貸切の5億


「おいおい、真島ちゃん。おかしな客が来たぞ。」
「は?何や?」

出勤して事務室に入ると佐川がいて、不機嫌そうな顔を真島に向けた。真島は何の話か分からずに立ち止まって聞き返すと佐川は机の上のスーツケースに目をやる。

「立華不動産の社長とかいう若ぇ男が置いて行ったんだよ。そこにいくら入ってると思う?」
「は?しらんわ。」
「5億だよ。」
「ご、5億?何でそないな額を置いてったんや?」
「●ちゃん。今夜ここを貸し切って●ちゃんを指名させてほしいって言ってきたんだよ。」

●とはここのホステスで佐川と真島のお気に入りだった。佐川は●と飲むために見回りと称してここに飲みに来ることがよくある。だから、彼は至極不機嫌だった。自分の気に入ってる女を買いに来た男は正直邪魔だろうが、5億ともなれば好きだ嫌いだで拒める相手ではない。数年分の組の資金源が一夜にしてどかっと入り込んだのだから、ここは嫌でも我慢しなくてはならない。

「立華不動産って何者なんや?」
「聞くところによると、ヤクザ顔負けのやり方で地上げをする癖の強い不動産らしい。」
「でも、5億やで?●ちゃんと過ごすのに高すぎんか?」
「それだよ。何でこんな金を注ぎ込むんだろうな。他に狙いがあるのかも知れねぇ。そいつは今夜7時に来る。来たらちゃんと見張っとけよ?」
「ああ。で、佐川はんは?」
「あのな、5億なんて大金をここに置いとくわけにいかねぇだろ?俺はこいつをちゃんとしまいにいくし、ついでに立華不動産について調べてくる。なんかあったらすぐ呼べよ。」

佐川はスーツケースを持つと事務室を後にした。7時まであと1時間。真島は嫌な予感に胃を痛めながら、営業の準備を始めた。

◆ ◆

胃が痛くなったのは真島だけではなかった。
出勤早々、とんでもない額で指名されたことを聞かされた●は頭が真っ白になった。

「え、誰なんですか?その人は?」
「立華不動産って知っとるか?」
「もしかして、立華社長?」
「それや!誰や?何で知ってるんや?」
「ああ、その、私、ここ以外に飲食店で働いてて、そこで知り合ったんです。最近なんですけど。」
「ほんで気に入られたんか?」
「ええーと、かもしれません。とりあえず、知ってる人でよかった。」

真島も少しだけ安心したものの、相手が癖が強くて面倒なのには変わりはない。金を出したからと言って無理難題を要求したり、●をひどく扱わないから不安だった。

「なんかあったらすぐ俺を呼ぶんやで?見張っとくわ。」
「はい!」
「ほな、いくで。」

真島と●は時間になったので下に降りると、ちょうどドアが開いてロビーから1人の男性が現れた。

現れた男は思う以上に若い。オールバックで髪を固め、落ち着きのある雰囲気を醸し出していた。彼を見れば乱暴なことを言いそうにはなかったし、寧ろ場を弁えており教養のありそうな知的な雰囲気を醸し出している。ひとまず、真島が恭しく頭を下げて「お待ちしておりました。立華様。本日は〜」と挨拶をすると、立華も丁寧に挨拶を返した。それから彼の目は●に向かう。

「本日はよろしくお願いします!」
「●さん。この度はわがままを言ってしまいすみません。ですが、どうしてもこちらでも貴女と話したかったんです。」

彼らの話を聞きながら、想像より低姿勢なやっちゃな…と真島はギャップを感じていた。ただ、一夜に5億も注ぎ込むところはおかしいとしか思えない。よっぽど●を高く買っているのか、金銭感覚がズレているのか、裏があるのか…。ヤクザ顔負けの手口で仕事をするカタギという噂もあるわけで、何か仕掛けてくるに違いないと真島は構えていた。

「では、お楽しみください。」

立華に用意した席はステージの前の特等席…とは聞こえがいいが、そこは他の席で遮られていないし何かあればすぐつまみ出せる一階の席という意味を込めて用意していた。
曲でもてなしながら、真島は下がって後ろから立華の挙動を伺うことにした。

◆ ◆

酒を注文した後に立華はドレス姿の●をみる。薄着の彼女はカフェで働いている時の地味な女性とは違い、やや派手でセクシーだ。

「●さんがホステスとは意外でした。」
「立華さんがキャバクラにくるのも意外でした。」
「確かにこのような場所は初めてです。」
「やっぱり!立華さんは女遊びする人じゃないと思ってましたから。」
「この度は貴女とお話ができるということで思い切って来てみました。貴女を他の客に取られないように貸し切りましたが、やりすぎでしょうか?」
「い、いえ?…貸し切る人はたまにいますよ。でも、だいたいは組織で貸し切ります。お一人で貸し切るのは立華さんが初めてですね。みんな驚いてました。」
「金は力ということでしょうか。」
「でも、その、かけすぎでは?私なんかで…あの金額は…。」
「1日の売り上げ金額を推定して、指名代と少し我儘をしてもいいようにと色を付けたらあの金額になりました。」

サラサラと答えた立華はワインを口にしながら目線を別の場所に向けた。
席の数やボーイたちの配置を伺っているような目線。だが、それを悟られる前にまた●の方へ顔を向ける。

