まっすぐ見つめて




「あ、」

ある日の放課後。そこには居るはずのない彼がいた。いつもならもう部活に行ってる時間帯だし、それにさっきまでいなかったのに、なんで教室に戻ってきてるんだろう。忘れ物かな。それにしては大人しく机に着いているし……。

「あー…黒子くん、なんか忘れ物でもしたの?」

「櫻井さん。」

(お、あたしの名前知ってんだ。)

彼は意外にもあたしの名前を知っていたらしい。彼とは3年に上がってから初めて同じクラスになり、言葉を交わすのは夏休み間近である今日が初めてであった。だから彼の口からあたしの名前が出るとは予想外だった。

「今日の日直は僕だったんですが忘れてしまって。一応日誌だけでも提出してから部活に戻るつもりですなんです。」

平坦な音程で彼は日誌を書きながら述べた。ああ本当だ。黒板の日直担当の欄に「黒子」の文字が薄らと書かれている。ていうか、少し考えれば探し物しているような雰囲気じゃないことぐらい解っただろうに。しっかりしなさいよ、あたし。

「じゃあ急いでるのか!なんか話かけてごめんね。あたし暇だから日誌以外の仕事やっとくよ!」

早口にそう伝えて黒板に書かれている文字を消しにかかる。
あたしはせっかちな性格で、特に緊張すると早口になってドジを踏む。そんな醜態を晒すぐらいなら、あんまり関わらない方が安全だって思っていた。だが、現実はそう上手く行かないらしい。
あーもう少し図書館で時間潰してればよかったな…。そしたら黒子君と話すこともなかっただろうに…。しかし、ここは逆に喜ぶべきところかもしれない。こんなタイミングじゃなきゃ、あたし黒子君と話す(?)なんて絶対ありえなかったから。そう捉えると、なんだかすごく嬉しい。

「……あ、いえ……。ありがとうございます。」

日直の仕事は黒子君がやってる日誌と、今あたしがやってる黒板の掃除と、黒板消しをきれいにするのと、戸締りと…他はなんだ?もう少し仕事があったと思うんだけどな。日直は一日ごとに出席番号順で回るから、いっつもご無沙汰な気分だ。今回は特例だとしても、最後に日直の仕事をやった日なんて覚えてないからなあ。あたしの記憶力は簡単な仕事も覚えられないのか……。
そうやって仕事のことを考えて、あまり黒子君を意識しないように務めていた。いつもは考えないような小さなことまでわざとらしくする自分が、ちょっと気持ち悪かった。

「櫻井さんは何をしてたんですか?」

黒子君のお礼から作業の音しかしてなかった教室内に、また黒子君の声が登場した。あたしは黒板の上の方を椅子に上ってキレイにしている最中。ああ、その質問は友達にもただのクラスメイトにもされたことがあるなあ。登校はいつも一番で、下校はいつも最後。ま、部活動している人がいるから厳密には違うのだけれど。

「あー、ちょっとぼけーっとしてたかなー」

あははーと、誤魔化している感が否めない言い方をする。別にわざとじゃない。そういう感じになっていしまうのだ。
大抵の子たちはこの返答を聞くと、納得がいかない表情をする。きっと言い方もあるのだけれど、同時にみんなにとってはその理由が下らないから。だからああいう反応をするのだろう。
今日の6時間目にあった数学の公式を消し終わった。さあ、黒板消しクリーナーでチョークを取り除いてから、もう一回黒板を消さないと。そしたら明日の日付と日直の名前を書いて……。

「いつもそうしてるんですか?」

「え?」

「毎日朝早く来て、帰りも遅いですよね。」

あれ…なんで黒子君が知ってるんだろう。さっきみたいな質問をしてくるのは親しい友達か、もしくはたまたま教室でぼけーっとしてるあたしを見かけたクラスメイトだけだ。あたしの記憶では黒子君はそのどちらにも該当しない。
なのに、なんで毎日朝一で、そして毎日最終下校時刻まで教室にいることを知ってるんだろ。
黒板消しクリーナーから黒子君に視線を向けた。彼はもう日誌を書き終わっていたのか、こちらをまっすぐ見ている。
黒子君の感情が読めない表情を真正面から見たのは、もちろん今日が初めてだった。だからなのか。いや、それとも、この話題は流れ的に他愛もない世間話みたいなノリで切り出されたものだ。だから黒子君は日誌を書き続けててこちらを見ていないと予想していたのに、外れたから、だから、

