執拗な立ち退き要請


ー こ、これは!

アパートに帰るとアパートの玄関に何人かのホームレスがいた。だらしなく横たわったり、階段に腰をかけていたり。とにかく、汚くて何考えてるのかわからない顔でこちら見てくる。1人のホームレスの手にはマッチが握られていた。
間違いない、彼のやり方だ。私の、上司の…

ー た、立華さーーん!

公衆電話で立華不動産に電話をすると、受付が出てから上司立華さんに繋がった。

「はい。立華です。」
「立華さん、私の住んでるアパートが立華不動産屋に地上げされそうなんで助けてください!」

自分でも何言ってるかわからない。私は立華不動産の職員だし、地上げしようとしてる上司本人に助けを求めるなんて支離滅裂だ。電話越しの彼はほんの微かにふっと笑うとキッパリ断った。

「申し訳ありません。こちらにも事情があってのことです。●さんにもいずれそのアパートから立ち退いていただくことになりますが、立ち退き料は払うのでご安心ください。」
「え、…え、え。」
「今日はホームレスは居座るだけですから、それ以上のことはありません。明日、お引越しの相談に乗りますよ。」
「でも、1人のホームレスがマッチ持ってるんですがっ。」
「…おや、そうですか。でしたら直接止めてください。職員証を提示して、私からの指示だとお伝えください。」
「は、はぁい。」

公衆電話から出てため息をついた。私は立ち退かせる側の人間なのに、まさか自分が所属する組織から立ち退かされる羽目になるなんて。
とりあえず、そのホームレスに指示を出して部屋に戻ったものの、あの怪しくてやばい目のホームレスを思い出すと寝付けなかった。

翌日、出勤すると尾田さんに笑われた。面白いものでも見るかのように。これは事情を知っている顔だ。

「尾田さん、さいてー。」
「まぁまぁ、社長からの指示なんだし、俺はただ仕事しただけ。その顔だと眠れなかった?まだ不審火も騒音も指示してないんだけどなぁ。」
(怪しい…。)
「あ、社長が引っ越しの相談に乗るから社長室来いだってさ。」

私は寝不足の目で社長に向かい、ノック後に部屋を開けて社長室に入る。無駄に広いお部屋だけど、その広さが彼には似合う。彼は朝日を浴びながら朝の挨拶をした。

「どうぞお掛け下さい。その顔、何かありました?」
「いや、何か起こりそうで眠れなかったんです。」
「意外と小心者ですね。」

返事はため息に込めてソファーに座る。彼と対面すると、彼が資料をテーブルの上に広げた。会社の近くのアパートがいくつも載ってある。その中から引っ越し先を選べということらしいけど、…ちょっと待ってと。

「た、高くないですか?」
「周りの安い部屋は既に満室です。お値段と場所を考慮して絞った結果、この4つのアパートとなります。」
「う…(え、なんで月2桁もいくの?ここの給料いいけど、長年住むにしてはさすがに厳しいよ。)…うぅーーん。立ち退きたくないです。」
「立華不動産にごねても無駄ですよ?」
「承知してます。」

分かるよ。そりゃ。ごねると夜中の嫌がらせ電話から始まり、不審火、騒音、汚物で汚す…、挙げ句の果ては電気の回線切ったり、水道、ガスの契約切りを勝手にして住めなくするわけだし。

「立ち退き料は?」
「30万です。」
「え、少なっ!いつもは倍出すのにっ!?」
「……。」
「うーー、どうしよー。」

目を閉じて唸って悩む。貯金もしたい。給料から、アパート代2桁+生活費…約15万もさっぴきたくもない。だからってどこにすめばいいのかアテもない。
悩む私を見た立華さんは足を組むと一つの提案した。

「でしたら、私の住むマンションの空いているお部屋に移りますか?そのマンションの所有権は私にあるので、一部屋無料でお貸ししますよ。立華不動産の部外者は部屋を借りられないようにしていますし、住んでいる人間は職員や警備員ですからご安心下さい。」
「期限付き?」
「いいえ。終身です。」
「え、本当ですか!?ただで住めるんですね?」
「ええ。それが1番てっとり早いでしょう。」
「…でも、そんな甘い話聞いたことない。」
「おや、信じてくれないんですか?」

怪しんでじとっと見ると、反して彼は柔らかく目を細めた。それはどこか楽しそうな瞳で、裏なんてない目をしている。怪しいけど、他に手がない私はそのうまい話をのむことにした。

ーー

身の丈に合わないマンションが我が家になってから3ヶ月。私はあまりに広く、景色もいい部屋に満足していた。これがタダなんておかしいけど、今のところ不都合もない。

「今日も素敵なお部屋に帰るんですね?」
「尾田さん、からかわないでくださいっ。」
「その満足そうな顔見てりゃからかいたくもなるよ。」

やれやれという顔の尾田さんだけど、帰りの支度をする私に近づいて身を寄せる。ん?と身を固めると、耳元で問われる。

「で、社長とどこまで行ったんだよ。」
「は?どこにも行ってないですよ。」
「あのなぁ、そんなこと聞いてるんじゃねぇよ。…この前社長と一緒に帰っただろ?」
「尾田さんって案外乙女なんですね〜っ。はは。ロビーでさよならですよ。」
「ばか。…って、本当に何もないのかよ。」

