同情から始まる恋


自暴自棄になりたくて、嫌なことを忘れるために、バーに入り浸っていたら、飲み過ぎやで、と声をかけられた。いつのまにか黒スーツのお兄さんがこちらを見てウイスキーを口にしている。いつからいたかなんて、もう自分の周りや他人に関心が持てないほど、私は閉じこもりながら酒に浸っていたらしい。

「そうだね、やめないと。」
「でも、止まらんのやろ?」

こんな落ちた人間達、何度も見ていると言わんばかりの軽快な指摘。自嘲気味に笑いながら頷くと、彼は私の隣の席に詰めてきた。

「こんな時間まで一人酒なんて、変わっとるな。何かあったんか?」
「…大事な友人が死んでしまって。病気だったんだけども。」
「そら…ご愁傷様や。」

踏み込んだ割に不幸を話すと彼は大人しく口を閉じる。人の死なんて、慣れるわけがない。幼馴染が亡くなった重さ、苦しみ、悲しみ、後悔が日常に差し込んで涙も枯れても尚苦しい。

「…まだ若いのに。結婚も控えてた子だったから、尚更…何だかショックで。」
「そうか。そりゃ、酒にも溺れたくなるわな。…やけど、やっぱり飲み過ぎやで。もう水にせんか?」
「…うん、このままだと私も先に続きそう。」
「ほれ、水飲みぃや。その子もあんたにはまだ来て欲しいとは思っとらんで。」
「ありがとう…。」

氷が浮いたグラスを傾けると、頭がキンと冷える。何してんだか、と明日の朝の苦しみを考えながら心の中で、馬鹿みたい、と自分の愚かさを笑う。

「もう、4日やろ。あんたがこの店に来てこんなに飲んだくれとるのは。ほんまに、体に良くないで。」
「4日も何で知ってるの?」
「俺も居たからや。せやから今夜こそこの大酒飲みを止めなあかんと思ってきたんや。」
「何それ。知らなかった。」
「まぁ、お節介やからの。理由聞かなきゃ、ただのアル中かと思っとったで?いい医者紹介せなあかんってな。」
「プッフフ…ッ。それヤバいやつだ。」
「やっと笑ったな。」
「…そんなふうに思われてたなんて流石に笑うよ。…酒ね、やめたいんだけど、まだ、その子が死んで一週間だから…全然、そんなことできなくて…。」
「せや。そんならわしと話さんか?話疲れて寝るまで。」

ぽかんとした。この男は、口説きに来てるようで別に来てない。本当に私という人間がやばいやつに見えて救おうとしてるんだなと分かると、何だか笑えてくる。
そうだね、とどうでもいい話をして、話が進むにつれて自分たちの話をした。
それは、とてもいい気分転換になった。

「…そろそろ帰るか?」
「うん。ありがとう、真島さん。」
「おう。もう変な飲み方せんようにな?」

彼は不思議な人だった。知らない人で溢れているこの町は多くの人間がいるのに孤独が濃い。そんな中で彼は私を気に掛けて、一緒に過ごしてくれたんだから。

私はしばらくの間は彼との約束を守って呑みつぶれることはなかったけど、それがずっと続くわけでもなく、ある時ふと悲しみが襲ってきて、涙が出て、はぁぁと深く息を吐いて、ダメだと思って酒を飲みに行った。彼に怒られないように店を変えて…、そこで3日ほど通ってもとの飲んだくれに戻ったら、なんとまた彼が来た。

「またやっとったんか!?」

今日の彼はサングラスをかけて、背後に女の人を連れている。ホステスのように少し派手な子でツレという感じ。彼は迷ってから、彼女に金をやって今日はここまででええで!と言ってその子を返した。
そして、まるで説教するみたいに私の席に来ると、何杯目や?とオカンのように聞いてきた。

「酒飲んでも解決にならへんで。ほんまに体壊す。まだ若いんやから、その辺にしとき。」
「4日は我慢したんだよ?真島さんから言われて…でも、ぶり返した。思い出してしまうの。」
「はー、しゃーない。まぁ、とりあえずこの店出んか?」

