「あっつい……」
「あぁ……」


それなら互いに離れればいい話なのだが、私たちの間にそんな選択肢は存在しない。畳の上で壁に背を預け、二人で足を投げ出しお互いの肩に体重をかけるようにして寄りかかる。手はだらりと力なく横に垂れ、脱力の二文字を完璧に体現していると思う。外の蝉の声が暑さを助長しているのは間違いない。



「アイス買ってきてよハル…」
「こんな中外に出たくない」
「えー…最後の一個食べたのハルじゃん…」
「それ以外全部食べてたのはお前だろ」
「嫌だ外に出たくない」
「俺も同じだ」



作戦は失敗に終わる。それどころか、私が買いに行くべき流れに持っていかれた。彼氏彼女の関係とはいえ幼馴染であった期間が長すぎる故、私たちはお互いに対して容赦がない。そのため大抵面倒なことはこうして擦り付け合っている。無言になるのは二人とも引く気がないという意思表示だ。どうする。今のところ私が劣勢だ。しかし素直に負けるのは悔しい。なんとかしてハルに買いにいってもらう、もしくはせめて一緒に外にでて道連れにしたいところだ。何かいい案はないか思考を巡らせていると、ふとカレンダーが目に入った。とある日付が赤い大きなマルで囲まれ、雑な字(たぶん渚の字)で『岩鳶SC集合!』と書きなぐられていた。そうだ。プールがあるじゃないか。



「ハル」
「なんだ」
「プール行」
「行く」
「食い気味にくるじゃん…」



どろどろに溶けた半固体のアイスのようにだらけていた彼はどこへやら、機敏な動作で立ち上がりさっさと二階の自室に水着をとりに行ってしまった。そんなに泳ぎたかったのか。それならこちらが言わずとも気にせずプールでもなんでも行けばいいものを、私と会う日はハルなりに気を使ってくれているようだ。こういうところは恋人になって変わったと思う。昔は泳ぐこと最優先で私との予定を何度反故にしたことか。その度に拗ねたり泣いたりする私に少しオロオロしながら謝罪をするという流れまでがセットだ。私は謝られるたび許したし、ハルは許されるたびまた同じことを繰り返し私に怒られていた。二人とも子供だったのだ、などと昔のことに思いを馳せている間にすっかり用意を終えたハルが、私を見下ろしていた。差し出された手を取って立ち上がると、当時は同じくらいだった目線が今ではだいぶ上の方になっている。下からジッと、その青い目をみつめた。



「どうした?」
「いやぁ…ハルももう18歳なんだもんね…」
「なんだ、それ」



突然なに訳の分からないことを言っているんだとでも言いたげな表情だ。それもそうだろう、彼は私が何を考えていたかなんて知るよしもない。教えるほどのことでもないからいいかと、玄関へ向かうべく彼の横を通り過ぎようとした時、肩に手を置かれ思いのほか強い力で制止された。



「その恰好でいくつもりか」



言われて、自分の姿を確認する。白のノースリーブにジーンズ生地のショートパンツ。よくある格好だし、たしかに適当すぎるとは思うが別に今に始まったことではない。今度は私が何言ってるんだという表情をハルに向ける番だった。



「なんか変?」
「……変ではない」
「じゃぁいいじゃん」
「だめだ、着替えろ」
「置いてた服、洗濯しに持って帰ったばっかだから今ないよ」
「ならせめてこれ着ろ」
「やだ、暑い」
「いいから着ろ」
「なんで」
「薄着すぎる」
「夏だもん」
「じゃあアイスは無しだな」
「それはずるいじゃん!」
「どうする」



