やっぱりコート着てくるんだった。2月の体育館は外の気温と大差なく、むしろ屋根が太陽の光を遮っている分こちらの方が寒いのではないかと思うほどの冷え込み具合だった。そんな中私はコートもマフラーも鞄も教室に置いてこんな所に突っ立っている。白い息を立ち昇らせながら、体育館を見渡した。
「お前もか」
「お前もとは?」
「昨日は岩泉と花巻が来て、その前は松川と及川が鍵借りに来た」
「それはまた」
「バレー部はバレー馬鹿ばっかりか。」
「待ってください、私バレー部じゃないです」
「こうやって自由登校期間に鍵借りに来るくらいだから充分バレー馬鹿だよ」
ここへ来るまでの間に交わした先生との話を思い出す。他の生徒はせっせと受験勉強に勤しむ中、バレー部のレギュラー組はしょっちゅう登校しては第3体育館の鍵を借り体を動かしているらしかった。おかしいぞ。松川と及川は確かにもう受験を終えているけれど、他2人はまだまだこれからのはずだ。まぁ私もだけど。再来週に試験を控えている立場でバレー部でもないのにここへ来るくらいだからあながち先生の言ってることも間違いではないな。
「見つけた」
「…及川」
「何してんの、こんなとこで」
開けっ放しにしていた扉の向こうで長身の彼がこちらを見ていた。顔だけで振り返りその名を呼ぶ。及川はマフラーを外しながらゆっくりと近づいてきて、私の真後ろで歩みを止めた。無防備だった首元にとったばかりのマフラーが巻かれ、彼が残した熱と香りがじんわり身体に染みていく。堪能するように目を閉じれば、後ろから抱きしめられたことで一層彼の匂いと温もりが増した。
「よく分かったね、私がいるの」
「教室にコートとか全部置いていってたでしょ」
「あぁ、それでか」
「あとは先生が教えてくれた」
「顧問の?」
「そう。先客いるぞって」
彼の声が上から聞こえる。会話が途切れたタイミングで及川が私の頭に顎を乗せた。普段であればこんな格好恥ずかしくて3秒と保たないが、今ここには誰もいないし、それに少しでも多く及川を感じていたかったからなされるがままにしておく。来月になれば、彼は300キロ離れた都会で生きていくのだ。
「それで、何してたのこんなとこで」
流れたと思っていた問いかけを再度投げられた。何をしていたか、と言われると少し答えに困ってしまう。なんと返そうか。私がここへ来た理由。彼が学校で過ごした時間の殆どがあるこの場所へ訪れたのは、これからは近くで見ることができないあの姿を私の中へ刻み付ける為だ。元々好きだったバレーボールを、この学校に来て、彼に会ってもっと好きになった。応援をしていると身体全体に力が入ってしまうこと、私でもこんなに大きな声を出せるのかと思ったこと、翌日は喉が掠れてしまうこと。一点が決まればまるで自分がいれたかのような誇らしさに溢れること、試合に勝つと身体中の細胞という細胞が沸騰するような感覚になること、あと一歩手が届かなかった時は泣いてしまうほど悔しくなること。直向きでただ純粋に強さを求め努力する及川は、私に沢山のことを教えてくれたのだ。人を想うことは切なくもあり、幸せに満ち溢れているということも。そんな彼を笑って見送るためにも、今日までの全てをこの身体に脳にしっかりと焼き付けたかった。誰よりも格好良かった及川を覚えておきたいと言ったら、一体彼はどんな反応をするんだろう。言うつもりなど毛頭ないのでその答えは一生知ることは無いけれど、きっとどんなものであっても泣きたくなるくらい幸せな気持ちになるのだろうなという想像は容易にできたからそれでいい。
「なんとなく来てみただけだよ」
「ふぅん」
「及川は何しに学校来たの?」
「先生に借りてたもの返しに」
「そっか。もう返した?」
「うん」
「じゃあ、帰ろっか」
回されている腕に触れると力を緩めてくれたので、そのまま身体を反転させて顔を見あげた。目が合ってすぐにまた抱きしめられる。さっきよりも強い抱擁に「痛いよ」と声を上げる前に、彼が小さく「ありがとう」と呟いた。
「なに、急に」
「なんか、色々思い出したんだけど、キツイ時も試合も、殆どお前が傍にいてくれたなと思ってさ」
「そうだっけ」
「そうだよ」
「そっか」
「うん」
それ以上言葉が続かなくて、背伸びをして彼の首に私も腕を巻き付けた。このぬくもりも匂いもこれからは年に数回しか味わえなくなるんだなあと思うと、閉じ込めていた寂しさがじわじわと胸に広がっていく。けれど不思議と涙はこみ上げてこなかった。大丈夫だ、ちゃんと、笑えている。
「もう傍で見ていてあげられなくなるけど、応援してるからね」
「10年後には一番近くで見ててもらうから、今だけ我慢するよ」
「なに、それ」
「お前がよそ見しないように、予約しとく」
これはまた随分と未来の予約をされてしまったものだ。先の長い話だなあと思いながら笑って吐き出した息はやっぱり白く、胸を渦巻いていた寂しさと一緒に昇って真冬の体育館に溶けて消えた。
及川徹×冬×体育館
(2016.3.31 青城三年企画 青春の瞬き 提出)