ふらふらと店を出るとうるさい街に出た。ふらふらと彼の横を歩くと、やれやれという空気を感じる。

「自暴自棄になるんもわかる。大事のモン失って苦しくないはずない。…どうしても、苦しさから離れたいんなら俺が相手したる。」
「酒の?」
「あほか。俺が酒の相手したら何も変わらんやろ。そうやない。…カラオケでもビリヤードでも何でもええわ。付きおうたるやないか。」

彼の優しさは嬉しいけれど、悲しいと遊ぶ気待ちになれない。私は何とも言えずに黙っていると、彼は考え込む。

「まぁ、嫌なこと忘れるには他にも方法はあるけどな。」

彼が立ち止まった先は、ホテルだった。
真っ当なことを言うこの人がなぜここを選んだのか…とにかく意外で驚いた目で彼を見る。

「溺れるんならこっちでもええやろ。ここで何も考えられんようにすることは出来るで。●ちゃんがええのなら。」

酔って出来上がった私はぼんやりとそびえ立つホテルを見上げた。2回しか顔を合わせてない人と…なんて、普通はしない。だけど、隣にいて私の反応を伺う真島さんは端から端まで私を救うために提案してるだけ。下心もなければ、卑しさもなく、悪意なく付き合ってくれる気らしい。

「いいの?真島さん。」
「俺はええで。」
「恋人は?」
「おらん。おったらするかいな。」

ーーー

彼の体に委ねて、抱き合ってキスを交わした。私を見る目はどこか厳しくて、でも時に甘くて、そうかと思えば狂った熱で私を追い込む。

「真島さんって不思議、…1人の体にいろんな男が住み着いてるみたい。」
「どういう意味やねん。」
「いろんな顔、してそう。」
「かも知れんな。」

脱いだ彼の刺青を見て驚いた。
彼はヤクザだった。…こんなに優しい男が?え?と口を開けていると、もう遅いで、とベットに押し倒される。

「驚いたか?ホンマもんのヤクザを見るの、俺が初めてやろ。」

服を着てないのに綺麗な着物を着てるみたいに、背中は華やか。私は彼の逞しい体に腕を回して、彼の手つきに目を閉じる。だんだん激しくなれば友の死を考えている隙間などなくなり、本能に落ちて叫んだ。
2人とも獣みたいに舌を絡ませあって、目をぎらつかせて、どちらが上になるか遊ぶように競って、最後はめちゃくちゃになるような旋律が続いて知らないうちに気を失っていた。

ーーー

起きたら真島さんはいなかった。タバコを吸ったみたいで匂いが残ってる。私にはもう用は無いということで消えたのか。いないことはずいぶん寂しかったけど、いたらなんて顔をすればいいのかわからない。私はシラフで彼と会ったことないし気まずいかも。
まるで夢見てたみたいに跡形もなく、熱は消え、私は何とも孤独な朝を迎えた。

でも、その日から心新たになった。
夜になれば酒が恋しくなったけど、私の中で本能や生を取り戻したというか、死が離れていった気がした。真島さんに感謝したいけど、彼がどこの誰か知らないし、ヤクザなんだから探して見つかるわけもない気がする。
ありがとう、と空に呟いて平凡な毎日に戻っていった。

そんなある日。
まっすぐ帰宅していた時、今日が彼女の49日であることを思い出した。ふと、過ぎる悲しみはあるけれど、暗く塞ぎ込む気にはなれない。足を止めて、空を見上げる。じっと見つめて彼女の最期を思い出していた。
闘病をしていた彼女の顔を思い出して、力尽きたその顔を思い出して複雑な思いになる。胸の重さのまま河川の方に向きを変えて歩き、柵に手を乗せながら川を見つめていた。田舎だったから、夏には彼女と川で遊んだことを思い出して哀愁に浸っていたらコツコツと靴音が聞こえた。
背後に人を感じると、どないしたんや?と声がかかる。

