時々、いま見ているものは夢だと分かる時がある。そういう時の夢の中での感触や感情はやけにリアルで、大抵怖いものだったり疲れるものが多いのだけれど、今日はなんだか幸せな気分だ。サンジくんがいるからだろうか。夢の中でも彼は変わらず優しくて私のことを好きでいてくれて、紳士だ。手を繋いだまま、少し先を歩く彼の背中に向けて、サンジくん、と呼びかけた。彼は立ち止まり振り返って、繋いでいなかった方の手で、私のもう片方の手を握る。それから小さく微笑んで、私の頭にキスをした。離れた唇はそのまま額におりてきて、また口付ける。ゆっくり時間をかけて、瞼、鼻の頭、右の頬、左の頬の順にキスをして、最後にやっと待ちわびていた私の唇にたどり着いた。あたたかくて、柔らかい。唇が離れていく際に彼の匂いが鼻を掠めて、そんなところまで本格的だ。なんていい夢なんだ。今日はしばらくこのまま眠っていたいと思いながらも、だんだんと寝ている自分の意識が浮上していくのが分かる。それでもしつこく目を閉じたままでいると、すぐそばで私の名前を呼ぶ声がした。夢か現実か分からないけれど、この声で呼ばれてしまったらいずれにしろ目を開けるしかない。抵抗をやめて、少しずつ瞼をあげた。


「やっと起きた」
「……あれ、」


目を覚ますとそこはダイニングで、目の前にはサンジくんの顔がある。寝ぼけた頭で一生懸命考えて、そういえばシャワーのあとここに寄ったんだったと思い出す。明日の朝食の準備をしているサンジくんを見つめながら、時々他愛のない話をして、そうこうしているうちに寝てしまったのだ。乾かさないままでいた髪の先から垂れた雫が、Tシャツに染みを作っていた。


「こんなとこで寝たら風邪ひいちまうよ」
「うん」
「髪も乾かさなきゃな」
「………うん」
「はは、ちょっと待ってて」


今の笑いは面倒くさがりな私の思考を完全に読んだ証拠だ。恐らくこっちに戻ってくる彼の手には、ドライヤーが握られていることだろう。なんて出来た男性なのだろうと感心していると、やはりドライヤーを持った彼が現れた。


「熱くない?」
「うん、へーき」


上から後ろから、熱風が通り抜けていく。私はサンジくんの足の間におさまり、なされるがままだ。少量の髪の束を持ち上げて、根元から毛先へと彼の指が滑る。何度も何度もそれを繰り返し、彼は私の髪を丹念に乾かしていく。あまりの心地よさにまた眠ってしまいそうだ。そんな私のこともお見通しなのか、寝ちゃダメだぞと笑いながら言われた。ううむ、さすが。


「そういやさっき、どんな夢みてたんだ?」
「え?」


ドライヤーを終え、丁寧にブラッシングをしながら彼が言った。えーと、と思い出すふりをして、どうしようか考える。サンジくんの夢だよなどと言えば恐らく内容を聞かれるに違いない。ふざけた夢ならまだ笑い話にできるものの、あんな夢、さすがに恥ずかしすぎる。しかし全く別の夢物語をでっちあげる技術もないので、大人しく覚えていない私になりきることにした。


「忘れちゃった」
「それは残念」
「どうして?」
「俺の名前呼んでたからさ。どんな夢だったのか、知りたくて」


それはそれは物凄い勢いで、身体中が熱を上げ顔に集中していくのが分かる。絶対にあの時だ。まさか本当に声に出ていたとは。いま、サンジくんに背を向けた態勢でよかった。こんな顔みられてしまったら、私の演技はいとも簡単に見破られることだろう。なんとか落ち着きを取り戻そうと、なるべく多く酸素を取り込んだ。


「いい夢?悪い夢?」
「い、いい…夢、だったと、思う」
「へェ、どうしてそう思う?」
「え、っと、…し、幸せな気分、だったから?」
「幸せ、か。なぁ、なんで幸せだったか、ちょっとも覚えてない?」


絶っ対に楽しんでる。なんとなく声が弾んでいる気がするのだ。なるほど、声音で相手の考えを読めてしまうのであれば彼も同じこと。私の演技など始めからお見通しなんだろう。こんなことになるなら最初に言っておけばよかった。今言うより確実に恥ずかしくなかったはずだ。そんな後悔をいましたところで全く無意味だが、悔しくて仕方ない。しかしもうどうにでもなれ、である。


「……サンジくんに、キスされる夢」
「どんな風に?」
「どんなって、ふ、普通だよ」
「普通?」
「こ、こう…向かい合って、最初は、頭にしてくれて、それから」
「次は、この綺麗なおでこだろ?」
「そう、おでこ……え、」
「それから、ここ、次が、ここ」


言いながら、サンジくんの指が瞼、鼻へと移動していく。どうして、なんで知ってるの。まさか順番も口にしてた?そんなことある?見聞色のハキとかいうのって、人の夢までみれちゃうの?え、怖い。


「で、最後がここだろ」


言いながら、人差し指が唇に到達する。下唇をひと撫でしてから、輪郭をなぞり指を顎にかけた。そのまま持ち上げるようにして私の顔を横に向ける。後ろから覗き込むサンジくんの楽しそうな目と目が合った。


「ねえ、なんで…」
「なんでって、本当にしてたからさ」


したり顔なのが憎らしい。言い訳としては「眠り姫を起こすにはキスしかないだろう」だそうだ。全く、返す言葉もない。道理で夢のはずなのにリアルだったわけだ。くだらないと言いたいのに、そのキスで実際に目を覚ましてしまっているため何も言えない。はあ。夢にまでみるほど想っていることを遠回しに伝えたようで、面と向かって好きというより恥ずかしい。どくどくと盛んに心臓が高鳴り始める。羞恥のためか、それとも、期待か。少しでも動けば唇が触れ合いそうな距離に、サンジくんの顔がある。


「このまま、夢の続きしてもいい?」
「……だめって言わないのわかってるでしょ」
「あぁ、わかってて聞いてる」


今日のサンジくんは、いつになく意地悪だ。