「よ、よく知ってるね……。そんな噂立つほどあたし有名人なのかな!」

取り繕った。自己完結するような、返答を求めないような発言だったから少し失礼な気がしたけど、そんなこと考える余裕などない。黒子君の予想外な発言と、表情…というか目?に調子が狂わされてるのだから。調子が狂うのは日常茶飯事なんだけど。
スイッチを入れて喧しいクリーナーを起動。クリーナーは大抵役立たずで、あまりチョークの汚れが取れない。それはクリーナーが古いからだろうが、一番は相性の問題なのではないかと思ってる。たまにどこかの教室には相性のいいクリーナーがあって、短時間で汚れが取れるのだ。この学校にはその当たりが少ない。さあ。いつもは絶対に嫌だけど、今日はどんなに相性が悪くったって黒板消しがきれいになるまで付き合うからな!とことん時間をかけて喧しく唸るがいい!!

ブオオオオオオオオオオオオ

心の中で「ポチっとな」っとつぶやいてスイッチを入れる。この騒音なら黒子君も話かけてこないだろう。どうせこのクリーナーもチョークを落とすのに時間がかかる。黒子君はこのまま話をせず、最悪あたしが黒板消しをきれいにしている間に部活に行くだろう。本人も部活に戻るって言ってたし。
時たまチョークが落ちてるかを確認しながらクリーナーに当て続ける。クリーナーの音で耳鳴りが始まってきた。こいつを長時間近くで聞いてると耳がとち狂ってくるのか。新発見。

バチッ

「え、」

「すみません。ちょっとうるさいので止めました。」

「あ、ごめ……」

後ろから黒子君が手を伸ばし、クリーナーのスイッチを落とした。やっぱうるさかったか……って!これまた予想外の行動!まさかこっちに来るとは思わなんだ……!!でもうるさいって言われても、実際クリーナーできれいにしなきゃなんだし……それ言われても困るなあ。クリーナーの音を嫌がる人の前でまたスイッチを入れるわけにはいかないから、隣の教室のクリーナーを使うか。

「櫻井さん」

「ごめんてばー。あたし隣の教室のクリーナー使ってくるね!そしたらうるさくないっしょ!」

「いえ、もう戻るので大丈夫です。」

「あ、」

単にうるさいから止めたんじゃなくて、あたしと話すために止めたってことかな…?遠目で見ると黒子君は小さい。だけど実際問題あたしよりかは大きくて、それで妙に男なんだって意識してしまう。こんなに近づいたの、初めてだ。差が数センチでも、目線は同じじゃないんだ。あたしは黒子君を見上げた。

「櫻井さんは、僕が嫌いなんですか。」

「ええ?!!」

いつもは表情が読めないのに、今はわかり易くしゅん…としたものになってる。なんだこいつ、なんだかんだで美形だな!不覚にも可愛いって思っちまったよ!いやそれ以前にどっからその話が出てくるんだ?勘違いされるような行動とったかな……。

「僕が当番の日は絶対に図書室に来ませんよね。今日だって僕を見つけた瞬間、嫌そうな表情してました。」

「い、いや、それは………。」

今日の話は置いておくにしても、なんで図書室に通ってるのを知ってる…?しかも黒子君の言う通り、黒子君が当番の日は図書室を避けている。もしも黒子君と親しい仲だったらそういったことに気付くだろう。そこまでは考えられ得る。でも別にこれと言って関係もないのに、なんで……。

「あのさ、よく解らないけど別に嫌ってるとかそんなんじゃないから!変に誤解させてごめんねー。」

「濁さないでください。」

えええええ!ちょっと待って!あたしなんか悪いことでもした?!!確かに濁したけどさ、そんなズバッと返答を断絶しないでよ!黒子君の性格が以外にも突っ込んでくるものだったから、あたしはもはやパニック。
状況が理解できないまま、でも黒子君は若干怒っているようにも見えるので、被虐心を抱えながら黒子君の目を見続ける。

「僕の質問にちゃんと答えてください。」

まっすぐみつめて

(だから!気になってたから避けてたなんて言えないんだってば!!)
(やっと見つけたこのタイミングを、逃すわけにはいきません。)