生きる契約期間


「そんなに死にてぇなら、俺が殺してやるよ。今ここでな。」

●のこめかみに銃を突きつけた佐川は低い声で告げると、●はフェンスの前で座り込んだ。怖いのか、観念したのか分からないが抵抗はない。

「蒼天堀は目の前だし、お前の死体を片付けるにはちょうどいい場所だ。」

佐川は同情を一切滲ませず、フェンスに指を数本絡めたまま座り込む●を見下ろした。
薬と酒で何度か死のうとした●は失敗して生と死の間を行きつ戻りつを繰り返していた。

「なぁ、殺してやる代わりに死にてぇ理由を聞かせてくれよ。男にでもフラれたか?借金でも抱えてんのか?治らねぇ病気にでも罹った?」

彼からの質問に●はゆっくり口を開いた。

「生きる意味がわからないから。…何で生きてるんだろ?目的もなくて、生き甲斐もなくて、同じ日を単調に生きてる…私は生きてる…ただ、健康だから死なずに生きてる。」
「つまり、楽しくねぇから死にてぇってのか?なんだよ、思ってたより死ぬには安い理由じゃねぇか。」
「…安い?」
「ああ。そりゃお前を殺した俺はタダじゃすまねぇだろ?死に切れねぇお前を楽にする代わりに俺はムショにはいるんだ。しかも、こんなわけのワカンねぇ理由でカタギを殺した奴に組のトップなんて務まるわけねぇし、俺の人生も終わったようなもんだ。」
「……。」
「お前が本当に死んだ方が楽になる境遇ならそれでも手伝ってやったが、そんな安い理由じゃ手伝えねぇよ。…それにその手は何だよ。」

佐川はフェンスを掴んでいる●の手がかすかにふるえていることを目に捉えると、銃をしまう。

「お前はただ生きる度胸がねぇだけだ。死にてぇわけじゃねぇ。」

その夜、佐川と●は長いこと川辺から動かなかった。
●が立ち上がる頃には佐川のタバコも切れていた。
立ち上がった彼女に、ほら行くぞ、と彼は一言言葉をかけると、彼女は歩き出し彼の後ろをついて行った。

◆ ◆

「お疲れ、●ちゃん。真面目に頑張ってるじゃない。」

あれから●は佐川の営む金貸の事務所の事務員をしていた。●はまだ生きることの楽しさなんてものは見出せず、相変わらず淡々と生きていた。

●のあの過去を知る佐川のその一言は彼女の身に染みていた。死ぬことをぼんやり考えては手を出し、でも怖くて半端なことばかりだった自分を知っている男からの、労りの言葉に彼女は小さく頷く。

「お前、やっぱり死ななくてよかったな。」
「え?」
「だって、お前みたいに計算が早い事務員がいなきゃ俺が困るだろ。これからもよろしく頼むよ?」

通り過ぎ様にポンっと肩を叩かれる。彼女が肩越しに振り返る頃には佐川の頭しか見えず、彼は事務所を出ていった。

ー とりあえず、俺のために生きたらどうだ?
ー 佐川さんのために?
ー おう。俺がお前にもういらねぇって言った時に好きに死ねよ。

あの夜、タバコを買いに行った佐川は●に言った。●はピンと来ないようで、首を傾げたが佐川はもう決まりだと言うように言葉を続ける。

ー 俺のしのぎの事務所で働け。人が足りねぇし、女もいた方がいい。男ばかりじゃむさ苦しくてかなわねぇしな。
ー 事務員なんてしたことないです。
ー やりながら覚えろ。

佐川はタバコを咥えると旨そうに吸う。

ー 雇用期間内には死ぬなよ?また募集かけるのめんどくせぇからさ。雇用期間が切れたらあとは好きにしろ。
ー 分かりました。

●を繋ぎ止めた佐川の契約は、あの日からもう1年は続いていた。その時の●は彼の気まぐれな契約と解雇がセットで言い渡されると思っていたが、彼が●を切り捨てる素振りはない。

(…佐川さんのために働いて、生きる。今日も明日も明後日も。)

誰もいない事務所の戸締りをしてから、●は電気を消した。彼女の机の上は次の日もすぐに使えるようにいつも整理整頓されていた。


end

ー まぁ、俺がお前を手放す気なんてないけどな?


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