月明の届かぬ末路



ある夜、女中としての仕事を終えて自室に戻る途中で、幸村様と出くわした。『あの日』以来、彼を避ける様にして数日過ごして来たため、今日も何食わぬ顔でやり過ごそうとしたが、どうやらそう上手く行かないようだ。

月明かりに照らされた庭を背に、私を縁側の壁に追い詰めた幸村様は逃すまいと私の肩を掴んで離さない。きっと彼は私に腹を立てているに違いない。そう予想はしていたが、幸村様の苦しい表情が私の罪悪感を大きくさせる。
この数年間過ごしてた生活で、唯一幸村様だけが私に罪悪感をもたらす存在だった。出来ればもう二度と言葉を交わさずこの館を去りたかったのに…あと少しで終わるはずだったのに。
この罪悪感に耐えられず、一刻も早くここから、彼から離れたかった。しかしそれは叶いそうもなく、幸村様の表情が一層鋭くなるだけだった。

「幸村様…お離し下さい…」

「ゆき殿…何故某を避ける?」

「…この所人手が足りず、仕事が増えっ…!」

ギシリと肩が音を立てて歪みそうな程力が入る。私は痛みに耐えられず、言葉を止めてしまった。無闇に人を傷付けない幸村様のことだ。無意識に力を込めてしまったのだろう。それ程の余裕がないとは、幸村様の御心はこの痛みよりもずっと深く傷ついておられるのだろうか。

「某を受け入れては、くれぬのか…?」

「…私は一介の女中です…その様なこと…」

彼の表情を見ていられなかった。目線を外してそれらしい言葉を連ねるが、あまり得策とは言えない。もともと私は口が回る方ではないので、この状況にお追いやられたことが瀕死の危機も同然なのだ。その癖一丁前に罪悪感も感じてしまうのだから、最早忍失格である。

「女中…それが某を拒む理由か?」

一瞬幸村様からの圧力が無くなった。掴まれていた肩も離されて身軽になるが、彼が私の話に納得して下さったとは思えない。そしてそれは正解だった。幸村様は見たこともない獣のような鋭い眼差しをしたかと思うと、本能的に逃げようとした私を捕まえてすぐ側の空き部屋に放り込んだ。
情けないことに上手く受け身を取れずに倒れてしまい、急いで上半身を起こして体勢を直そうとする。襖が閉められて月明かりさえも届かなくなり、部屋が暗くなる。幸村様自身が私の逃げ道を塞いでいるかの様で、目の前にいる人物が果たして本当に幸村様なのか分からなくなる。そうしている内にも一歩一歩と近付いてくる気配に殺気こそ無いものの、恐怖とも違う得体の知れない感情のせいで身体を動かせなかった。
幸村様は畳に着いたあたしの腕を引き寄せ、力強い抱擁を施す。

「な、やめて下さい…!」

「ゆき殿、真を打ち明けて下され。ゆき殿が如何なる者であろうと、某の心は変わりませぬ」

「…!」


幸村様は私が忍だと気付いていた…?いつから?気付いていながら、『あの日』に……。

見た印象よりも硬くて大きな手、厚く重量感のある胸板、着衣越しに伝わる幸村様の体温、そして『あの日』感じた幸村様の匂い。
頭では振り解かなくてはいけないと分かっていても、身体は麻痺したように動かないのだ。恐怖や不安などの後ろ向きな感情ではなく、言葉に昇華できない感情に戸惑いが溢れる。
いや、これは、もっと本能的な叫びに近い。
根底の欲望が満たされる様な、それを覆う私の中の『忍』が泣き苦しんでいる様な。

幸村様はされるがまま抱擁を受ける私の胸倉を掴み、勢いよく胸元を広げて私の肌を晒す。この時ようやく何をされるのか理解した。

「其方を逃がしはしない。」

幸村様の獣の様な眼差しに、どうすることも出来ない。