Mechanical

Aliis si licet, tibi non licet.


Aliis si licet, tibi non licet.
たとえ他人に許されても、あなた自身には許されない
___



 研究室・図書館を何度も往復したけれど、今日もあまり良い成果は得られなかった。私は要領が良くないので、あの資料が欲しいと思い図書館へ行けば資料検索画面には研究室預かりと表示されており無駄足を食い、研究室に戻ったら戻ったでまた別の資料が必要だと気が付く。他のゼミ生たちが着々と研究を進めていく中自分だけ右往左往しているだけで一日が終わってしまった。1番とは無縁にふらふら過ごしてきたとはいえ、いい加減焦りを覚える時期に差し掛かっている。

 すっかり真っ黒の空の下、灯りのまぶしい駅前に吸い寄せられるように歩いていく。人間も虫と大差がない、と思う。目に痛い駅の照明に蛾の群がるようにして人がうじゃうじゃしているのを見ると、果たしてこの「蛾」の集団の中にどれほど「ヤモリ」が紛れ込んでいるのだろうかとも思った。



 当分人込みを彷徨った後、流れに沿って駅前から脱した。不夜の街並みを足早に歩く。後ろを振り返らなくても、“彼”がついてきているのはわかった。人通りはあるが私のことなど誰も見ちゃいないだろう。東京とはそういう場所であるし、私はその程度の人間だから。そしてするりと薄暗い路地に入っていく。足音はしないが、彼の気配もぴったりとついてきた。

「来てくれたんだね。」

 ほとんど頭上から降ってきた声。やっと振り向くと、思ったよりもすぐ近くにヤモリは立っていた。特別小柄というわけではない私の目の前に彼の胸(それも大分腹に近い)がある。服はいつもの真っ白なスーツ。体格もかなり良いので、私が二人いたとして片袖ずつジャケットを通してもまだ余るほどのサイズ。そんな明らかに人間離れした大男が、私の手を取って跪く。次に顔を上げると、ヤモリの瞳は赤と黒で成る喰種のものとなっていた。そして、人間に対峙する喰種とは思えないほど悲壮な顔で言う。

「ねえ、僕を許すって言って。」

 私がいつものように応える。

「うん、許すよ。大丈夫、許してあげるからね。」

 ヤモリは少しほっとした顔をした。そこからは堰を切るように自分がどれほどの悪行を為したか、どれほど劣っているのかを話し始める。これも、いつもの通りだった。

 ヤモリは危険度上級の喰種である。ヤモリに知り会うまではあまり喰種のことなど気に留めていなかったが、少し関心を持ってみれば「喰種は人1人食べることによって1カ月ほど凌ぐことができる」とのこと。しかし彼の懺悔を聞くと、殺した人間の数は1カ月あたり1人どころの騒ぎではないということが容易にわかった。しかも捕食目当てでないことも珍しくはなかった。その上人間だけでは飽き足らず、同族までも食い散らすのだった。私の前ではひどく大人しく湿っぽいヤモリが、そんなことをしているだなんてピンとこない。ただ、私の手を握る岩のような手、赤黒の瞳、赫子・・・そして、時折拭い損なったままの血しぶき。それらは私を一度たりとも傷つけたことはないけれど、彼が残忍な喰種であるという何よりの証拠だった。

 「ああごめんよ、ずっと立たせたままで・・・」

そう言うと、その辺にあったブリキのバケツをザザ、と引き寄せた。さらに私のスカートに気遣って、蓋を軽く払ってくれる。別にブランド物のスカートというわけでもないけれど、一女子大生としては裏路地のバケツに腰を下ろすのはためらわれた。とは言え座らざるを得ない状況であるし、私が腰を下ろすとヤモリは膝へ頭を載せる。大男の頭の重さがかかるので、当然ちょっと腰を浮かせ気味にともいかない。結局大人しく座る。

 ヤモリは一通りここ最近の懺悔を済ませると、膝に頭を置いたまま目を閉じた。これも、いつもの流れだった。一つ一つ順序立てられたそれは儀式を思わせた。さしずめ私は女神様といったポジションになる。ヤモリの白髪をそっと撫でると、目が開く。

 「ねえ・・・君は・・・・・いや、なんでもない。」

 彼はときどきこのように何かを尋ねようとして、途中でやめてしまう。私のことを他と変わらないただの人間だと理解してしまうのが恐ろしいのだと思う。それに対し私はヤモリのことを大抵知っている。彼の子ども時代、収容施設にいた頃のこと、そこで何があったのか、自身の生き方を憂いていること。彼のすべてを把握することを望まれたからだ。やはり、彼の私への執心は信仰だった。私のような人間でも、ヤモリを介せば何にも勝る存在となる。

「君だけだ、君だけは僕を許してくれる。」
「うん。大丈夫、許してあげるよ。大丈夫。」
「そうか、君が・・・君が許してくれるなら、僕は大丈夫。・・・・だけど。」

ヤモリは唐突に頭を持ち上げた。

「君がいなくなったらと思うと恐ろしいんだ。君がいなくなったら。」

まるで母に縋る子のようなヤモリを、私は慈しみを込めて撫でる。

「どうして?私はいなくなったりしないよ。ずっと、あなたを見ていてあげる。」

しかし、ヤモリが不安を覚えるのはもっともなことだった。ヤモリは私の名前も住所も知らず、携帯機器なども持たない。社会と隔絶されて生きている彼が私に会えるのは、私が彼との約束を守るからに過ぎない。もしも金輪際会いたくなければ約束を破ればいいだけなのだ。徹底するなら東京を出る。東京13区に縫い付けられたヤモリには他に生きられる場所なんてない。かわいそう、と少し思うのは神話の中の神様たちと同じ思考だろうか。地上にしか居場所のない人間を、神様は憐れんだかもしれない。思えばヤモリのように殺戮に走る喰種たちも人の目を恐れて暮らす喰種たちも、人間が作り出したものだ。

「よかった・・・今日もね、人込みの中にいて少し、どいつか一人くらい食ってやろうかと思ってしまったんだけど。君の姿が見えて、すっとそんな気がしなくなったんだよ。」
「そう、ちゃんと我慢できたんだね。だけど仕方ないよ、あなたは喰種なんだから。」

 そう、彼は喰種だ。もし彼が人間だったなら、私は彼の特別な存在にはなれなかっただろう。そして、彼が苦しみ続ける限り私と彼の関係はこれからも続いていく。私に何度許しを乞うても彼は休まらない。彼自身が誰よりもヤモリという喰種を許せないでいることを女神様として教えてあげるべきかもしれないけど、私は所詮人間である。彼が自分を認めてしまって私を探さなくなるのは悲しい。


 そろそろ夜も更けようかという頃、いつものようにヤモリは立ち上がった。バケツに鎮座した私の手を取って優しく立たせてくれる。私の手を完全にくるみ込む大きな手のひらは、どのように加減をしているのだろうか。喰種の力は人間の数倍と言われている。ヤモリほどの喰種ならばそれすら凌駕しているに違いない。私の腕なんて造作なく引っこ抜けるんだろう。

「今日もありがとう。また来週来てくれるの?」
「うん。・・・また、探してね。」

 今日も、ちゃんと次の約束ができた。安心するとともに、私こそ懺悔したい気持ちになるのもいつも通り。あなたに黙っていることがいくつかある、と言ってしまったら、きっともう二度と逢えなくなる。”特別な私”だけはそのままに、いつか信仰が愛情にすり替わればいい。

「じゃあね・・・ヤモリ。」
「ああ・・・」

 いつか、名前を呼んでほしい。








BACK