「貴女の好きな飲み物や食事を注文してくださいね。」
「立華さんがお客様なんですから、立華さんの好きに過ごしてください。」
「そう言われると迷いますね。私はただ●さんと過ごしたいだけなんです。それに、少しでも気に入られたいんですよ。」
「…立華さん。」

ジャズが流れる広い空間の中で二人きり。そんなシチュエーションは金持ちにしか準備できない。●はこれは仕事だと自分に言い聞かせながらも、ドラマのようなシチュエーションを楽しんでいた。
そして暫く彼と話をし、彼に笑顔を向け、酒を飲み、食事をする。立華は大きく態度を変えることはなかったが、彼女との時間を楽しんでいた。

2時間ほど経つと●は少し酔いが回ってきた。疲れもあったが、5億も貰っているため他の子と交代しますとは言えない。何とか残りの時間も頑張ろうと笑顔を浮かべていたが立華に異変を気づかれた。

「大丈夫ですか?酔っているようですが。」
「す、すみませんっ。ペース早めちゃったみたいで…、でも平気です!全然!」
「少し休んでください。横になっても構いませんよ。」
「いや、いや…。」
「…それとも、ここを早く切り上げてどこかにいきませんか?仕事抜きの貴女とも過ごしたい。」
「アフターということですか?」
「アフターではなく、素の貴女になってほしいんです。」

ねだる目を向けた立華を見つめ返すと、雰囲気が一層甘くなる。無言の見つめ合いの後で彼の手が彼女に伸びた。彼女もそれを拒まず、近づく彼の距離を受け入れていたら、

「お客様、おさわりは禁止でございます。」
「これは失礼しました。」

抜け目ない真島支配人が何処からともなく現れた。
●はハッとして、拒まなかった自分に恥ずかしさを感じた。ここは職場。仕事なんだから。ルールがある。
酔いすぎたことも反省し、一人の女としてガードが緩んだことも反省した。

「おかわりはいりますか?」
「彼女にお茶をお願いします。」
「かしこまりました。」

●は真島に鋭い目線を向けられた。ああ、怒られた…としゅんとすると、立華は口を開いた。

「彼はとても鋭く抜け目のない方ですね。2時間経っても変わらずにこちらを監視していますし。」
「真島さんはしっかりしていますから。私たちホステスをちゃんと守ってくれます。」
「素晴らしいですね。カタギとは思えない空気がありますが。」
「…ああ、そうですか?はは。」
「先程の話ですが、どうですか?早く切り上げて外に行きませんか?」
「でも、勝手なことできないです。まだあと6時間働かないとだし。」
「でしたら、6時間分のお金を支払います。支配人が満足するお金を。」
「金やったらもうええで。」
「真島さん?」

お茶を直々に持ってきた真島が口を挟む。先程の恭しさはどこへやら。酔った従業員を外に誘う狼を追い払う気でいるらしい。鋭い目つきで、強かに宝を盗みにきた強盗を睨んだ。
しかし、立華も負けてはいない。毅然とした雰囲気で口を開く。

「貸切代と指名代、彼女の残りの6時間分の金額を全て私が支払う…ということです。貴方がたが重んじている筋は通してるつもりですが。」
「金払ってもらって悪いけどな、あんまり勝手なことされても迷惑や。●を酔わせて金で釣って外に連れ出せると思っとったら大間違いや。」
「確かに、品のない提案でしたね。」
「仕事抜きで誘って●が受け入れるんならわしも口出せんけど、営業時間が終わるまでは好き勝手なことさせへんで。」
「わかりました。私が思うよりもしっかりと女性のことを考えているんですね。女性を利用した商売のようですが。」
「アホ。女使って金巻き上げとる連中と一緒にすんなや。ここはホンマに女の子と話して楽しむだけの場所や。おかしなこと企む男は出禁や。」
「覚えておきます。…ですが、気分の悪い彼女に膝枕をすることくらいはいいでしょう?」
「自分で飲ませておいてよう言うわ。」
「その償いです。」

さっきよりもぼんやりしている●を見て真島も心配する。●の様子を見て膝枕は許可することにした。

「立華さん、ごめんなさい。」
「いいんですよ。」

膝に頭を沈める●を見下ろした立華は柔らかく微笑んだ。

「真島さんはいい人なの。」
「ええ。あの人が支配人なら安心ですね。私も貴女が他の男に触られたり利用されるのは嫌ですから。」

●は立華に笑いかけてから、その姿勢でゆっくりと彼と会話を続けた。

真島は先程のように後ろから彼らを監視していた。立華は言葉は丁寧だが、小さな隙間から滑り込んでくる蛇のようなめんどくささがある。

(なんやアイツ。妙にヤクザ慣れしとるわ。)

厄介だ、客としても同じ男としても。立華を撃退するには恐喝や脅しではなく、もっと別のものが必要になりそうだ。

(はぁ、佐川と立華、妙な男が張り合いそうや。参るわぁ。)

執着が強い佐川にこのことを報告したらなんというか。●が指名されていなければ、おういいじゃねぇか。いい金蔓だ。と気楽に笑いそうだが、好きな女を金で買われるとなるとそうとも言えないだろう。
そんな二人の間で胃を痛める未来が視えた真島は気が重くなった。


end
ALICE+