「え、真島さん?」
「久しぶりに会ったのぉ。いきなり立ち止まって川見とるから何やと思ったで。河童でも見たんか?」

ずっと会ってなかったのに、こんなタイミングで会うなんて。驚きながらも再会は素直に嬉しかった。
私がワケを話すと、そうか、と頷いて一緒に川を見た。

「今夜もまた寝られんか?」
「…多分。でも、前より心は辛くない。真島さんのおかげで。」
「効いたようやな。俺の荒治療。もうバーに顔出しとらんのやろ?」
「うん。私、ヤクザってもっと怖いかと思ってた。」
「いや、俺が甘々なだけやで。ほんまに首突っ込んだらあかんで。」

厳しい目で威嚇してる彼を見て、ああこんな目をするのか、と少し怖くなった。素直に頷いてそっと歩き出す。

「どこ行くんや?」
「アパートに。…せっかく断酒出来ていたからここは踏ん張らないと。」
「ええで、その調子や。送ったるわ。」

真島さんって、ほんと世話焼きというか。純粋な優しさな溢れた人。横に並んで歩く彼と他愛のない話をして、この不思議な守護神みたいな人を観察した。

「そないに見つめられてもな。」
「真島さんは何で私が落ちてる時に目の前に現れるの?」
「俺は弱っとる人間がおるとどうも気になる男なんや。ま、あとはタイミングなんやろな。俺も暇やないから別にお前のこと近くから見とるワケやないしな。」
「…そう。私はてっきりストーカーでもされてるのかと思ってた。」
「なっ…、何やて!?」

と言うもの、そっと目を逸らした真島さん。少し考えてから、低い声で言う。

「まぁ、気になって姿探しとるんは当たっとるけどな。」
「飲みすぎて死んでないかとか?」
「自暴自棄になって他の男に流されとらんか
。」
「っ…まぁ、でも、本当に弱ってたらそうなってたかも。…ありがとう。真島さんいなかったら、やばかったかも。」
「俺がおらんとダメな女やな。」

ピンっとデコピンをされて眉を寄せる。真島さんはにっと笑ったいい顔をしていた。

「…ああ、ここがアパートだから、その、送ってくれてありがとう。」

立ち止まって礼を言うと真島さんは真っ直ぐ私を見つめていた。

「どうしたの?」
「お前に話しかける口実がなくなってきたやろ。…次はどないして話しかけようか迷っとるんや。」
「!?」
「…あかんか?どーも情が移ってもうて、お前とこれで終いなのは寂しいんや。」

首を掻きながらどこかバツの悪そうな彼。
バーではなくアパートに帰れて、私がまともな人間に戻って、心配いらないやつに戻ったら、手放せなくなった真島さんの複雑な男心に触れて私はどきりとした。

「お互い時間ある時に会えばいい。」
「そうするわ。酒は飲みすぎんように管理したるで。」
「ははっ、それはありがたい。」
「連絡先くれんか?」
「え?」
「なんや、また町中歩いてお前を探せっちゅうんか?」

一歩踏み込んだ彼。片眼で少し威圧感がある声を出されると優しさが消えて少し怖くなる。でもそれがまた新鮮で、メモを取り出して電話番号を教えた。

「これでやっと会いたい時に会えるな。」
「…真島さん…、うん。電話待ってる。」
「明日かける。今日は今から仕事やし、明日の夜空けとき。」
「うん。仕事頑張ってね。」
「おう、まかせとき……。」

いきなり縮む距離と変わる空気。私の目の前からなかなか立ち退かない彼を見上げると、その目はあのホテルの時に見せた目をしていた。熱っぽくて逃がさない男の目。

「…真島さん?…ン。」

両肩を軽く手で固定されるとそのまま唇が降りてきた。優しくて、チュ、と音がするキスは拍子抜けするけど、でも彼の気持ちが伝わる。
キスの後ゆっくり離れる真島さんはとてもクールで悔しいけど女に慣れてる男の顔をしていた。

「また、明日な。●。今度は同情から話しかけることはせぇへんで。覚悟しとき。」



end


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