた来週に会えるかもしれないという望みを持ちながら店を出る。
その日の夜は全く身が入らなかった。アパートに戻っても●の声を思い出して、あんなふうに気持ちが温まったり弾んだり笑ったことなんて初めてだな、と幸せな思いに浸っていた。

それから、俺は毎週金曜の7時にはテレクラの個室にいるようにしている。その日、最初の電話を取った時胸が高鳴ったがテレクラは甘くはない。●の電話を受け取れはしなかった。期待しては、がっかりして、●以外の声と話している間にも●が他の男と話しているんじゃないかと心配になって電話を切った。
心が折れそうになったが、俺は諦めなかった。来週もテレクラに通った。再来週も…。

粘った甲斐があったのは、●の声を聞いてから1ヶ月後の金曜だった。また違う女かと思って少しイライラした声を出した後、俺の声は弾む。

「●か!?」
ーわ、繋がった!桐生さん?
「ああ!俺だ!待ってたぜ。」

心臓がうるさく脈打つ。顔がにやける。心底嬉しくて片手でガッツポーズを決める。

ーもしかして、ほんとうに待っていたの?
「ああ、1ヶ月粘ったな。まぁ、いい、話そう。時間は限られているんだ。」
ーそうだね!

●の声も楽しそうだ。俺はまるで恋人に久しぶりに話せたような気分だった。そして、逃したくはないという熱い思いが時間と共にそだっていく。●の最近の話を聞いているうちに、●の生活や仕事や趣味を聞こうと意図的に質問しているのは我ながら汚ねぇと思ったが、話をしていればこの辺りの喫茶店で働いていることがわかった。それに容姿も…。ついでに未婚で相手がいないことも。

「チッ、もう時間か…、また、来週粘るぜ。」
ーありがとう…桐生さんと話すと3時間なんてあっという間。
「俺は直接話したっていいんだぜ?」
ーふふ、考えておこうかな。

イエスと言われずに残念だったが、俺はその日やっと話したかった女と話せて幸せを感じた。そして、翌日からこの近くの喫茶店を巡ることにした。

ーーーー

しかし、喫茶店と言えども細々した店も含めりゃ飲食店は数多くある。それに、朝働いているのか夜働いているのかも分からねぇ。●が働いている場所が接客ではなく調理場なら何度通おうが会えるはずもねぇ。

(…どこにいるんだ、●。)

俺は●を好き、なんだろうな…いや、好きだ。この気持ちは。声だけ聞いただけでこんなに会いたいと思った女は他にいなかった。

俺はだんだん●への思いを膨らませながら、会えそうで会えない女に飢えていた。そして、次の金曜日はにまた会えるかもしれないとなんの根拠もない確信を持って電話を待てば、裏切られた。

(…先週はやっぱり運が良かったってだけらしい。これだけ他の電話は切っているっていうのに、●には辿り着かなかった。…はぁ、そう甘くはねぇってことか。神室町、こんなに広かったか?)

疲れを感じながら夜空を見上げてタバコを吸う。はぁーと吐きながら、姿も知らない●を思って、またお前の声が聞きたい、と心の中で切望した。
咥えタバコをしながら無意識に喫茶店を目で探す。あそこも行った、ここも行ったと思いながら、むしろ後どの喫茶店に行っていないのか分からなかった。

…思えば、本当に喫茶店で働いているのかもわからない。言えば、●という名前かもわからない。全てがでっち上げなのかもしれない。…いや、そんなはずがない。●は素直で真面目な女だ。俺に嘘つくはずがない。

ー あ、傘忘れた!

人混みの中、聞き慣れた声が聞こえる。ん?と立ち止まって振り向くが、人混みに紛れてどこの誰が声を出したかなんてわからない。そこかしこで酔っ払いが大声で喋り、ホステスを口説く男の声が情けなく響いた夜の神室町に、たった一人の女の声を聞き分けろだなんて無理な話だ。だが、あれは、間違いなく●の声だった。俺にはわかる。
俺はタバコを吐き捨てて叫ぶ。

「●!どこだ!?」

いきなり大声を出した俺に何人かが振り向いた。その中で、女で慌てて振り向いた人物が一人、俺は白のカーディガンを羽織ったショートヘアの細い女と目があった。

「…●なのか?」
「き、りゅうさん?」

驚いた目は丸くなり、ゆっくりと笑顔になる。そんな彼女に俺は駆け寄った。

「ああ、おれは桐生だ!●で間違いないな?」
「そうです。まさか、ふふ、こんなところで出会うとは。」

ああ、その声は、笑い方は、間違いない。俺は願いがやっと叶った達成感と目の前にいる女への想いで胸がいっぱいだった。

「探したぜ…、どうしても会いたくて…ずっとお前に会いたかったんだ。」
「そう言ってくれてありがとう桐生さん…。本当にガッチリしてるんだね。思ったよりも男らしい。」
「●は…思う以上に可愛いな。」
「!」
「なぁ、少し、話せないか?それとももう、他の男と話して疲れているか?」

断ってほしくはなかった。俺以外の男と話して満足してほしくない。やっと会えた●にどうしても伝えたい想いがあった。

「私も話したい。今夜は、面と向かって。」

●はどこか照れた顔を向ける。そうか、●はこんなふうに緩んだ笑顔で、今までも受話器の向こうで話していてくれたのか。やっぱり声だけじゃ伝わらねぇな。惚れた女の魅力は。

「そ、そうだ、桐生さん…良かったら…私の職場の喫茶店に行かない?」
「ああ、もちろんだ。何処の店だか教えてくれ。」

俺は隣を歩く●の顔をじっと見つめていた。そして、この女と飽きない会話がもしかしたらこれからは茶を飲みながらできるんじゃないかと思うと自然と笑顔が浮かんだ。


end

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