ぐっと目に力が入り眼光が鋭くなる。なんだか本気っぽいので言い返そうと用意していた言葉を飲み込み、渋々ハルが脱いで渡してきた半袖のパーカーを受け取った。袖を通すとハルの匂いに包まれて、まぁこれはこれで悪くないかもと思い始める。私の脳は単純な構造をしているのだ。彼ジャーならぬ彼パーカーに免じて無理やり着せてきたことは許してやろう。そうこうしてやっと家を出て、ジリジリと太陽に髪と肌を焼かれながら到着したスイミングクラブの自動ドアには『空調設備点検のため本日休館』と、これまた汚い字で書かれていた。私はいいが、折角一式用意して泳ぐ気満々だったハルがいたたまれない。こっそり隣を仰ぎ見ると、案の定少しムッとしていた。



「…スーパー寄って帰るか」
「そーだね」



あまりのショックに忘れていないか心配だったが覚えていたらしい。私たちはまた炎天下のなか並んで歩き、スーパーでアイスを少し多めに買って、その中のソーダバーを半分こにして食べながら家路についた。キンキンに冷えていたアイスもすぐに溶けて程よい固さになっていく。ハルの家まであと少しというところで、ポケットに入れていた携帯が震えていることに気づいた。取り出し確認すると、真琴からの電話だった。



「もしもーし」
『もしもし、名前?いまハルの家?』
「んーん、スーパーの帰りだよ。もうすぐ着くけど、どうかした?」
『今日の夜、小さいけど花火大会があってさ。渚たちと行こうって話になったから、良かったら2人もどうかなって』
「行きたい!行く!何時?」
『19時半からだから、19時に待ち合わせようか』
「わかった。じゃあ後でね」
『うん、後で』



通話を終え携帯を下ろすと同時に、もう片方の手に持っていたアイスの残りが地面に落下した。そういえば話すのに夢中で忘れてたな。落ちたブルーのアイスはみるみるうちに溶け、道路にいびつな形のシミを作った。さよなら、私のソーダバー。最後を見届け、ただの棒と化した木を手に持ったまま歩き出すと、ふいに名前を呼ばれ横を見る。そこには、残り一口分のアイスが刺さった木の棒がこちらに差し出されていた。



「いいのに」
「お前、これの最初と最後好きだって言ってたろ」
「…ありがと」



そんな大昔に言ったことよく覚えてるなと思う。嬉しいやら少し恥ずかしいやら、ハルの目をみれないままアイスを唇ではさみ棒から抜き取った。うん、やっぱり美味しい。甘ったるいソーダの味を噛みしめていると、ハルは私が握っていたアイスの棒を抜き取り、通りすがりに自販機の横にあるゴミ箱に自分の分と一緒に放り込んでから「それで?」とこちらを向いた。



「なんだったんだ?」
「え?」
「電話。真琴からだろ?」
「あぁ!そうだった、今日この後一緒に花火行こうって」
「そんなのやるのか」
「たぶん、この前雨降った時延期になったやつだと思う」
「雨の日なんかあったか?」
「うん。でもハル達は大会でいなかったから」
「そうか」
「19時に待ち合わせようって」
「わかった」



ならば着替えねばなるまいと、ハルの家の冷凍庫にアイスを入れてからまた家をでて、今度は徒歩10分ほどの距離にある私の家に向かった。久しぶりのハルの来訪に母親は大喜びで、出すのを渋っていたメロンをここぞとばかりに切り始めていた。ちなみに送り主はハルの両親だ。北海道から遠路はるばる運ばれてきたそれは綺麗なオレンジ色をしていて、リビング中に甘く誘惑に満ちた香りを放った。



「じゃぁ行ってくるね」
「ごちそうさまでした」
「気をつけてね。またいつでも来てね、遙くん」



ここ最近で一番の笑顔で送り出してくれた母に小さく手を振って、来た道を戻っていく。ハルの家とちょうど半分くらいまでのところに差し掛かったあたりで、向かいから歩いてくる真琴と渚や怜くんの姿が見えた。おーい、とブンブン腕を振る渚に応えるように手をあげて、歩くスピードを少しあげた。



