失恋タイムラグ


「金では癒せない、ということですね。」

札がただの紙になりゴミになる時、立華は久しぶりに無力感を感じた。気落ちした彼女を癒そうと食事を奢ったり、有給をつけたものの、あまり効果がなく、寂しそうな横顔は一月前と変わりがない。

愛という、立華の苦手な部分が今彼女に足りないものだった。失恋した人間をどう立ち直らせれば良いのか分からないし、そもそも失恋の痛みさえ知らない彼にとって専門外だった。

「立華さんは失恋したことある?」
「私は…ないですね。」
「やっぱり。」
「これに関しては、お力になれそうにありません。」

相談相手にもなりはしない。恋愛のれの字も知らないことに困ることはなかったが、彼女の寂しそうな横顔を見つめると経験のないことがネックに思えた。

立華は彼女の惚れていた男のことを興味本位で調べたが、正直どこに惚れたのかわからなかった。経済力はそこそこで、顔は悪くもなければ良くもない。これと言って光る才能もない平凡な男だった。
金がなくても愛される男はやはりいるのかと思うと、恋愛というものがますます遠くにある気がする。

「恋愛なんて私には縁のないものですね。」
「…私だって縁がないと思ってたもの。」
「なぜ彼に惚れたんですか?」
「それは、私の話を聞いてくれるし、一緒にいてほっとするし、波が合うし……はぁぁ。」
「すみません。思い出させてしまいましたね。」
「いいよ。いつかは忘れるから。…でも、きっとこれが最後の恋だろうから、もう少し感じてたい。」
「どうして最後の恋だと思うんですか?」
「今から思えば、真剣だったから。」
「…なるほど。」

分からなかった。彼女は彼のどこにそこまで心を寄せたのか。他人の恋は聞いても分からないものだ。理解しかねると判断してそれ以上聞かないことにした。そんな話を尾田にすると、彼は頭を掻きながら呟く。

「そんな時に励ましてくれる男がいると、案外コロッと立ち直ったりして。」
「そうなものですか?」
「俺も女心はわからないんですが、失恋してる時に慰めてくれる相手に好意は持ちやすいのかなと。」

それはそうかと思う立華は 何故か慰めようと思った。何故かはまだわからない。別に気に入られたいわけでもないのに。空いている時間に食事に誘い、休憩時間に話し、気にかけていた。

2ヶ月経った頃、●はやっと気を持ち直していった。いつもの●として、緊張しているわけもなく、不安な様子もなく、仕事をして帰って行く。
誰が見ても彼女が立ち直った頃、立華は彼女から食事に誘われた。

「飲みませんか?久々に。」
「おや、貴女から誘われるなんて。ええいいですよ。ですが、遅くなりそうです。」
「待ってます。」

尾田のセリフがよぎる。失恋している時に慰めた相手に好意を持ちやすかったり…と。それが当てはまるのなら、この誘いは何かと思い、ほんの少しだけ期待していた。
夜、9時にやっと仕事が終わり、彼女と食事に向かう。バーで待っていた彼女の隣に座り、乾杯をしたが、雰囲気はいつもと変わらない。これから告白をされるわけでもなく、他愛のない話をして、酔いが回る頃に彼女から伝えられたのは感謝だった。

「あの時励ましてくれてありがとう。」
「いいえ。弱っている貴女をみていられなかったんです。
「もう大丈夫。…あの時は本気でこれで最後なんて思ってたけど、のめり込みすぎてて大袈裟だった。自分を追い詰めないで過ごそうって思ったの。」
「案外次の相手はそばにいるかもしれませんよ?」
「はは。そうだね。」

もどかしい。なかなか決められない感覚があって、立華はもう一押しと考えるが、無理やり自分を売り込むもおかしいと思い、口を閉ざした。
そして、妙に必死な自分に気づく。

「●さんはいつ自分が恋をしていると思いましたか?」
「それがね。フラれた時だったの。」
「フラれた時?」
「そう。その人、好きな人ができたって言ってて、もちろん私じゃなかったんだけども、その時にやっと気づいた。」
「意外でした。てっきりずっと好きかと。」
「いや、好きだったのに自覚がなかったんだと思うの。こういう大事なこと、失恋してわかるときがあるんだね。その時にはもう…意味ないけどね。」

痛い思い出を味わうようにカクテルを飲んだ●は笑っていた。立華はその言葉を聞いているうちに、胸の奥が痛み出す。そっと自分の胸に手を添えながら、つぶやくように言った。

「その経験ならあるかもしれません。」

無理だろうとか、脈がないとか、そんなことを推し測ろうとしている時点で気づけばよかったのに。自覚出来ないほど、この手のことに自分は鈍感だった。

「●さん、もう一杯奢るので付き合ってください。」
「ん?」
「私もどうやら失恋したようです。」


end


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