シャワーを済ませ、歯も磨いたし髪も乾かした。いつものTシャツワンピースは洗いあがったばかりでお日様の匂いがする。今日は特に乱闘騒ぎもなかったし、いい一日だったなあと思い出しながら女部屋へ向かう途中、キッチンから明かりが漏れているのに気がついた。いつもならとっくに暗くなってる時間なのに珍しい。扉の小窓から中を覗くと、本がまばらに散らばる大きなテーブルにひとり腰掛ける彼を見つけた。
キラキラの金髪が横顔をも隠してしまっていて、起きてるのか寝ているのかも分からない。なるべく音を立てないように、そっと戸を開けた。


「誰……名前か、どうした?」
「どうしたは私が言おうと思ってた」


ぱっと顔をこちらへ向けた彼に質問を返すと、一瞬ぽかんとした後、壁の時計を見て「もうこんな時間だったのか」とこぼした。時間を忘れてしまうほど一体何に没頭していたのだろうと近づき、側にあった本を手に取る。"秘境ジャポネの幻の料理"。うぅむ、料理の本だということは想像していたけれど、なんとも胡散臭そうな題名だ。その他にも、聞いたこともない国の名前や見たこともない文字で書かれたレシピなんかの本が置いてある。


「どうしたの、これ」
「今日寄った街の肉屋のオーナーが、昔ちょっと名のあるシェフだったみたいでね。譲ってもらったんだ」
「なるほどね。それでこの時間まで読みふけっちゃったのか」
「そんなところかな」


隣に腰かけた私の頭を優しく撫でて微笑む。久しぶりにみる眼鏡姿に少しだけどきどきしている。見つめているのもなんだか恥ずかしくて視線を外すと、額に柔らかな熱が触れた。それから彼は立ち上がり伸びをして、キッチンへ向かった。


「今から料理?」
「いや、明日の朝飯の下ごしらえだよ。本読んでたら忘れちまっててね」
「サンジくんでもそんなことあるんだね」
「ま、たまにはね」


 棚から食器を出しながらこちらを振り返り、「一緒にするかい?」と聞いてきた彼に頷く。役に立てるかは分からないが、好きな人とキッチンに並んで共同作業をするというのは、なんだか特別な時間な気がするのだ。
とは言え、やれることは限られている。グラスを用意したりシルバーを拭いたり、野菜の皮を剥いたり。なんだかお母さんと料理をしている娘のような気分だ。ピーラーで人参の表面を剥く作業に飽きがきたころ、ふと横を見上げれば真剣な眼差しで何やら怪しいレシピ本を眺めるサンジくんがいた。


「俺の顔、何かついてる?」
「こっちみないかなあって思って」
「見てほしいの?」
「見たらいいことあるのになあって」
「いいことか、そりゃいいね」


パタリと本を閉じ、眼鏡を外す。要望通りこちらを向いて、少し腰を曲げて顔の位置を下げるのも忘れない。ちょうど良い高さにある彼の唇に自分の唇で触れると、胸の奥がずくりと疼いた。離した唇を、今度は彼が追いかけてくる。逞しい左手が私の体を引き寄せた。角度を変えるたび深くなる口づけに夢中になって、両腕をしっかりと彼の首に回した。絡まり合う舌が卑猥な音を立てている。荒くなる呼吸さえも飲み込んで、ひたすらに互いを求め合うようなキスが続いた。薄く開いた目の端で、彼の右手がタバコを灰皿に押し付けるのがうつった。空いたその右手はどこへいくのか。それは私の期待通りゆっくりと下へおろされ、静かにワンピースの中へ侵入してきた。冷たい手が肌に触れるたび、体が跳ねる。目的地まであと少し、というところで、私はその腕に手をかけた。


「…ここでするの?」
「ここじゃ嫌だった?」
「調理場はコックさんの聖域でしょ?キッチンの神様に怒られるんじゃない?」
「こんなに可愛い天使が相手じゃ、神様も目を瞑るしかないさ」


甘く柔らかい言葉が身体中に溶けてゆく。この口はどうしてこんなに優しい幸せな言葉が紡げるのだろう。キスで塞いでしまうのが勿体ない。唇を離し彼の肩に顔を埋めれば、身体がふわりと浮いて調理台に降ろされる。向かい合う彼の顔が自分の目線より下にあるのは珍しい光景だ。


「さて、この天使はどう調理しようかな」
「美味しくしてね」
「了解」


静かに笑い合って、一緒に甘い波に沈んでいった。触れられたところからじっとりと熱をもっていく身体は、ぴったりくっついたところからゆっくり溶けて境界線なんか分かんなくなって、私はこのままサンジくんに取り込まれてしまうんじゃないかと思った。それならそれでいいけど。
自分の下にあった彼の顔がいつのまにか正面にあって、その向こうに天井が見えた。私は何度目かわからない絶頂を迎えようとしていて、縋りつこうと伸ばした手は彼の手にすっかり覆われて床に押し付けられた。汗の雫が降ってくる。それと一緒に降ってきた愛してるの言葉もまるごと受け止めて、同じ言葉を返す前に意識が途切れた。