「良かったの?ハルちゃんと2人っきりじゃなくて」
「花火?」
「うん」
「大会終わってから散々一緒にいたしなぁ」
「でもでも、こういうのって特別じゃない?ここでみれるの最後だし」
「私たち大学受かれば来年から東京だし、渚たちともみたかったからむしろ良かったよ」
「…名前ちゃん!」



大袈裟に顔を歪ませ、横から抱きつかれたかと思うと肩に頭をぐりぐりと押し付けてくる。普段ならしてこないスキンシップに面食らっていると、動きを止め半分だけあげた顔は泣きそうだった表情とは打って変わっていたずらな目が輝いていた。



「ね、こういうの、ハルちゃんはやきもちやく?」
「やかないよ、私と渚だよ?」
「だよねぇ〜」



ちぇ、っと至極つまらなそうな声でぶうたれたまま、渚は身体を離し横に並んで歩き出す。何を期待していたのか。渚は小さい頃は私たち相手に可愛らしいスキンシップを多々していたが、歳を重ね分別がつくようになってからはある程度の距離感を保ち、ハルと付き合うようになってからは殊更そういったことに無意識に気を遣っているようだった。そんな渚に対してハルが妬くわけがないのだ。興味がないわけではなく、信頼の証なのだと言えば渚は嬉しそうに笑った。



「うーん、やっぱり混んでるねえ」
「ここらで開催される花火大会はこれが最後でしょうからね」
「名前、はぐれないようにね」
「マコちゃんおっきいから目印になるし、大丈夫」



ぞろぞろと4人で、人の流れに逆らわないようゆっくりと歩いていく。運良く最前列に辿り着けた私たちは横一列に並び、胸の高さあたりにある柵に腕を置き花火が打ち上がるのを待った。少しして、街灯が幾つか消えてあたりが薄暗くなる。スピーカーから音楽が流れ始め、それに合わせて最初の花火が上がった。打ち上がり、空に花が咲くたびに空気が震えた。心臓に直接届かんばかりに弾ける火薬の音は、強引に胸を高鳴らせていく。小さい頃から何度も見てきた景色は、いくつになっても目も心も奪われる。人混みのことも夏の暑さも忘れて没頭し、柵に置いていた腕を横におろした。



「あっ、星のマークだ」
「ほんとだ。すごいね」



渚の無邪気な声に応えて、顔を見合わせて笑う。ハルほどではないけど、渚とも目を合わせるのに少し上を見ないといけないようになった。こんなに可愛くてもちゃんと男の子だもんなあと当たり前のことを考えていると、ふいに手の甲に熱が触れた。それは本当に一瞬のことだったけれど確かで、微かに肩が揺れた。打ち上がった花火を見るふりをして横目でハルを盗み見るけれど、ハルは真っ直ぐ空を見ている。気のせいだっただろうか。仮に本当だったとしてもこの人混みなのだから起こりうることだ。気を取り直して意識を花火に向ける。大きいものが2発、3発と立て続けに打ち上がったとき、今度はしっかりと、さっきよりも少しだけ長く手が触れた。これは、ワザとだ。気づいてしまえばもう花火になど集中できるわけがない。
手の甲が触れる。触れては、離れていく。追いかけてほんの少し手を動かすと、また触れ合う。表面だけが触れる程度だったのが、ぴったりとくっつく。曲げていた指をゆっくり伸ばしていく。一番最初に小指同士が触れた。瞬間、ピクリと反射的に離れてまた触れ合った小指が、絡めとられた。手を繋いでいるというには足りないささやかな繋がりは、花火よりもずっと大きく、早く胸を高鳴らせる。いつの間にかクライマックスに突入していた花火から視線を外しハルの方へずらせば、彼も同じように私に目を向けていた。ふ、と口角をあげるハルに思わず赤面してしまう。初めてみる恋人の顔だった。こんなのみせられて、私はこのあと、ハルに、真琴たちに、どんな顔をしたらいいんだ。