意外そうな顔で私から離れると尾田さんは頭を掻く。何故かつまらなそうな、私を責めるような目で見られても困る。

「まぁ、こんなによくしてもらってるんだし、社長から誘われたらちゃんと受けろよ?」
「え?あ、はい。まぁでも社長は忙しい人だから誘いも何もないですけどね。」

仕事一筋の人だし、彼のプライベートなんて知らない。それに、あの掴めない完璧主義の男にどう近づけばいいんだって思う。別に嫌いなわけじゃないけど、彼に関しては色恋のイメージがまるでない。謎といえば謎。

(誘われるなんてね…あるわけないよ。)

ビルから出てマンションに歩いていた。信号機で止まって夕食何しようかと考えながらぼんやりしていたら、声をかけられた。振り向けば社長がいた。外に出ていた彼が会社のカバンを片手に持ちながらそのまま帰宅するらしい。

「あれ、社長もお帰りですか?」
「ええ。今日は早めに切り上げることにしました。お疲れ様です。」

早めと言ってももう夜9時だ。彼にとってはこれが早いらしい。私は彼と横断歩道を歩くけど、彼の斜め後ろを歩いていた。それを彼はやめさせる。

「この時間は仕事の間柄ではないんです。隣に来てください。」

この時だけ、気が楽になるというか。彼は今オフの彼なんだと思うと、少しだけ関わりやすくなる。帰り道は夕食の話をしていた。残り物でも食べようかなと話せば、一杯誘われる。

「たまには良いでしょう?一杯くらい付き合ってください。」
「え?飲むんですか?」
「ええ。少しなら。尾田さんから貴女はお酒をよく飲むと聞いていましたから、楽しみです。」
「立華さんと飲むのって初めてですね。」
「こうして夜歩くのも…ですね。」
「そうですね。どこに店行きますか?」
「店ではなく私のお部屋で飲みませんか?実は取引先から礼として頂いたお酒があるのですが、この体を気遣えばあまりお酒は飲めません。捨てるのも勿体無いですし、飲むのを手伝ってもらいたいんです。」

立華さんと宅飲みなんて少し緊張するけど、誘いを断る気もなくてそのままお部屋にお邪魔した。
同じ間取りなのに色合いがシックで一つ一つに金がかかっており高級感があふれていた。プライベートにもギャップがない生き方はさすがと思う。皮張りのソファーに腰を下ろしてシャンパンを飲みながら、おつまみを食べ、他愛のない話をする。

「この度、立華不動産の恐ろしさがよーくわかりました。」
「これも仕事ですからご了承下さい。それに、このマンションの方が住み心地が良くないですか?」
「ほんとそうですね。自分がこんなに広い部屋に住む事になるなんて思わなかったです。でも、やっぱり部屋って個性出ますね!この部屋の高級感ってすごいなって思いました。」
「貴女の部屋にもいつかお邪魔したいものです。どんな部屋なんでしょうかね。」

フワッとした目は好奇心を持っているらしい。微かに微笑んでいる彼はアルコールもあってか柔和な雰囲気を醸し出していた。

「私としては隣の空き部屋を使っていただいてよろしかったのですが。」
「隣に立華さんがいるって思うとどうも落ち着かないんです。」
「ほぉ、何故です?」
「うーん…上司がそこにいると思うとなんとなく…。」
「私としては男として意識して欲しかったです。」
「はは、立華さんでもそんなこというんですね。」
「ええ、言いますよ。」

少し男らしくなる彼に、まさか?と目を向ける。彼は私を見つめてから、そっと手を伸ばす。彼の手を頬に受け止めた時、嫌だとは思わなかった。少しドキッとして、こういう理由から呼ばれたんだと察したし、尾田さんの言葉を思い出す。
私は戸惑いながら、近づく彼を受け入れた。顔が近づいて、唇に柔らかなものが降ってくる。目を閉じて受け入れると、彼の吐息がかかる。

「私が貴女に近づくために貴女のアパートを買い取ったとしたら、呆れますか?」
「…あなたらしいと笑います。」
「そうでしょうね。」
「本当なの?」
「はい。…こうでもしないと、貴女はそばに来てくれませんから。」

多分、本当なんだと思う。彼は彼らしいやり方で私の住む場所を奪い、自分のすぐそばに移した。そして、こんなふうにソファーに押し倒してキスの嵐を降らせる。

「立華不動産の立ち退きワザってほんと強引ですねぇ…。」

彼の背中に腕を回しながら、私は苦笑いした。

ーー
そして、その日から私たちはどんどん仕事とプライベートの垣根が壊れて、いつでも出入りできる関係が作られていった。

インターホンの向こうから彼の声が聞こえるし、彼は私の部屋にも上がった。アルコールが入ってなくとも、彼から抱きしめられ、一緒の時間がどんどん増えていく。
互いの部屋に相手の私物が置かれるようになった頃に、彼の部屋の合鍵が渡された。

ーー

「で、いつ同棲するの?トントン拍子のおふたりは。」

尾田さんはニヤッとしながら私達を押してくる。うるさいですよ…と撃退するものの、彼の背後に立つ立華さんは楽しそうだった。

「尾田さん。」
「は、はい!?し、社長っ、いらしてたんですね!?何ですか?」
「とある女性の立退を依頼したいんです。…目の前の方をね。お部屋から出してもらいたいんですよ。」
「ははーんなるほど。任せてください。」
「…っ。」

立華さんは私の背後に回ると私にだけ聞こえる声でこういった。

「私の隣に来るまで執拗な立退をやめませんよ。●さん。」


end
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